熊谷も冷たい空気

 

今日は熊谷へ。最近は1ヶ月に一度、必ず訪れる街だ。暑い街も、冬となるとさすがに寒い。空には雲が一つもなく、晴れというより、冷たい風をいっそう冷たく感じさせる空、といった感じだ。

 

一度だけ食べたことがあって、美味しかったラーメン屋さんの前をいつも通るのだけれど、時間が早いせいか、まだ開いていない。今度来たらラーメンを食べよう、と毎回思うのだけれど、通る時間が毎月ほぼ一緒なのでなかなか実現しない。寒い日だからこそ、アツアツのラーメンと、餃子を食べたい。ちょっと違う時間に行かなければ。

 

現れては消える雪

東林間へ。少し時間の余裕があったので、石窯ピザの店、一ノ瀬珈琲に久しぶりに立ち寄り、休憩。本当は中央林間で休憩しようと思ったのだけれど、目に入るお店は皆混んでいて、それなら東林間まで来てしまおう、と思った。お昼時も過ぎた頃だったからか、ゆっくりできた。東林間まで来てしまって良かった。

 

店を出て歩き始めた途端、雪が降り始めた。秒単位で急に雪の量が増えていく。5分ほど歩いて目的地に着くころには頭に少し雪が積もっていた。もしあと5分早く店を出ていたら、雪に気づかなかったくらいだ。

 

用件を済ませ、帰るころには雪はやんでいた。パラパラと降る雪は気まぐれで、急に姿を現したと思った次の瞬間には消えている。数センチ積もった景色もかつては当たり前だったけれど、それが珍しく感じるようになってしばらく経つ。今年は、もしかしたら積もらないのかな。

 

建築専門選書

本屋さんとして、何か他者と差別化できるような面白い企画はできないだろうか。そんな疑問とたたかう中で今日、クライアントからアイデアの種のようなものを受け取れた気がした。

 

学芸大学駅近くにタイポグラフィ関連専門書店があって、その周辺の勉強を今しているのだ、という彼にその書店を紹介したのが2か月前。そうしたら先月、「行ってきました」と早速教えてくれた。高い本ばっかりだったでしょ、と聞いたら、でもまぁ専門書はそれくらいしますから、と飄々と言う。専門書は確かに高い。しかしその分、得るものも大きい。万人が買うようなものじゃないかもしれないけれど、必要な人は必ずいる。そういう世界だ。

 

こうした「限られたジャンルの専門書店」って、少ないかもしれないけれど、それを必要とする人が一定数いる。そういう人から「関連本は●●に聞けば大丈夫」と信頼されるような仕入れができたら良いですね、と言われ、ドキッとした。そうか、今まではより多くの人に興味を持ってもらえそうな本を中心にセレクトしていたけれど、何かテーマを決めて、それに関する本を中心にセレクトするというのも面白い。中途半端だと心に残らないから、より深く。その結果、信頼してもらえたらこっちのもの。そういう選書方法も考えていかなければ、と思った。

 

例えば私だったら、建築という前職の知識、経験を生かせる。住まいづくりに関する本を中心に仕入れて、今まさに住まいづくりを検討している方、そこまで考えていないまでも興味がある方、趣味レベルで住宅のインテリア写真を眺めているだけで楽しい、という方に向けて本を紹介することができるだろう。

 

一貫性と深さがあれば、本当は前職にこだわらなくても良い。テーマを決めて、関連本を研究し、仕入れて、その良さを発信していく。そうすれば本屋としての視界が広がるのではないか。そう感じた。

 

久しぶりのDESK LABO

久しぶりに下北沢のDESK LABOへ。小さいお文房具屋だけれど、洒落ていて、つい手に触れて使いたくなるような文房具がそろっている。

 

私には一つ夢がある。「ミエナイイト」という名前の文房具屋を開くことだ。独立した文房具屋でなくても良い。本屋という自営業の中のいちコーナーという位置づけでも良い。とにかく、自分とその文房具との間に愛がある、愛でつながった文房具の良さを伝えられるような仕事をしたい。そのためのお手本のような文房具屋が、DESK LABOだ。

 

今日は小さい店内に多くのお客さんで賑わっていたので、ゆっくり見ることができなかったのが残念だった。これだ、と決めたのはPAPIER TIGREの鉛筆。初めて見たこの鉛筆はパリのステーショナリーブランドのもの。2色がくっきり分かれたデザインがきれいだし、マットな質感も良い。鉛筆を使って文字を書く、その行為自体を楽しむのに最適だ。これで筆不精に歯止めがかかることを期待する。

 

東京マラソンにエントリーする

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 

今年、東京マラソンにエントリーをしたい。抽選となった場合の当落は自分の力でどうにもできないので、運に頼るしかない。なので当選するという前提で、毎日の趣味でのジョギングに加えてフルマラソンを視野に入れた練習もする。もちろん、来年も東京マラソンが開催されるという前提での「やりたいこと」になるが。

 

東京マラソンで走ったのはいつだったか、と数えたら、2010年の2月なので、13年も前だった(※)。当時は、ダメ元でエントリーしたら当選してしまった、とうのが正直のところだ。初めてのフルマラソンはそれはつらかった。しかし同時に楽しさも感じ、また挑戦して、記録を更新したいと思った。しかしそれ以降、エントリーしても落選が続き、いつの間にかエントリーすることも忘れるようになった。そして13年が経った。

 

走ることに対するモチベーションは、フルマラソンという目標から、健康管理、体型維持、気分転換という日常的なものへと変わった。端的に言えば、気持ち良いから、走りたいから、走る。そう思うようになった。なので正直に言うと、東京マラソンを走るという目標を決めずに、つまり東京マラソンにはもう参加しないで、ただマイペースにジョギングを楽しみ続ける、そのことの方が関心が高い。

 

しかし、目標を設定することで走ることへのモチベーションがより高まるのではないか、というのが今の私の気持ち。目標がなくても当然、いつも通り走る。そこに新たな目標が加われば、もっと頑張れる。ハードルの高い目標を決めたがために気が散って挫折する、のではなく、やろうという想いが自分の身体に上書きされる。そんなイメージだ。

 

(※)

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久しぶりの美容院で

2か月ぶりの美容院。ちょうど年末年始に行くべきタイミングだったのだけれど、逃してしまっていた。だから髪が伸びてボサボサ。頭が鬱陶しい年始だった。

 

マスターに挨拶して、いつも通りの会話。スラムダンクの映画を観て感動したという。音楽の入り方が絶妙であるとか、原作当時の設定の経緯が今回明らかになって驚いたとか、そういったことを聞いた。ここしばらく映画は観ていないけれど、スラムダンクは相当面白いんだろうな。久しぶりに映画館に行きたくなった。

 

リビングに本棚

自宅の本棚は、リビングにある。リビングと言っても、一般的にイメージするであろう、ソファがあって、ローテーブルがあって、テレビ台の上にテレビがあって、というようなリビングではない。ソファに寝転がってテレビを見ながらくつろぐ場所をリビングと呼ぶのであれば、自宅にはリビングがない。3.6メートル×3.3メートルの空間の中に、壁に面したキッチンがあって、電子レンジ等が入ったカウンター家具があって、ダイニングテーブルがある。その空間、いわゆるダイニングが、私にとってのリビングだ。そして、その空間に本棚がある。食事中、記事を書いているとき、その他ダイニングにいるときに、本棚に並ぶ本の背表紙が目に入るのが、好きなのだ。自宅の中で一番多くの時間を過ごす場所に本棚がある。これが自分にとってなにより大事である。本棚が「さぁ、見てください」と腕を広げて近づいてくることを、私は無意識のうちに求めているのだと思う。

 

だから、たまに扉がついた本棚をインテリア雑誌等でみかけるけれど、そういう本棚には正直興味が湧かない。たとえ扉がガラスで透明であっても、扉が中の本を覆ってしまっては、わたしにとっての本棚の存在意義の大半はなくなってしまう。本棚は、並べた本を露出させるからよい。特に本を見たいときでなくても、背表紙が視界に入ったときに感じるインスピレーションを、それがどれだけあるのか実際のところ分からないけれど、大切にしたいと思うからだ。

 

本の背表紙がガチャガチャしていて、すっきりしないと感じることは正直ある。ただすっきりした、整然と整った部屋が落ち着くかと言うとそうではなく、やはり多少雑多な部分が見えた方が落ち着くように思う。私にとってのそれが、たまたま本の背表紙だった、というだけで、それが何かは人によって違うのだろう。

 

もちろん大前提として、本はインテリアではない。読むものである。だから「見せる」という捉え方に違和感がある、という意見もあると思う。その気持ちは私もよく分かる。だから私も「飾る」ものとは捉えていない。読むことに価値があるということは理解しているつもりである一方で、本を開いて能動的に読むだけでなく、本棚越しの本の背表紙が何気ないときに目に入り、そのときに脳内に何か壮大なイメージが広がる体験、それも読書だろうと今は思っている。

 

Bye by me

音楽を聴きながら日記を書く。部屋で、ひとりで。

 

いままでは、BGMとして音楽をかけながら作業をすることが苦手だった。理由は、気が散ってしまい、作業に集中できないから。もっとカッコよく言うと、流れている音楽を聴くことに集中したいから。そういう理由でBGMが苦手な人、他にもたくさんいるんじゃないだろうか。「正直に言うと、今世の中で流れている音楽の大半は聴けないんです」音楽家の大友良英さんが、医師の稲葉俊郎さんとの共著「見えないものに、耳をすます」の中で言っていたけれど、私は半分共感しつつ、もう半分はちょっと違った理由で「聴けない」。好きな曲は好きで、何度でも聴きたい。けれど、聴いているときは他に何もしたくない。昔から、BGM的利用ができない。

 

ただそれじゃぁ視野が狭いだろうともずっと感じていて、今、BGMとして音楽をかけてみようと試みる。YouTube Musicの配信曲を、Bluetoothでつないだスピーカーで。書くことに集中できないのは、意識が音楽に行ってしまうような、激しい曲が好きでそれを選ぶからだ、きっと。さらさらと水が流れる川のような曲を、小さな音で流せばいいんだ。本当は気づいていたはずなのに、なぜ実行しなかったんだ、いままで。

 

紅白歌合戦で大注目される「今」のミュージシャン。軽やかな口笛のメロディが胸に心地よい。

 


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パン屋

自宅の近くなのだけれど、普段歩かない道を今日は歩いて、パン屋に行った。美味しいと聞いていたそのパン屋のパンは、どれも大きめ。クロワッサン。パンオショコラ。そしてクリームパン。何回も行って買うにはちょっと敷居が高いけれど、たまに食べるのにぴったりだと思った。

 

帰り道に、小さい別のパン屋の前を通った。古く大きなマンションの1階にあるこのパン屋に、これまで気づかなかった。マンション自体は知っていたのに、その時は気づかなかったようだ。定休日だったのかな。

 

パンは普段食べるものであるだけに特に、いろいろな店のものを食べてみたいと思う。複数のお店のものを食べ比べてみたいと思うのは、パンに限らず食べ物に関しては皆一緒なのではないだろうか。ここのお店のこのパンが好き、この種類のパンだったらこのお店が好きかな、なんて言えるようになりたい。パンより断然ごはん党の自分が言うのも変だが。

 

書くことを続けると何かが返ってきそう

自宅でのんびりしながら日記を書いている。もう1月も6日になったから、「明けましておめでとうございます」的な気分ではない。さ、仕事をスタートさせよう、いつも通りに戻ろう、と加速している時、といったところだろうか。お祝いムードはいつだって一瞬で終わる。やってくるのも早いけれど、去っていくのはもっと早い。

 

日記というか、エッセイというか、雑記というか、そういった「心にやってきたことをそのまま文章にする」ことが習慣になって、書くことを続けて行ったら、十年二十年の月日が経った時に、蓄積された文章から何が得られるだろうか。そういうことをずっと考えている。このブログを始めた14年前は、できるだけ長く続けようとは思っていたけれど、正直14年後にも書き続けている姿は想像できていなかった。その「書くこと」を幸いにも続けられている現状を、誇らしく思う。と同時に、これからも書き続けようと思う。書き続ければ、何か言葉では言い表せない大きなものが自分の心に戻ってくるのではないか。今は文章を書いてネットにあげることで社会に放りだされているようなイメージだけれど、それらが何か実を結んで自分に返ってくるのではないか。そんな期待を、する。

 

体がほぐれる感じ

ジョギングを毎日の日課にしようと決めて2か月。それほどの苦もなく続けられているのは、この本のおかげかもしれない。

 

 

自分は「継続マニア」なのだ。そう思い込むことの力は大きいのではないかと思う。そうやって自己暗示をかけて、多少嫌でも続けてしまうようなシステムをつくってしまう。いや、「多少嫌でも」とか「気が乗らない日があっても」という言葉自体があまりよくないな。ただ「楽しいから」やっているのだ。誰に急かされるのでもなく、強制させられるのでもなく、自分がやりたいからやっている。やり続けることのメリットを自分自身が一番よく分かっているから、やっている。その気持ちに純粋に従っているだけだと思えば良いのだ。

 

走り始めは肌寒いが、走り始めてしばらくするとあたたまってきて、体が軽くなってくる。その「体がほぐれる感じ」が何とも言えない心地よさなのだ。今はその「体がほぐれる感じ」を毎日得たいという想いが、走る大きな動機づけになっている。何せそうしないと、全然体を動かさないまま一日を終えてしまう。そんな一日は過ごしたくないと強く思うくらい、体を動かすことを日課として意識できるようになった。

 

長めの休みに

平日の大学の仕事が思いのほか長い年末年始休みで、自宅でゆっくり過ごしている。こんなに何もせずのんびり過ごすのは、会社を辞めた直後、一昨年の8月以来じゃないだろうか。普通に会社員をしいていたらこれほどの休みはないだろうと思う。

 

約半月のこの時間を有意義に使って、2023年をロケットスタートしたいと思っているのに、体がうまく動かない。体のせいじゃないか、気持ちの問題だ。毎日のジョギングは淡々と続けていて、気持ちが良い。一昨日、久しぶりに会った家族に「もしかして痩せた?」と言われたときは、一瞬小躍りするくらい嬉しかったのを隠すのに必死だった。そうやって成果が目に見える形で現れるのが楽しみだという想いがあるから続けられるのだとも言える。

 

休みが明けたら、心機一転、精いっぱい働こう。平日も、もちろんそれ以外の自営業の方も。まぁこんなもんじゃないの?と自分で自分にブレーキをかけることだけは、やめよう。

 

 

裏の沼での思い出

昨日、少しだけ帰省して家族と話をしている中で、子供の頃のちょっと苦い出来事を思い出した。犬の散歩をしようと家族と家を出て、裏の沼の前を通った時に、その時の風景が目の前に広がった。

 

小学生のとき。家の裏にある小さな沼で、友達と釣りをしていた。当時その沼にはブラックバスがいたので、ルアーフィッシングの釣り具を買い、釣りを楽しんでいた。

 

友達が釣りに興じているそのすぐ後ろで、私はかがんで彼のルアーのボックスか何かを眺めていたのだろう。目の前で竿を振った彼のルアーが、私のまぶたに、ぶつかった。針が返しごとまぶたに刺さり、抜けなくなった。

 

眼球をやられなかったことに安心したのもつかの間、なかなかまぶたから取れない針に焦り、すぐに家に駆けこんだ。覚えているのは、うろたえた母がおもむろに日本酒をまぶたに塗り、針を取ろうとしたことだ。それを私は今日まで、滑りを良くして針を抜くアナログな方法だったのだろうと思っていたけれど、「消毒的な理由じゃないの?」と家族に言われ、ああそうか、と我に返った。アルコールで針と皮膚との摩擦が少なくなるわけがないか。

 

今でこそ半分笑いながらそんなエピソードを振り返ることができるけれど、もしルアーが数センチずれていて、失明していたらと思うとぞっとする。子どもの頃の遊びには、予期せぬところに危険が潜んでいるということを、大人になってから実感した。子を持つ親が、のびのび遊ばせたいと思う反面、危ない目にあったらどうしよう、と常にハラハラしながら子を遊びに送り出しているのだと思うと、泣けてくる。

半日帰省

昼間、半日だけ帰省。久しぶりに実家でのんびりと過ごした。いつも帰るとご飯を食べすぎてしまい、困る。そして、たまにはいいかと甘えてしまう。

 

今年4歳になる姪がとにかくかわいくて、デレデレしていた。成長の速さに驚く。身内という偏見を考慮しても、とてつもなくかわいく感じるのはなんでなんだろう。

 

社会人になってからも年末年始は帰省することが多いので、もう周囲ののどかさに驚かなくなった。そこで感じるのは、文字通りの「古里感」だ。まだ一応都内でやりたいこともあるし、いまの自宅での暮らしももう少し満喫したいから、この「古里感」はたまに味わうので充分だ。

 

2023

2023年。元日。

 

夕べは自宅で紅白歌合戦を見ながらの年越し。Superflyの歌にしびれて、加山雄三さんの最後の歌に感動して、桑田佳祐さん率いる時代遅れロックンロールに酔った。良い歌を聴いた時の興奮を忘れてはいけないのだと感じたのと同時に、今の曲ももっと味わわないといけないと思った。

 

年があけて、元旦は自宅でのんびりと。初夢おせちをいただいたのは今年で3年目。優しく美味しいごはんで、健やかな身体で1年を始めることができた。

 

気がついたら無数の情報に溺れてしまいそうな毎日だけれど、きちんと取捨選択して、情報に飲み込まれないように。そうして空いた心の隙間を、自分の能動的な行動を考えるために費やせるように。そのことを意識したい。