計画を立てるための連休に

連休前に、まとまった時間をつかってあれをやろう、これも片付けよう、と意気込んだことはたいてい、実現しない。いや、実現「しない」というと、実現させる主体が自分にはなく、どこか他人任せなニュアンスが感じられてしまうから、使うのはやめよう。いつだって、実現させるのは他人ではなく自分だ。実現しないのではなく、実現させようとしていない。ただ、させようと思ってもかさせることができないのは、確かなのだ。

 

普段、忙しいときには時間を割くことができないから、こうした連休を使おう。そうやって計画すること自体は良いことだと思う。普段できないことができるのではないかというふうに気づいている、という点で。しかし、いざその時がやってくると、他のやりたいとが思い浮かんだり、なにもしなくても良いという安心感が何かをやるための気力を削いだり(これが一番大きな原因だ)して、結局手をつけられない。こうしたことをこれまで何度(何年)、経験してきただろうか。たいていのことができないと知っていながらも、懲りずに計画を立てたがるのだから、仕方がない。

 

ではどうしたら連休を後悔せず有意義に使えるのか。その一つにこれを書いている今、気づいた。何か自分がやりたいこと、行きたいところ、やり遂げたいことを実行するために費やすのではなく、それを計画するために費やすのだ。登山で山頂にたどり着いた瞬間よりも、山頂を目指して登っている過程に喜びがあると言われるのは、つまりはそういうことだ。計画を立てている時に、一瞬で消えることのない長期間的な興奮があるのであれば、それ自体を連休中のTODOにしてしまうのだ。

 

こうして連休中に計画したことを、連休明けの普段の日常を使って、仕事だとか家事だとかそういった日常的な制約をセットにして、実行する。何か月かかっても、何年かかっても良い。どんなに長くてもゴールデンウィークは10日程度、年末年始だって半月程度。それに比べれば実行期間ははるかに長い。これが自分にとっての有意義な連休の過ごし方であることに、連休最終日にようやく、気づいた。