午前中、目的地へ向かう途中、ネットプリントをしなければと思い、セブンイレブンに立ち寄った。QRコードをかざすと、料金が提示される。A4用紙3枚分で60円。100円玉を入れた。しかし、何度入れても釣銭口から出てきてしまう。10円玉の釣銭切れ、と画面に表示されていた。10円玉でのおつりを必要とするため、100円玉は受け付けないようだ。財布の小銭入れを再度見る。こういうとき、ツイてないとため息をつくことが多く、今日も例外ではなかった。10円玉は5枚しかなく、あとは100円玉が数枚。ため息は出たけれど、こんなことはしょっちゅうだ。これくらいのことで挫ける私ではない。
ネットプリントをしたあとでボールペンを買おうと思っていたので、じゃあ先に、と一旦コピー機をあとにする。ボールペンを買った。レジで200円を入れる。おつりが出てきた。買ったボールペン(ジェットストリーム)は143円くらいだったので、おつりは50円ちょっと。なんと50円玉で出てきたのだ。目当ての10円玉がない、これじゃ意味がない、泣きっ面に蜂とはこのことか!と嘆いた。そして、嘆いていてもプリントはできないので、暑かったしまぁいいや、とペットボトルのポカリスエットを手に取り、再度レジへ。200円を入れ、10円玉を含むおつりをようやく手にした。ふう、と深呼吸をして、こんなことで焦るようでは大人とはいえないぞ、と自分を叱りながら、ネットプリントを済ませた。ほんの2~3分立ち寄るつもりだったのに、10分近くかかったので、目的地への到着が遅くなってしまった。
しかし、と店をあとにして歩きながら思う。最初に50円玉のおつりが来た時点で、その50円と手持ちの10円玉で、60円のプリントができたじゃないか、と。10円玉にばかり固執して冷静さを失った私は、普通に考えたら誰だって気づくようなことに、その時気づかなかった。どんな時もどしんと構えていなくてはいけないのに、と自分を責めた。もともとボールペンは買う予定だったから、それ自体は決して無駄ではないのだけれど、少なくともポカリを買う必要までは、なかった。自分はことお金に関しては浪費家ではなく、HONDAのスーパーカブ並みに燃費の良い人間だと自負しているのだけれど、こうして小さな無駄遣いを重ねる人間に、そんなことを言う資格はない。
そして。目的地へ歩きながら、さらに考える。最初、私が100円玉を先に入れたから、機械が10円玉でのおつりを必要とすると察知して100円玉を吐き出したのだ。もし先に10円玉を1枚入れて、その後に100円玉を入れていたとしたら。機械に入ったお金は110円。それで60円のプリントをするのなら、おつりは110-60=50円だ。50円玉の釣銭はコピー機に入っていたかもしれないので、50円のおつりなら出せると判断した機械が100円玉を受け入れていた可能性がある。10円玉の要らないおつり=50円となるように110円を、10円玉→100円玉の順に入れるという画期的なアイデアが、その瞬間に私の脳にひらめいたらの話だが。ただ残念ながら、私にそんな瞬発力はない。
もちろん、それでも100円玉は受け付けられなかった可能性はある。しかし、もしそれが受け入れられたとしたら。そして最初からそうしていたら。一旦コピー機を離れてボールペンを買いにレジへ行き、またコピー機へ、なんて動きをする必要はなかった。なんとしても10円玉を、と思ってポカリスエットを買った私の買い物も、完全に無駄だ。
午後、雨がやんだと思ったら急に太陽が出てきて暑くなった。日中の目的を済ませ、帰宅する直前に、かばんの中のポカリを飲み干す。今日はなんだか無駄に思える動きをたくさんしたし、いやいや、そもそもそういうことじゃなくて、普通に「釣銭が切れているので10円玉を補充してください」と店員に言えば済んだろうに、とも思ったのだけれど、結果、ポカリを買ったのは無駄ではなかった。熱中症にならずに帰宅するために、ポカリは買う必然性があったのだ、と自分に言い聞かせた。