死と価値観

大晦日、風呂に入りながら「まる ありがとう」を読む。養老さんの愛猫「まる」が可愛らしいのはもちろん、「死」についての考えに触れ、新しい刺激を受けた。都会人は犬猫を愛玩動物として飼育し、そこから死を遠ざけようとする。誰もが必ず通る道であるにも関わらず。だから死と向き合うと、例えば死体と向き合うと、いままでの価値観がガラッと変わるような体験になるのかもしれない。

 

医療が進歩して平均寿命が延び、それとともに個人尊重の価値観が進んで、1977年は「人命は地球より重い」という言葉が人々の耳に心地よく響く時代になっていた。そうして人一人の命が地球より重くなった結果、昔の人の意識にごく自然に備わっていた死に対するある種の諦念が希薄となり、生への期待が極端なまでに高まっていった。

 

死を意識した、と言ったら大げさだけれど、今年、いままでにない身体の不調に触れた。1週間の入院生活の中で心に生まれたのは、自分の身体に対する敬意。気づかされたのは、身体の神秘性。そして自分の身体に素直に敬意をもち、神秘性に気づくことができたのは、本のおかげだと思う。特に稲葉俊郎「いのちを呼びさますもの」「いのちはのちのいのちへ」は、自分の身体を大切にするための、私にとっての教科書になった。

 

そんな、本を読んで得した瞬間を、他人と共有したい。その想いが、本屋を始めて、これから地道に続けようとする原動力だ。「死体と向き合ったら自分の感性が変わって、これまでの自分の仕事への価値が全て違ったものに感じてしまうかもしれない」養老さんに解剖を見せてほしいと頼んだ作家の日野啓三さんが、「やっぱり、ちょっと考えさせてほしい」と躊躇した理由を、こう言ったという。私の場合そこまでひっくり返ったわけではないけれど、今年仕事をガラッと変え、新しいことを始めた私にとっては、価値観が変わる転機になったのが、今年だったのかもしれない。

 

まる ありがとう

まる ありがとう

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