本を読むとき、本に何を期待しているのか。たくさん本を読みたい!と思い、実際に本を読む、その原動力は何か。そんなことをふと、考える。
新しい知識を得たり、他人の意見を知ったりすると、いままでの自分にはなかった何かがぽっと身体に宿ったような、そんな気持ちになることがある。それによって、例えば昨日までは言えなかったことが言えるようになったり、逆に昨日までは瞬間的に頭に反論が浮かんでいたのが、反論せずやめておこうと気を静められたりする。こういうちょっとした変化を、私は成長ととらえている。そして、その成長の実感こそが、自分が本に期待することであり、本を読む原動力なのだと思う。
成長を実感したとき、それはほんの一瞬かもしれないけれど、「オッ自分、成長したな」と嬉しく感じる。高揚感と表現したらよいのか、恍惚感と表現したらよいのか、とにかくほんのわずかでかつ瞬間的な快感があって、それを繰り返したいという本能が、人に本を読むという行動を起こさせているのではないか。最近はそう思っている。
その一瞬の快感を、何かわかりやすい比喩で表現できないだろうか。そうだ、「電流」だ。松田聖子の「ビビっと来たんです」みたいな、電流。体中に電流が走るような、といった表現はよく使うしありきたりだけれど、これに近い。名曲を初めて聴いた時もそう。感動する映画の佳境に差し掛かった時もそう。心が動いた時の、なんとなく心臓が痺れるような感覚。この痺れをもたらす電流が、自身の成長を実感したときにも体中を流れるのではないか。
成長を実感できる読書を、しよう。