天職を探すのではなく、仕事のほうから要請される

土曜日。まとまった時間を使って読んだ本をもっと自身に染み込ませるにはどうしたらよいかを考える。その中で浮かんだのが「写経」。写経と言ったらお経を丁寧に書き写すことだけれど、本一冊分を、パソコンでつらつらと書いてみようと思いついた。そうすれば、ただ読むだけと比べて本の内容が頭に浸透するんじゃないかと思った。やってみた。1ページ目で、ダメだ、と思った。文章を少し読み、画面に打つ。その写す行為に意識が集中してしまい、うまくいかない。一度に頭に入れられる文章量もたかがしれている。時間がかかるわりに効果がまるで期待できない。新書ならなんとかなるんじゃないかと思ったけれど、無理だった。まぁ、早く気づいてよかった。

 

そこで次にやってみたのが、音読。自宅で独り、誰を気遣う必要もない状況だからこそできるのだけれど、これはすごくいい。自分の言葉のリズムで、好きなように読むことができて、かつ言葉が耳から入ってくる。読みながら、そうそう、そうなんだよ、と共感するその感度が、黙読よりも高まる気がする。そして、繰り返し読んでもっと自分の身体に染み込ませたい、と思うようになる。これなら続けられるかもしれない。自宅以外ではできないけれど。

 

 

キャリア教育について、果たして自分は大学時代に深く考えていたかと振り返ると、能天気で、何も考えていなかったんじゃないかと思う。せいぜいが、こういう分野の仕事ができたら有意義なんじゃないかな、と考える程度だった。自信のある「なにか」があったわけではないけれど、やはり自分には「天職」というものがまずあって、それをなんとか見つけよう、とはしていただろう。でも本当はその順番は逆なのだということをこの本で学んだ。自分にとっての天職を探すんじゃなくて、仕事の方から「あなたが必要ですよ」と要請されるのだと。「これ、やってくれませんか」と請われて、その要請者のためにやってあげる、他者のために尽くすことで初めて、自分にその仕事をする役割があることを実感できる。

 

いま自分が置かれている立場に立って、ただ漫然と「なにやってるんだろうな」とか「やりがいがなくてつまらないな」とか「物事はうまく進まないし、クライアントからはクレームを受けるし、しんどいな」とか考えて委縮するのではなくて、そのなかで現に自分が役割を担っていることに注目して、少しでも感謝されているという実感があるのであれば、その感触を大事にしなければならない。そう思った。

 

みなさんの中にもともと備わっている適性とか潜在能力があって、それにジャストフィットする職業を探す、という順番ではないんです。そうではなくて、まず仕事をする。仕事をしているうちに、自分の中にどんな適性や潜在能力があったのかが、だんだんわかってくる。そういうことの順序なんです。

 

与えられた条件のもとで最高のパフォーマンスを発揮するように、自分自身の潜在能力を選択的に開花させること。それがキャリア教育のめざす目標だと僕は考えています。この「選択的」というところが味噌なんです。「あなたの中に眠っているこれこれの能力を掘り起こして、開発してください」というふうに仕事のほうがリクエストしてくるんです。自分のほうから「私にはこれこれができます」とアピールするんじゃない。今しなければならない仕事に合わせて、自分の能力を選択的に開発するんです。

 

街場のメディア論 (光文社新書)

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  • 作者:内田 樹
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