だめだだめだ今日はやめだ メロディひとつできやしない

(ハンバート ハンバート/虎)

 

妙典で本屋の店番。社会人になってからずっと住んでいた街で本屋ができる縁に感謝しながら、本を並べ、来てくれた人と話をする。

 

店番の特権、ということでBGMにと用意したのがハンバート ハンバートのアルバム。「虎」という曲があって、これが大好きなのだ。ピースの又吉が登場するシュールなMVが特徴的だけれど、それよりも曲がすごく良いのだ。初めて聴いたのは家族の運転する車内で。イントロのピアノに一瞬でノックアウトされた。

 

創作が思うようにいかず酒に逃げる歌、というテーマそのものに「あるある」と共感するというよりは、そのつらさがにじみ出た曲の雰囲気に飲み込まれるのが心地よい。本屋のBGMとして適しているのかどうかは分からないけれど、イントロのピアノのメロディを、客のいない店の中でぼーっと聴いていた。

 


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2周

昨日に引き続き家に閉じこもり、本の発送作業やSNS発信をしていた。昨日の久しぶりのジョギングが身体にこたえたようで午前中は運動する気になれなかったけれど、午後になるとだんだん身体を動かしたくなってきた。なので夕方ジョギングをした。

 

いつもよりちょっと距離を伸ばして走ろうと思い、いつもの1周コースを2周走った。1周目の終わりの頃にはもうバテバテで、やっぱり1周だけにしようかな、とめげたけれど、これでまた1週間ほどは走らなくなるのだからと、ふんばった。2周目の途中で一瞬ハイになって、先ほどまでの苦痛が消えた。そして苦痛はまたすぐやってきた。2周目は終始ローペース。身体に鞭を打つようにしてなんとか走り終えた。

 

1周だと本当は物足りないくらい。だから2周くらい毎回走れるようにしたい。2周を無理なく走れるようにするのが一つの到達目標だ。

 

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週末、久しぶりのジョギング。平日の昼間、駅から仕事場まで20分近く歩くことを習慣にし始めたので、運動不足の認識はあまりなかった。けれど、歩くのと走るのとではまた違うようで、すぐにバテた。気持ちは良いのだけれど、身体がついていかない感じ。習慣って、大事なんだな。毎日続けることの大事さを、言葉では何度も口にしていたはずなのに、どこか信じていなかった。

 

久しぶりの再会

行きつけのカフェのスタッフが一昨年の3月、大学卒業と合わせてカフェのアルバイトも卒業した。それからもうすぐ2年が経つ。その彼女と今日、カフェで偶然再会した。「お久しぶりです。分かりますか」尋ねられて一瞬誰か分からずフリーズした失礼なわたしだった。

 

去年の3月に卒業してもうすぐ一年?なんて聞いたら、いやいや、一昨年の3月です、と言うから、わたしの中では1年もの時間の誤差がある。もうすぐ2年になる時間を1年たらずと勘違いしたのだ。時間感覚のずれが年々大きくなっている。なんとかならないものか。

 

その彼女に、改めて本屋になったことを報告した。「店主から聞いてました。びっくりしましたけど、でも安藤さんらしいなと思いました」その言葉を聞いて無性に安堵し、嬉しく感じたのは、なんでなんだろう。「自分らしさ」に無理にこだわって行動しているつもりはないのだけれど、結果、それらしさを発信することができているのかもしれない。

 

「毎日働く人間」か「定期的に休む人間」か

休みなく毎日のように仕事をして、移動してまわって、忙しく過ごす。そういう日常に一時期憧れていた。過労を自ら買ってでようというつもりはない。そうではなく、休まず仕事をしていても身体が音をあげないくらい、充実した仕事をしていたい、ということだ。いつだったか、テレビで河村隆一が「全然休んでないですね。一日も休んでないです。倒れるくらいまでやりたいんですけど、人間、案外倒れないものですね」なんて言っていて、仕事ってそういうことだよな、と思った。気が進まないことを他者から無理やりやらされて、重労働を強いられる、というような状況だったらつらいけれど、そうでなく自ら主体的に、工夫しながら動く。そうであれば、多少休みがなくてもやっていけるはずだ。

 

一方、前職で自分なりに深く考えて仕事してきて、休日の重要性は身に染みて感じていた。9年間の設計事務所勤務も、土日休みがなければ絶対に続かなかった。その前の建設会社の営業職だってそうだ。入社して間もないころの現場研修は日曜日だけが休みだったから、日曜日の有難さは半端ではなかった。それがなかったらそれこそ倒れていたと思う。毎日有意義に仕事をしたい、なんてのは夢物語に過ぎなくて、定期的な休みを必要とするのが自分の身体の現実なんだ。昨年自営を行うにあたり、会社員のころよりハードルを下げていいから無理しないようにしよう、と決意した。スケジュール帳に予定を詰め込みすぎないように、といつも自分が自分に言っている。

 

「毎日働く人間」と「定期的に休む人間」のどちらを目指すかというのは、決まった考えがなくて、その時の状況によってコロコロと変わる。昨日と今日とで傾向が異なることもある。大事なのは「自分はこっち」と決めることではない。仕事のパフォーマンスが向上するのであれば正直言ってどちらでも良い。働く時間はどうであれ、自分が思ったことをストレートに実行し、よりよい成果を求める。

 

妙典で本屋

仕事で妙典へ。昨年スポットで一日本屋を行った場所が、今度は棚貸し本屋に生まれ変わった。数人の「本好き」がオーナーの呼びかけで集まって成立。14日からスタートした。最初こそちょっと躊躇していたけれど、せっかくだから、と私も参加させていただくことになった。

 

妙典は一昨年まで暮らしていた愛着のある街。社会人になって独り暮らしを始めてから、14年間住んでいた。縁があって自由が丘に引っ越したけれど、また妙典に呼ばれて戻ってきたような気持ちだ。

 

まわりを見渡すと相変わらずの状況で、移動には若干のストレスがどうしても付きまとう。それでもせっかくのチャンス、無駄にしたくない。積極的に参加して、妙典に「本を読んで成長する人」を増やしたい。

 

下北沢~バンダナ

ひと箱本棚の仕事で下北沢へ行った帰り道、マーケットイベントに立ち寄った。お目当てのバンダナ屋さん(BANDAIYA)はいつもと同じ場所でバンダナを売っていた。いつも自分を見つけた途端に目を細めて微笑みかけてくれる素敵な夫婦だ。バンダナを、手を拭くハンカチとしてしか使っていない自分とは天と地ほどの差がある、お洒落な夫婦だ。

 

新しいバンダナを選びながら、他愛のない話をする。二拠点居住に関する本を以前買ってくれた二人は、福島と東京の「ダブルローカル」生活をいままさに実践している。自分も純粋な憧れをもっているけれど、ここまで実践している人はまわりではほとんど見当たらない。そんな新しく自由な暮らしを、本の力で多少なりとも後押しできたのかな、と一人勝手に喜んでいる。

 

成熟した大人の証

GLAYのHISASHIがYouTubeチャンネルを持っていて、そこで「カタカナ禁止飲み」という動画を投稿している。GLAYのメンバーが集まって「カタカナ言葉」を禁止しつつ楽しくしゃべるというもので、2020年の年末に引き続き第二弾の企画。GLAYには名曲が多く、またメンバーもいわゆるロックバンドのような「無理にかっこつけた」感じがなくて、昔から大好きなバンドだ。彼らの「他愛のないおしゃべり」である本動画は本当に中毒性が高く、部屋で何か別のことをしているときのBGMとしても活用している。一昨日くらいに公開された動画だけれど、もう5~6周は観ていると思う。

 

つくづく感じるのは、メンバーの「雄弁さ」と「自然体であること」。それこそ「誘惑」や「SOUL LOVE」、「サバイバル」を発表し、日本を代表するロックバンドと形容されることに違和感がなくなったころに、HEY!HEY!HEY!など音楽番組に出演していた彼らは、まぁ不愛想とまでは言わないけれど皆口数が少なく、声は小さく、ダウンタウンに突っ込まれたりしていた。それがいま、目の前でテーブルを囲んで飲んでいる彼らは上機嫌で、話題が尽きない。特にHISASHIはマシンガンのようにしゃべり、禁止であるはずのカタカナ言葉を、もはや言わないように注意することを放棄してるんじゃないかと思うくらい話して、メンバーの笑いを誘う。動画内の4人の中でHISASHIが一番口数が多いだなんて、1998年頃にテレビで彼らを観ていた人のうちいったいどれだけの人が信じるだろうか。

 

彼らのこの変化の原因は何だろう。そう疑問を持った時、そう言えばと、これまた大好きなLUNA SEAのメンバーも頭に浮かんだ。INORANとJはHEY!HEY!HEY!でもほぼ喋らず、RYUICHIとSUGIZOが普通にしゃべって真矢がいじられて大爆笑、なんてのが定番だった。Jに至っては、「お前ナイフ持ってないよな」とか「だいぶ、人をやっつけてるよな」とか言われて、かなりの強面のように映っていた。しかしいまやINORANもJも上機嫌で雄弁だ。INORANなんて「INORAN Bar」なんてニコニコ動画のチャンネルを持っているくらいだ。こうした変化を目の当たりにすると、彼らが当時決して不機嫌だったわけではなく、温厚でよくしゃべるのが本来の顔で、それがテレビの画面に反映されていなかっただけなのだろうと思う。そして何より、彼らが大人になるにつれて寛容になり、テレビ番組や動画チャンネル、イベントなどで多く語ることへの抵抗がほどけ、彼らなりに表現することに対する使命を果たそうとしているのではないかといううことを、わたしは画面越しに感じている。

 

GLAYもきっとそうで、タレントがテレビの枠を越えて自身のYouTubeチャンネルを持つことが常識になったいま、彼らも自身のチャンネルを持ち、音楽にとどまらず価値を届けてくれている。この「不機嫌(そうに見える状態)から上機嫌へのシフト」「無口から雄弁へのシフト」が、成熟した大人の証であることを示しているのだと思えてならない。

 

わたしもそうやって成熟した大人と思われるようでありたい。そんなことを考えながら、休日、彼らの他愛のない話を聞いてのんびり過ごしている。

 


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1ヶ月に一度髪を切る

尊敬する松浦弥太郎さんの本を読んで、これは自分も真似しよう、と思ったのは、定期的に美容院に行って髪の手入れをすること。彼は2週間に一度と言っていて、自分はそこまではいかないけれど、1ヶ月に一度髪を切ることを習慣にしよう、と決めてしばらく経つ。実際はひと月半で一度、3か月に2回といったところか。

 

髪を切ってもらった直後の清々しさは何物にも代えがたいし、長いこと短髪で生きているから鬱陶しさもない。今日、いつもの美容院で髪を切ってもらい、この習慣は律義に続けなければダメだと思った。まだちょっと早いかな、と思うくらいのタイミングが一番いい。だからやはり1ヶ月に一度がちょうどいい。

 

GRAND FINAL

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ここ数年恒例になっている、LUNA SEAのさいたまスーパーアリーナでのライブ。今年は年明け早々の参加だった。さいたまのチケットは当選確率が高く、びっくりしている。今年も幸運なことにチケットがとれた。1月に運を使い果たしてどうするの、年明け早々に楽しみがなくなっちゃったらどうするの、という不安はあったけれど、まぁそんな年もある。

 

演奏に関しては言うことはない。常に最大級の、迫力あるパフォーマンスを見せてくれる。「静寂」はライブで聴くと良さが何倍にもなる。音源化から2年のライブツアーを経て一番好きになった曲だ。

 

レア曲として演奏された「a Vision」には、痺れた。冷静に思い返すと21年前、生まれて初めて参加したライブが2000年12月26日、終幕直前の東京ドームだった。その時に聴いて以来だ。イントロのリフもベースソロも切れ味鋭く、しかも丁寧に弾かれていて、成熟を感じた。

 

「ツアー前と比べて確実に強く、大きくなった気がします」メンバーがそう言ったのを聞いて、あぁ、この2年間で自分も多少なりとも成長できたのかな、という実感が持てた。と同時に、自分をもっと成長させようとか、昨年までできなかったことを今年できるようにしようとか、いままで許せなかったことを許せるようにしようとか、そういうことを意識して、一日一日を大切に過ごすことが大事だと思った。

 

力走をパワーに

正月恒例の箱根駅伝は今年も面白かった。母校の東洋大学は往路こそ心配だったけれど、復路で徐々に追い上げていき、4位でゴール。もう完全に上位校になっていて頼もしい。

 

昼間の仕事でお世話になっている中央大学も、すごかった。1区で区間新記録をたたき出し、一位で襷リレー。昨年シード権を逃して今回予選会からの出場だったからこちらも心配していたけれど、強豪校であることを序盤で示してくれた。

 

自分の全力疾走くらいのペースで20キロ走ってしまう大学生がこんなにたくさんいる一方、自分は勝手にゴールを決めて「こんなもんだろう」なんて言っている。自分で自分に限界を決めてしまうほどつまらないことはない。いつも母校をはじめ学生の力走にパワーをもらい、今年一年自分も頑張らなければ、と焦る。

 

オトナの男の象徴としての木

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大きな木を見ると心が落ち着くのはなぜだろう。なんとなく答えが出ていそうで、しかしはっきりしないその問いを、考える。それは、木の大きさに自分の将来を重ねて、自分もこうなりたい、と思うからなのかもしれない。

 

古くからずっとそこにあるものは無条件で尊敬に値する。雨の日も嵐の日も、まぁ木だから当然と言えば当然だけれど、そこに立ち続け、葉や花を毎年つける。それって、すさまじいことだよなぁと思う。当然そこには、ずっと燃え続ける生命がある。誰もがその存在を意識していない時間も、関係なくその生命の火を燃やし続けている。

 

自分も、この木が立ち続けた年数にはとても及ばないけれど、生命の火を燃やし続け、自分から価値あるものを生み出して、それを提供し続けたい。そんな想いがほんの少しでも心にあれば、例えば数か月、もしかしたら数年、報われないなぁと思うような時間があってもうろたえずに、その先を見据えて行動することができるのではないか。

 

あたたかくなれば自然と枝の先につく葉も、春に咲かせる花も、太い幹の表面を覆う樹皮が無造作にめくれた様も。どれもが、木の生命のゆるぎなさを伝えてくれる。大きな木は、わたしにとって、おおらかで、寛容で、長く逆境に耐えて価値を生み出し続けるオトナの男の象徴だ。

 

今日明日、評価されようと思って

正月休み、1日だけだけれど帰省した。久しぶりに実家で家族と食卓を囲む。こういう時間が、かけがえのないものなのだと思う。

 

隣に住む伯父に挨拶。伯父が自身で会社を立ち上げたのが、いまの私よりほんの少し若い時だという。当然思い通りにいかないこともあったと言うが、もしかしたらもう続けられないかもしれない、そう思った時のほんのささいな行動が、その後の事業を決定づけることになる。何事も、諦めないことが大事なんだな。また、「いまないものの中にひそむニーズ」を探し当てることが大事なんだな。

 

「あのな、今日明日、評価されようなんて思ってやっていません」昔バラエティ番組で松山千春が言っていたことを思い出す。「100年が経ち200年が経ち、500年経ったときにだな」すかさずダウンタウンの浜ちゃんに「長いわ」と突っ込まれて笑いに包まれたけれど、言わんとすることは分かる。500年後に評価されたところで、死んでいる自分はその喜びを感じられないからそこまで達観はできないけれど、すぐに成果を出さなければと焦るその「せっかちさ」は静めなければならない。やるべきことをじっくり、考える。もちろん、やってみようと思ったらすぐに取り掛かるフットワークも、大切に。

 

会いに行こう わたしの好きな人に

元日はどうも外へ出る気になれず、もうすぐ夜になろうとするいままで、一日中家にいる。来てるかもしれない年賀状を取りにポストまで行くことさえ憚られたほどだ。このような出不精の自分を以前は「だらしないなぁ、ほんとに」と思い、改善することを諦めていた。けれど最近は、そんな態度を積極的にとれるようになった。無用なことのために外出する必要がないということは、内田樹の本を読んで学んだ。本当にその道を究めた武道家は、どうやっても危機にたどり着けないのだということは、「バキ」の渋川剛気から学んだ(漫画だ)。不用心に外出することで遭遇したリスクを、これまでの出不精のおかげでどれだけ回避できただろう。そう考えれば、この性格も悪いこととは言えない。そう思うことにしている。

 

とはいえ、初詣で気を引き締めることはしたい。久しぶりに実家に帰って家族にも会いたい。大晦日の紅白歌合戦で宮本浩次が「会いにゆこう わたしの好きな人に」といつものがに股で歌っていたから、まぁいいんじゃないかと思った。移動する以上、油断はしないけれど。

 


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死と価値観

大晦日、風呂に入りながら「まる ありがとう」を読む。養老さんの愛猫「まる」が可愛らしいのはもちろん、「死」についての考えに触れ、新しい刺激を受けた。都会人は犬猫を愛玩動物として飼育し、そこから死を遠ざけようとする。誰もが必ず通る道であるにも関わらず。だから死と向き合うと、例えば死体と向き合うと、いままでの価値観がガラッと変わるような体験になるのかもしれない。

 

医療が進歩して平均寿命が延び、それとともに個人尊重の価値観が進んで、1977年は「人命は地球より重い」という言葉が人々の耳に心地よく響く時代になっていた。そうして人一人の命が地球より重くなった結果、昔の人の意識にごく自然に備わっていた死に対するある種の諦念が希薄となり、生への期待が極端なまでに高まっていった。

 

死を意識した、と言ったら大げさだけれど、今年、いままでにない身体の不調に触れた。1週間の入院生活の中で心に生まれたのは、自分の身体に対する敬意。気づかされたのは、身体の神秘性。そして自分の身体に素直に敬意をもち、神秘性に気づくことができたのは、本のおかげだと思う。特に稲葉俊郎「いのちを呼びさますもの」「いのちはのちのいのちへ」は、自分の身体を大切にするための、私にとっての教科書になった。

 

そんな、本を読んで得した瞬間を、他人と共有したい。その想いが、本屋を始めて、これから地道に続けようとする原動力だ。「死体と向き合ったら自分の感性が変わって、これまでの自分の仕事への価値が全て違ったものに感じてしまうかもしれない」養老さんに解剖を見せてほしいと頼んだ作家の日野啓三さんが、「やっぱり、ちょっと考えさせてほしい」と躊躇した理由を、こう言ったという。私の場合そこまでひっくり返ったわけではないけれど、今年仕事をガラッと変え、新しいことを始めた私にとっては、価値観が変わる転機になったのが、今年だったのかもしれない。

 

まる ありがとう

まる ありがとう

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