Season2-4 消える銃弾

そのことに気づいたのは、「千と千尋の神隠し」のリバイバル上演を映画館で観たときだったと思う。リアルタイムで観た十数年前に感銘を受けたことはほとんど覚えていない。親が豚にされてしまうというショッキングな描写に驚きはしただろうし、自分を助けてくれた人のために頑張ろうとする千に感情移入もしただろうけれど、ほとんど記憶にないということは、きっとあまり感動もしない、鈍感な学生だったのだろう。それが、いま観るとびっくりする。涙腺は緩みっぱなしで、千が涙するシーンで一緒に泣いてしまった。自分が泣き虫であることは自分が一番よくわかっている。けれどここまでとは思わなかった。

 

ただそれだけだったら、日本の興行収入ランキング一位を突っ走るジブリ作品だったからじゃないの?で終わるのだけれど、そうじゃなかった。昔から大好きでよく見ていた「相棒」の過去作品を「テレ朝動画」で観れると知り、久しぶりに大好きな作品を見繕ってみたら、思わず泣けてきてびっくりした。「クイズ王」(※1)、「BIRTHDAY」(※2)、「女王の宮殿」(※3)、「ミスグリーンの秘密」(※4)と、自分の好きな作品ベスト10(日々変動するけれど・・・)に入るものを久しぶりに観たら、それぞれに感動し、これはまずいと思った。この気持ち良さは、リアルタイムで観ていた時以上だ。時間を経て、作品に対する感じ方も変わってきたということなのだろうか。

 

そして今日、久しぶりに観た初期作品は、息子に自殺された父親が抱く復讐心が、その息子を想う人を殺人者にしてしまった、という話。現場から硝煙反応が出ない。被害者の身体に銃弾が残っていない。そんな不思議な凶器のカラクリに対する驚きもさることながら、犯行の動機に大きく心が動かされる。

 

「前におっしゃってましたね。二人は、朝晩の挨拶をするぐらいで、特別親しかったわけではないと。彼女にとっては、その朝晩の挨拶が、生きる支えだったそうです」

 

Season2 第4話「消える銃弾」

 

相棒 season 2 DVD-BOX 1

相棒 season 2 DVD-BOX 1

  • 発売日: 2007/02/09
  • メディア: DVD
 

 

 

(※1)Season2-12 クイズ王 

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(※2)Season11-18 BIRTHDAY 

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(※3)Season5-17 女王の宮殿 

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(※4)Season8-3 ミス・グリーンの秘密 

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REWIND

今日はたくさん本を買った。昼間立ち寄ったBOOK 1st で何冊か買って、自宅近くに最近新しくできたセレクト本屋さんに初めて行って気になっていた本を買った。帰宅したら楽天ブックで注文していた本と、「小さい書房」に直接注文していた本が届いていた。一気に本棚が詰まっていく様子に驚きながらも、でも読みたいと思って自分がしたことだから、後悔はしていない。

 

新しくできた本屋さんは、選書も良くて、内装もかっこよくて、また来たいと思った。気になるエッセイに絵本、海外文学、インドのタラブックスの手作り本のほか、肩ひじ張らずに読める普通の文庫もあって、安心した。手軽に立ち寄れる、お気に入りの本屋がひとつ増えた喜びを、かみしめている。

 

フェアに乗じて手にしたエッセイには、のっけから著者の生々しいくらいの生がにじみ出ていて、ほっとした。本の向こうの書き手が、自分にとって雲の上の存在ではなく、比較的近い距離にいる人間なんだと思えることによる安心感。他者の思考の中から、あぁ、考えることってみんな一緒なんだな、を見つけ出した時の快感。それがあるからこうやって、時には積読したまましばらく読まないこともあるけれど、本をたくさん買っては本棚に詰め込んでいるのかもしれない。

 

ざらざらをさわる

ざらざらをさわる

  • 作者:愛, 三好
  • 発売日: 2020/06/26
  • メディア: 単行本
 

 

https://rewindbooks.theshop.jp/about

静寂

本を紹介することを通して、本を読むことの楽しさを他人と共有したい。そんな想いから、もし自分が本屋をやるとしたら、どんな名前が良いだろうか、と妄想する。

 

キーワードは「静寂」。このところ気になっているワードだ。「静寂」という名の本屋がもし街にあったらきっと、足音を抑えながら、扉を開けるだろう。

 

 

きっかけはLUNA SEAの10枚目のアルバム「CROSS」に収録されている「静寂」を聴いて衝撃を受けたことだ。本屋とは何の関係もないけれど、「静寂」という言葉が持つイメージの美しさと、「決して静かじゃないじゃないか」と突っ込みたくなる曲とタイトルの相違性に、うっとりとした。トロトロのバラードでないところに、彼らの「聴き手にとって一筋縄でいかない」ところが現れていて良い。何分の何拍子と表現したらいいのか。頭が混乱するような変拍子は、伊坂幸太郎小説を読んでいる時に感じる、頭の中で複雑に入り組んだストーリーを並び替えていくときのような興奮を思わせる。脳の中はむしろ静寂とは真逆で、ざわついている。

 

CROSS(通常盤)

CROSS(通常盤)

  • アーティスト:LUNA SEA
  • 発売日: 2019/12/18
  • メディア: CD
 

  

 

これまでの自分の人生においてあまり意識していなかった「静寂な状態」。それを意識的に取り込むことが、自分にとって必要なのではないか。そう感じるようになったのは、「静寂とは」という本を読んでからだ。

 

静寂とは

静寂とは

 

 

「どこにいても静けさは見つけられる」静けさがないと環境のせいにするのではなく、自分の心がけ次第でいくらでも静かな状態に身を置くことができる。意識しなければ、静かな状態に身を置くことがまったくないまま過ごすことが簡単にできてしまう。だから、自ら主体的に「静寂」を取り込む工夫が必要だ。

 

静寂を取り込むことの大事さを、本から学んだ。これは言い換えると、本を読むという行為こそが、自分のうちに静寂を呼び込むことなのではないか。頭の中に雑念があって、イライラしたりしていたら、落ち着いて本を読むことはできない。その世界に没頭するには、その世界以外の情報を遮断すること、自らを静寂化させることが必要なのではないかと思った。

 

 

大好きな若松英輔が帯でコメントを書いている本を本屋で見つけ、思わず手に取った。「幸せに気づく世界のことば」人を癒すこともあれば、時として人を傷つけるナイフにもなる、そんな「言葉」だからこそ、大切に、慎重に選びながら使えるようでありたい。そして、使う以上は、使う自分も、それを聞く他人も、幸せに気づけるようでありたい。

 

幸せに気づく世界のことば

幸せに気づく世界のことば

 

 

そのなかに「静寂」という言葉があって、ぎょっとした。外からの余計な音、景色などをシャットアウトして、自分の心の中に余白を持たせること、それが静寂だと自分なりに解釈する。いずれ形を変えるもの、壊れるもの、簡素なものをそのまま美しいと認める精神、その「詫び寂び」の字を含む「静寂」。本当に美しい言葉なのだという確信に変わった。

 

 

本に寄せるイメージ。読書を経て到達したい境地。それを端的に表現する言葉が「静寂」だと思った。

 

エッセイに詰まっている「本当」

その人が書いたエッセイを読むこと以上に、その人の「本当」を知る術を知らない。エッセイには、書いた人の正直な気持ちが現れているから。カリスマ書店員の新井見枝香さんの本だっただろうか。エッセイにはその著者の「本当」が凝縮されていると言っていた。だとしたら、自分がエッセイを読みたいと思う動機は、そこにあるのかもしれない。

 

エッセイに著者の「本当」が詰まっていて、著者の「本当」に触れる最適かつ唯一の方法がエッセイを読むことなのだとしたら。自分はエッセイを読んで、その著者の考えることに共感して、「そうか、この人と同じことを自分も思っているんだから、自分はとりたてて変なのではない。もっと自分に自信をもっていいんじゃないか」という気持ちになりたいのではないか。著者の内面に自分の内面と近い点をなんとかして見つけ出して、そう考えるのは自分だけじゃないんだと安心したいのかもしれない。

 

大学時代に熱中したASIAN KANG-FU GENERATIONの後藤正文。死の危機を乗り越えた人生訓を聞いてファンになった星野源。しゃべることの節々に聡明さを感じるオードリーの若林正恭。歴史好きだということを昔知ってちょっと惹かれた女優の酒井若菜。そして昔から大好きな元お茶大教授の土屋賢二。彼ら、彼女らの本当が詰まっているエッセイを読みながら、そういう考え方もあるのかと時には驚き、そうそう俺も、と時には同調する。そうやって、自分の「本当」と他人の「本当」の間にある相違点や類似点を探しては、まだまだ自分は大丈夫、と慰める時間が、自分にとって必要なんだ。

 

何度でもオールライトと歌え

何度でもオールライトと歌え

  • 作者:後藤正文
  • 発売日: 2016/04/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

よみがえる変態 (文春文庫)

よみがえる変態 (文春文庫)

  • 作者:源, 星野
  • 発売日: 2019/09/03
  • メディア: 文庫
 

  

ナナメの夕暮れ (文春e-book)

ナナメの夕暮れ (文春e-book)

  • 作者:若林 正恭
  • 発売日: 2018/08/30
  • メディア: Kindle版
 

  

うたかたのエッセイ集

うたかたのエッセイ集

  • 作者:酒井若菜
  • 発売日: 2018/09/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  

紅茶を注文する方法 (文春文庫)

紅茶を注文する方法 (文春文庫)

  • 作者:土屋賢二
  • 発売日: 2014/12/19
  • メディア: Kindle版
 

  

探してるものはそう遠くはないのかもしれない

探してるものはそう遠くはないのかもしれない

 

 

千と千尋の神隠し

ジブリの4作品が再上映されているということで、週末、映画館で「千と千尋の神隠し」を観た。リアルタイムで観たのが2001年。ということは19年ぶりということになる。

 

もちろん当時も楽しく観た記憶はあるのだけれど、ストーリーは半分頭から抜け落ちている。映画館で涙したという記憶も、ない。けれど周囲から、観たとき高校生?だとしたら、面白さがまだ分からなかったのかもしれないね、と言われ、いまだったらより楽しめるかもしれないと思った。

 

観たら、その感動は想像の遥か上を行っていた。19年も前にこんな作品があって、しかもそれをリアルタイムで楽しんでいたにもかかわらず、それを十分に味わうことなくこれまで生きてきた自分を、ちょっと恥じた。自分を助けてくれた相手を純粋に想う千(千尋)のひたむきさ。正直さ。純粋さ。それに胸を打たれた。彼女がおにぎりを頬張りながら泣くシーンで、彼女と同じように泣いてしまったことは、ちょっと恥ずかしくて、ここに書くだけで他人には言えない。

 

「もののけ姫」はもっと前に観て(自分が記憶している限り、映画館で観た初めての映画じゃないかと思う)、難解でよく分からなかったという記憶しかない。「千と千尋の神隠し」がそうであったように、だったらいまなら楽しめると思うよ、とアドバイスを受けるも、これについてはまだちょっと受け入れられそうにない。大人になって観て、これで万が一楽しめなかったとしたら、自分の感受性は一体どうなっているのよ。そう自分で自分を責めるような状況になるのが怖いのだ。先に、観てないゲド戦記にした方がいいんじゃないか。いや、ここは定番でナウシカか?そんなどうでもいいようなことで頭を悩ませている。

 

B:bandaiyaのリネンバンダナ -bandaiya-

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はじめての出会いは、上野のテラデマルシェだった。その時は、手作りのバンダナを見てきれいだなぁと思ったくらいで、正直を言うとあまり気にとめていなかった。ハンカチにだってそれほどこだわりはなかった時期だ。記憶している限り2度目の出会いが、当時自宅近くで開かれた手作り市であり、そこで何か縁を感じたのだろう、バンダナを、買った。木の実やユーカリの柄がシンプルで、カラフル過ぎず、場所を選ばず使えるようで、心地よい。なにより、使っているうちに飽きてしまうようでなく、長く楽しめる柄だと感じる。

 

あまり気張らず、汚れたら汚れたでいいし、破れたら破れたでいいし、と楽な気分で使えたことも、これまで大切に使ってくることができた一因だと思っている。実際、一番最初に買ったバンダナは、仕事で外用のカッティングシートをはがした後のノリを拭くために力を入れてこすったり、といったことを続けているうちに、破れてしまった。でもまだ使っている。これも味だと思えばいいんだ。

 

あまりたくさん手にするのは、前から持っているものへの愛着が薄れるようで(そんなことは決してないのだけれど)本当は嫌なのだけれど、最近新しい柄のものも迎えいれた。7枚あるから、毎日別のものでも1週間は過ごせる。手触りもいいし、色あいも好きだし。ずっと使っていきたいと思っている。

 

幸福論

いま、目の前を過ぎていく出来事を、もっとゆっくりと、冷静に、見つめることができるなら。そういう時間を自分に与えてあげられるくらいの心の余裕があるのなら。これから、自分がこうしようと思っていることが、果たして自分にとって正しいことなのかと、ふと立ち止まってじっくり吟味することを忘れずにいたら。のちに後悔する生き方をしてしまうリスクを、多少なりとも減らせるんじゃないかと思う。

 

「心の余白」「忙しすぎてはいけない」「おのれに鞭を打つのはやめよ」これらの言葉が自分にしみるのは、きっと、自分がそういうことを言ってもらって、慰めてほしいからだ。「自分は心に余白がないくらい目の前のことに忙殺されていて、大変なんです」「自身を顧みる余裕がないのは、仕事で忙しく、またうまくいかずに悶々としているからなんです」「それでも自分に鞭を打って、なんとか頑張ってるんです」という自分の内なる言葉を誰かに聞いてほしいからだ。頑張ってるんだね、と認めてほしいからだ。

 

もしかして、自分の内なる声を聞いてくれる他人が、ここにいるのかもしれない。自分のことを肯定してくれて、自分のこれからの動き方を冷静に考える手段を差し出してくれるのかもしれない。そういう期待を抱くことができるという点に読書の意義があり、期待を抱かせるという役割を担ってくれているという点で、自分には作家さんが必要なのだと思った。

 

自分の心に余白を持たせること。そして、長年付き合っている自分の心が発した小さなシグナルを、見逃さないこと。それを、大事にしよう。

 

幸福論

幸福論

  • 作者:若松 英輔
  • 発売日: 2018/02/23
  • メディア: 単行本
 

 

気まずい共存

その一言でどれだけ人が傷つくか、いい加減気づいてほしい。言っていることは正論だし、そういう言葉を招く元凶が自分にあることは確かだから、認める。けれど、そういう言われ方をしたら、先へ進もうとする意志が削がれてしまう。それを言われる方のことは一切お構いなしなのだろうか。そう言われるようなことをしたこちらが悪い、この一言で片づけられてしまうのか。まるで刃物のような言葉の鋭さに、身体は委縮し、頭の中は真っ白になり、顔に熱を帯び、対抗する自身の言葉から滑らかさが消える・・・。そういうことは、いくらでもある。どんなとき?そんなこと、いちいち覚えていない。

 

他人の、自分ではまったく理解できない言動を、理解できないからはいおしまい、自分とは世界が違うんだ、と切り離すのは簡単だけれど、それでは世界はつながらない。自分が相手を「理解できない」と言って切り離すのは、同時に、相手が自分のことを「理解できない」と言って無視することと同義かもしれない。実際、相手もそう思っているかもしれない。

 

自分と考え方がまるで違って、まったく理解できない言動をするその相手は、どうしてそういう言動をするに至ったのか。それを理解しようと試みること。「それは違うでしょう」「なんでこちらを受け入れようとしてくれないんだ」と反論するのではなく、一旦は相手のことを受け入れること。無理に共感はしなくてもいいから、そういう意見があるのだということをまずは認めること。そうして、空間を共にすることが苦痛であってもそれに耐えること。「気まずい共存」をしていく覚悟をすること。それができる人というのが、ずっと自分が探していた「オトナ」の定義なのではないかと思った。

 

日本の政党政治、立憲デモクラシーをもう一度蘇らせるためには、「モヤモヤすること」を受け入れるしかない。気まずいパートナーとの共同生活に耐えるしかない。それでいいじゃないですか。気まずいパートナーとでも、一緒に暮らしているうちに、ちょっとずつでも意思疎通ができて、お互いの共通する政治目標が出てくるかも知れないんですから。一つでも合意形成ができれば以て瞑すべしです。

 

サル化する世界 (文春e-book)

サル化する世界 (文春e-book)

  • 作者:内田 樹
  • 発売日: 2020/02/27
  • メディア: Kindle版
 

 

夜空を眺める

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新居への引越しの機会に、絵を描いてもらった。絵をオーダーしたのは、はじめてだ。清水の舞台から、ちょっと飛び降りた。

 

HASHIOTO HIROMIさんの作品は以前から好きで、イベントや個展に何度か行っていた。一面に広がる壮大な夜の世界が、自分の心を浄化してくれている感覚が、眺めていると、ある。

 

実家で、暑い夜、庭に出てなんとなく星空を眺めていた時のことをふと思い出す。静かで、風がつめたくて、ちょっと寂しい感じ。でも、ありきたりな表現だけれど、星空を眺めているとそのスケールの大きさにおののいて、それにひきかえいまの自分が抱えている悩みのあまりの小ささに、ぼうぜんとする。なんだ、大したことないじゃないか、と自らに言い、気を奮い立たせることができるくらい、夜空には大いなる力がある。

 

そんな夜空を、優雅に泳ぐ鯨。鯨は自分にとって、強くて、優しくて、おおらかで、寛容で、謙虚で、聡明で、とにかく大きなオトナの象徴。そういうオトナになりたいという想いがある一方、そこには到底到達しえない自分の弱さを情けなく思う。この絵を眺めている時くらい、もっと自分に自信を持てないか。

 

屋根の上から鯨をぼんやりと眺める星の子に、自分の想いを重ねる。まるで迷いのないかのように、まっすぐに正面を見据えて泳ぐあの鯨のようになりたい。そんな憧れの存在を描いてくれた、作家さんとの出会いに感謝している。

 

A:アルヴァ・アアルト -alvar aalto-

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私はこういうのを読むような人間です。そう他人に思ってほしくて、背のびして手にした本はたいてい、読み終わるのに時間がかかる。そもそも、読み始めるのに時間がかかる。世の積読の大半はこうした「自分を大きく見せたい」という欲望によるものなのだと思っている。でもそれは、良くないことだということではなく、そういうものだと諦めている。自分を誇示したい、そういう想いが蔵書をつくるのだ。きっと読めないだろうと手に取らないよりも、手元に「とりあえず」置いておいて、気になったときにすぐ参照できる状態にしておくこと、そのことに一定の意味があるのだと思うようにしている。

 

フィンランドの建築家、アルヴァ・アアルトの本もまた、好きな本屋で目にし、自分を鼓舞するようにレジに持って行ったものだ。ラフスケッチからは、彼の普段の脳内を垣間見れるようで面白い。この手の文章には難しい語彙が並んでいて、理解するのに時間がかかるのがたいていのことで、この本もそうなのだけれど、それでも少しづつ読むにつれ、彼の建築に対する姿勢があらわになってくる。

 

建築とは、事実上、人間のすべての活動領域を含む総合的な現象である。

 

人間の生活を正しく理解するなら、技術はただの補助手段であり、それ自体が決定的で独立した現象ではないことがわかる。技術の機能主義は本源的な建築をもたらさない。

 

徹底的に、人間の生活を包み込む総合的なものとして建築を捉えていたことが分かる。そうすると、スツールの脚も、ゴールデンベルの彫刻的なフォルムも、ヴィープリの図書館講義棟の波打つ天井も、その意図がまっすぐに自分に入り込んでくる。

 

特にスツール60のこれ以上ない質素で普遍的なデザインは、時間がたっても褪せないと思う。家具などのデザインについては、ヴィンテージものにこだわるよりは、いまの作家がデザインしたいまのプロダクトに注目したいと思っているけれど、スツール60(とあとヤコブセンのドットスツール、ハンス・コレーのランディチェア)は、自分にとっての普遍的なデザインの筆頭だと勝手に思っている。

 

修行論

内田樹「修行論」を読む。大型書店で、そういえばまだ読んでいなかった、と思って手に取った。自分は果たしてこれまで修行してきたと他人に言えるだろうか。あの時が自分にとての修業期間だった、と言える時期があっただろうか。いや、ないなぁ。

 

その修業にどういう効果があるのか。師匠の言葉に従うことでどういったメリットがあるのか。それは事前に外部から開示されるものではなく、修行した後に事後的に分かることである。よって、メリットを吟味してから選択する、いわゆる「消費者的な」態度をとる限り、修行を積むことができない(そのことを実感できない)。師匠は売り手ではない。師匠からの教えは商品ではない。受け手は教えてもらって当たり前、ではなくて、師匠にリスペクトをもって接し、自己研鑽する。それが修行なのだと、読んだ。

 

それによって得られる利益を事前に想定しないで、「なんのためにやってるんだろう」とわけが分からない状態であるにも関わらず、そうすることを促しているような体の感覚に従って、行動する。そういう修行を、しなければ。

 

 

道場は楽屋である。道場での稽古は試行錯誤の場であり、日常生活そのものが本番である。日常生活で自分に危機が訪れた時に、その危機から逃れるための身のこなしを得ることが武道の目的である。そう学んだ。大汗をかきながら、剣道の稽古に明け暮れていた中学高校時代に、その考え方をもっていたら、もっと稽古が楽しかっただろうなぁと後悔している。

 

「よほどの用事がない限り、外に出かけたりしない」という話を読んで、武道のひとつの到達点はそこなのか、と納得した。自分が攻撃された時に傷つけられないようにふるまうのはもちろん、攻撃されるリスクを伴う場所へ行かない、という選択をとること。危機から身をまもるという観点からは、暴漢をいなすこと以上に、暴漢に近寄らないことが重要になる。

 

漫画「バキ」の渋川剛気が、「危機にたどり着けぬのじゃよ」と言った。達人になると、自分を負かすような相手とは、そもそも出会わないと。ジャックハンマーと戦う直前によろめいて立ち上がれなかったり、前に進めない断崖絶壁の幻覚があらわれたり。そうか、それが武道のゴールだよな、と漫画を見て感動したのを思い出した。

 

修業論 (光文社新書)

修業論 (光文社新書)

  • 作者:内田 樹
  • 発売日: 2013/07/17
  • メディア: 新書
 

 

 

「作家」と名乗ること

肩書は何ですか。そう聞かれると、いろいろやっているから一つに絞れないのだけれど、共通して言えるのは何かを作っているわけだから、ひとまとめにして「作家」と言うことにしているんです。いとうせいこうさんがそのようなことを言っているのを聞いて、なるほどと納得した。おおざっぱに言うとタレントというのが近いのかもしれない。けれど、小説だって書いてるし、ラップもやる。作詞もやるし、俳優として映像作品をつくってもいる。どれもが「これまでになかったものをつくる」と言えるから、作家。そういう名乗り方、いいなぁ、と思った。

 

ものをつくることに対するあこがれは、小さい頃こそあったものの、いまはそれほどない。いや、あこがれはあるけれど、つくれる自信がない。人一倍手先が不器用である自信はある。ちがうんだ、それじゃ逆だ。

 

しかし、ではいまの仕事を通して自分がなにをしたいのか、作業のその先の、目指すものは何なのか、と問うと、結局は「縁をもったクライアントに自由な暮らしをしてもらう」ということだと気づいた。ちょっと強引なこじつけにも感じるけれど、これだって、「それまで味わったことのない快適な暮らしをつくる」行為に他ならないのではないか。だったら、暮らしをつくる作家と名乗っても良いということか?

 

つくれるものの範囲は驚くほど狭い。それでも、新しい価値を提供できる、と堂々と言えるものがあるのなら、自分はそれをつくる作家だ、と胸を張って言いたい。

松陰神社

引越してから初めて、松陰神社前を散歩。駅前の通りを歩くことはこれまで何度もあったけれど、松陰神社に行ったのは初めて。都内のオアシスのような場所で大木を眺めながら、社会の平穏と、自身の向上を祈る。

 

吉田松陰は松下村塾で、どのような講義をしていたのだろうか。塾生は、それをどう聞き、どう革命に活用したのだろうか。吉田松陰の生きざまを本で読んでは、自分もその考え方を仕事に活かそうと試みる。先人が考え、教え、受け継がれてきたものを、自分には関係ないと一言で片づけるのではなくて、じゃぁいまの自分だったらなにができるのか、と主体的に考えることこそが重要なのだと思った。周りで起きていることを他人事と考えずに、「自分だったら」という視点をもつ。それこそが彼の教えの芯のように思える。

 

覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰

覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰

  • 作者:池田貴将
  • 発売日: 2017/06/16
  • メディア: Kindle版
 

 

天職を探すのではなく、仕事のほうから要請される

土曜日。まとまった時間を使って読んだ本をもっと自身に染み込ませるにはどうしたらよいかを考える。その中で浮かんだのが「写経」。写経と言ったらお経を丁寧に書き写すことだけれど、本一冊分を、パソコンでつらつらと書いてみようと思いついた。そうすれば、ただ読むだけと比べて本の内容が頭に浸透するんじゃないかと思った。やってみた。1ページ目で、ダメだ、と思った。文章を少し読み、画面に打つ。その写す行為に意識が集中してしまい、うまくいかない。一度に頭に入れられる文章量もたかがしれている。時間がかかるわりに効果がまるで期待できない。新書ならなんとかなるんじゃないかと思ったけれど、無理だった。まぁ、早く気づいてよかった。

 

そこで次にやってみたのが、音読。自宅で独り、誰を気遣う必要もない状況だからこそできるのだけれど、これはすごくいい。自分の言葉のリズムで、好きなように読むことができて、かつ言葉が耳から入ってくる。読みながら、そうそう、そうなんだよ、と共感するその感度が、黙読よりも高まる気がする。そして、繰り返し読んでもっと自分の身体に染み込ませたい、と思うようになる。これなら続けられるかもしれない。自宅以外ではできないけれど。

 

 

キャリア教育について、果たして自分は大学時代に深く考えていたかと振り返ると、能天気で、何も考えていなかったんじゃないかと思う。せいぜいが、こういう分野の仕事ができたら有意義なんじゃないかな、と考える程度だった。自信のある「なにか」があったわけではないけれど、やはり自分には「天職」というものがまずあって、それをなんとか見つけよう、とはしていただろう。でも本当はその順番は逆なのだということをこの本で学んだ。自分にとっての天職を探すんじゃなくて、仕事の方から「あなたが必要ですよ」と要請されるのだと。「これ、やってくれませんか」と請われて、その要請者のためにやってあげる、他者のために尽くすことで初めて、自分にその仕事をする役割があることを実感できる。

 

いま自分が置かれている立場に立って、ただ漫然と「なにやってるんだろうな」とか「やりがいがなくてつまらないな」とか「物事はうまく進まないし、クライアントからはクレームを受けるし、しんどいな」とか考えて委縮するのではなくて、そのなかで現に自分が役割を担っていることに注目して、少しでも感謝されているという実感があるのであれば、その感触を大事にしなければならない。そう思った。

 

みなさんの中にもともと備わっている適性とか潜在能力があって、それにジャストフィットする職業を探す、という順番ではないんです。そうではなくて、まず仕事をする。仕事をしているうちに、自分の中にどんな適性や潜在能力があったのかが、だんだんわかってくる。そういうことの順序なんです。

 

与えられた条件のもとで最高のパフォーマンスを発揮するように、自分自身の潜在能力を選択的に開花させること。それがキャリア教育のめざす目標だと僕は考えています。この「選択的」というところが味噌なんです。「あなたの中に眠っているこれこれの能力を掘り起こして、開発してください」というふうに仕事のほうがリクエストしてくるんです。自分のほうから「私にはこれこれができます」とアピールするんじゃない。今しなければならない仕事に合わせて、自分の能力を選択的に開発するんです。

 

街場のメディア論 (光文社新書)

街場のメディア論 (光文社新書)

  • 作者:内田 樹
  • 発売日: 2011/07/07
  • メディア: Kindle版
 

 

 

呼吸する本

「呼吸」をテーマとした本屋。息を吸って吐くような、特別でない読書をすすめる本屋。そんな「読み手」目線での呼吸の他に、もう一つの視点がある。それが、本の視点。

 

 

自宅の壁面本棚が徐々に本で埋まっていくのを見ていると、もしもっと本が増えていって、本棚が足りなくなったらどうしよう、という不安が当然やってくる。一番自然なのは本棚を増設することだけれど、せっかくの光を取り込む吹抜、不用意に本棚を増やして空間を埋めるようなことはなるべくしたくない。

 

次に考えるのは、本棚はもうこれ以上増やさないと先に決めてしまって、その中で本を増やしたり減らしたりする、というもの。新しく増える分、読まなくなった本は手放すから、フロー型の蔵書になる。それも良いのだけれど、だんだん手放して良いと思える本が少なくなってくる一方、新しい本はどんどん増える。結果、器を先に決めてしまうというのにも限界がありそう。

 

頭の中のさまざまな妄想を経てたどり着いたのが、ドライエリア(地下住戸なのでバルコニーではなくドライエリア)に本棚を置くというもの。つまり、屋外本棚。材質は無垢の木ではなくスチールか?それともウッドデッキで使うようなハードウッドか?いずれにしても、本を置く場所を部屋の中に限定するからいけないのだ、と気づいた瞬間、視界が開けたような快感を覚えた。

 

 

本は紙でできているから、雨が降れば当然濡れて、ふにゃふにゃになるかもしれない(自宅のドライエリアは半分は上階のスラブが屋根になっているので、直接雨がかかるわけではないが)。雨でなくても、湿気が多ければ変形もする。本にとって水は大敵、というのが常識だと思っていたけれど、いや別にそれでもいいんじゃないの?と思いさえすれば、何の問題もないじゃないかと気づいた。普段風呂で湯船につかりながら、手で表紙を多少濡らしながらも本を読んでいるじゃないか、だいたい。

 

 

理想の本屋がある。アメリカはオハイにある「バーツブックス」。一軒家のこの本屋は、パラソルの下に本棚があるなど、完全に外気に触れた屋外本屋。「オハイの雨はまっすぐに落ちるので、決して本は濡れないの」という店番の言葉からは潔さがにじみ出ている。閉店中もコインを壁の穴にいれれば本を取ることができるという、無人直売所のようなしくみ。こういう信用によって成り立っているところにも、憧れる。

 

世界で最も美しい書店

世界で最も美しい書店

  • 作者:清水 玲奈
  • 発売日: 2013/02/26
  • メディア: 単行本
 

 

 

外気に触れて、本がふやける。紙は反れ、変色するかもしれない。しかしそれを、本の「呼吸」だと思えば、さらに本に愛着を感じることができないだろうか。本の呼吸を可視化した本屋。もしそんな本屋があったら、行ってみたいと思う。