気まずい共存

その一言でどれだけ人が傷つくか、いい加減気づいてほしい。言っていることは正論だし、そういう言葉を招く元凶が自分にあることは確かだから、認める。けれど、そういう言われ方をしたら、先へ進もうとする意志が削がれてしまう。それを言われる方のことは一切お構いなしなのだろうか。そう言われるようなことをしたこちらが悪い、この一言で片づけられてしまうのか。まるで刃物のような言葉の鋭さに、身体は委縮し、頭の中は真っ白になり、顔に熱を帯び、対抗する自身の言葉から滑らかさが消える・・・。そういうことは、いくらでもある。どんなとき?そんなこと、いちいち覚えていない。

 

他人の、自分ではまったく理解できない言動を、理解できないからはいおしまい、自分とは世界が違うんだ、と切り離すのは簡単だけれど、それでは世界はつながらない。自分が相手を「理解できない」と言って切り離すのは、同時に、相手が自分のことを「理解できない」と言って無視することと同義かもしれない。実際、相手もそう思っているかもしれない。

 

自分と考え方がまるで違って、まったく理解できない言動をするその相手は、どうしてそういう言動をするに至ったのか。それを理解しようと試みること。「それは違うでしょう」「なんでこちらを受け入れようとしてくれないんだ」と反論するのではなく、一旦は相手のことを受け入れること。無理に共感はしなくてもいいから、そういう意見があるのだということをまずは認めること。そうして、空間を共にすることが苦痛であってもそれに耐えること。「気まずい共存」をしていく覚悟をすること。それができる人というのが、ずっと自分が探していた「オトナ」の定義なのではないかと思った。

 

日本の政党政治、立憲デモクラシーをもう一度蘇らせるためには、「モヤモヤすること」を受け入れるしかない。気まずいパートナーとの共同生活に耐えるしかない。それでいいじゃないですか。気まずいパートナーとでも、一緒に暮らしているうちに、ちょっとずつでも意思疎通ができて、お互いの共通する政治目標が出てくるかも知れないんですから。一つでも合意形成ができれば以て瞑すべしです。

 

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