U:内田樹 -Uchida Tatsuru-

f:id:bibbidi-bobbidi-do:20190929160816j:plain

 

f:id:bibbidi-bobbidi-do:20190929160924j:plain

 

恥ずかしながら、というべきか、遅ればせながら、というべきか。学生時代は全く本を読まないダメな学生だった。そのときは多分読書のことを「勉強のためにやらなければならない義務」くらいに重くとらえていて、本の内容が頭に入ってこないことにイライラして、苦手意識をもっていたのだと思う。だから読めない自分に腹も立ったし、それで逆に拗ねて、読まなくたって死にはしない、なんて開き直っていたんじゃないかと思う。いまはその反動もあってか、人並みに読むようになったとは感じているし、昔ほど読書に対して身構えることもなくなったから、一冊の中で数行分の「いいこと」が頭に入れば儲けものくらいに思えるようになった。これが小さいころから読書少年だったら、もしかしたらこうはならなかったかもしれないから、結果オーライかもしれない。

 

そしていま、自分が本を読むためのモチベーションとなっているのが、彼の著書かもしれない。彼の本を、彼の思考を、きちんと理解して自分の頭の中で再現することができたら、もっと自分の仕事の効率も上がると思うし、人生も豊かになると思う。身のまわりで起こっていることに対して、自分は傍観者と決め込んでただ眺めているのではなくて、自分だったらこう考える、という自分なりの意見を持つことが大事だということを、いつも教えてくれる。そして、頭で考えないのは論外だけれど、では頭で考えたらいいのかというとそうでもなく、それだけではダメで、身体を健全な状態に保つことが大切だということも、教えてもらった。彼のいうところの武道的身体、自分にとっては中学高校時代に剣道部で培ってきた力のこと。人生で自分にふりかかってくるリスクから身を護るために自分はどう対処するかということは、剣道を修練してきた自分だったら当然考えるべきことだ。中学高校時代、練習が嫌で嫌で仕方なくて、でも強くなりたくて、でもなかなか強くなれなくて悔しくて、がむしゃらに稽古をしていたあの頃の自分の動きも、大人になったいまを丁寧に生きるために大切なことだったのだと、いまになって感じる。

 

「教育とは基本的におせっかいである」本を読むといつも印象的で、刺激的な命題に出会える。サービスがあって、それに満足したから対価を与える。提供者がいてお客がいて、「どうぞ」「ありがとう」がビジネスになる。そういう商取引だけでは説明し得ない社会の仕組みの中を自分はいま生きている。そういう、商取引では説明できない「どうぞ」「ありがとう」を、もっと意識して感じたいと思う。