修行論

内田樹「修行論」を読む。大型書店で、そういえばまだ読んでいなかった、と思って手に取った。自分は果たしてこれまで修行してきたと他人に言えるだろうか。あの時が自分にとての修業期間だった、と言える時期があっただろうか。いや、ないなぁ。

 

その修業にどういう効果があるのか。師匠の言葉に従うことでどういったメリットがあるのか。それは事前に外部から開示されるものではなく、修行した後に事後的に分かることである。よって、メリットを吟味してから選択する、いわゆる「消費者的な」態度をとる限り、修行を積むことができない(そのことを実感できない)。師匠は売り手ではない。師匠からの教えは商品ではない。受け手は教えてもらって当たり前、ではなくて、師匠にリスペクトをもって接し、自己研鑽する。それが修行なのだと、読んだ。

 

それによって得られる利益を事前に想定しないで、「なんのためにやってるんだろう」とわけが分からない状態であるにも関わらず、そうすることを促しているような体の感覚に従って、行動する。そういう修行を、しなければ。

 

 

道場は楽屋である。道場での稽古は試行錯誤の場であり、日常生活そのものが本番である。日常生活で自分に危機が訪れた時に、その危機から逃れるための身のこなしを得ることが武道の目的である。そう学んだ。大汗をかきながら、剣道の稽古に明け暮れていた中学高校時代に、その考え方をもっていたら、もっと稽古が楽しかっただろうなぁと後悔している。

 

「よほどの用事がない限り、外に出かけたりしない」という話を読んで、武道のひとつの到達点はそこなのか、と納得した。自分が攻撃された時に傷つけられないようにふるまうのはもちろん、攻撃されるリスクを伴う場所へ行かない、という選択をとること。危機から身をまもるという観点からは、暴漢をいなすこと以上に、暴漢に近寄らないことが重要になる。

 

漫画「バキ」の渋川剛気が、「危機にたどり着けぬのじゃよ」と言った。達人になると、自分を負かすような相手とは、そもそも出会わないと。ジャックハンマーと戦う直前によろめいて立ち上がれなかったり、前に進めない断崖絶壁の幻覚があらわれたり。そうか、それが武道のゴールだよな、と漫画を見て感動したのを思い出した。

 

修業論 (光文社新書)

修業論 (光文社新書)

  • 作者:内田 樹
  • 発売日: 2013/07/17
  • メディア: 新書