大掃除

部屋の大掃除をする。いまの住まいに越してきたのが去年の4月だから、1年半経つことになる。昨年末に大掃除をした記憶があまりないので、今回が初めてかもしれない。重い腰をあげるとあれもこれもと見つかって、気づいたら汗をかいていた。

 

毎年、大掃除というのがあまり好きでなく、開始前はちょっと憂鬱になる。きれいになることが嫌というわけではない。さぁやるぞと意気込んで掃除しなければきれいにならないくらい、普段から掃除していない事実に嫌気がさすのだ。じゃぁ普段から掃除したら?それができないから困っている。自分の中に矛盾を抱えている。

 

終わった後はなんとなく放心状態で、特に外出しているわけでもないのに何だか大量に時間を費やしたようでつらくなる。年末年始は本来たっぷり時間があるはずなのに。その時間があるから、大掃除ができるのか。じゃぁ、まあいっか。

 

Season20-9 生まれ変わった男

シーズン20 第9話「生まれ変わった男」

 

20年前にスーパーで起きた刺殺事件について、自分は被害者の生まれ変わりだと名乗る若い男が突然現れる。彼は被害者が死亡したその日に同じ病院で生まれたという。公表されていない状況を言い当てていて、ただのいたずらとは思えない。そして彼の記憶をたどっていくうちに、驚くべきことが分かってくる・・・。

 

「被害者の生まれ変わりかもしれない」と見ず知らずの男が言ってくるという話からあぶり出されるのは、彼の出生に関する生々しいストーリー。そこから?というような部分から疑わないと真相にたどり着かない物語からは、逆に誰もが信じて疑わないシステムにも疑う余地があるのだと気づかされる。似たようなストーリーが過去にもあったような・・・それでもラストまでなかなか気づかない驚愕のカラクリで、はらはらする。

 

THE YELLOW MONKEYを推す

特別お題「わたしの推し

 

THE YELLOW MONKEY。彼らのことを「推し」と表現するとちょっとニュアンスが違う気がするけれど、「推し」→「スター」→「ロックスター」と変換すれば、しっくりくる。また、こんなカッコいい音楽があるよ、だからもしよかったら聴いてみてよ、と他人に推薦するという意味では、間違ってはいない。

 

中学生の頃に彼らを知った。虜になったことをよく覚えているのは、「MY WINDING ROAD」をCDで聴いたときだ。サビだけでなく、イントロも、Aメロも、ギターソロも、すべてに盛り上がりがある。サビ前の「とーきーのーなかでーいえー♪」が、かゆいところをピンポイントで掻いてくれる指のようで、とにかく心地よかった。

 

活動を休止し、そのまま徐々にフェイドアウトするように解散した彼らの復活を、「もうないんだろうな」と正直、一度諦めた。だから約6年前、2016年の1月に再集結というニュースを見た時は大げさでなく飛び上がったし、奇跡を感じた。

 

何よりもここでこうしてることが奇跡と思うんだ

(THE YELLOW MONKEY/ALRIGHT)

 

 

その後、今日までの約5年間、まるで中学高校時代に戻ったかのように楽しませてもらった。東京ドーム公演も2回も観ることができた。自分にとっての宝だと思った。

 

そして「シーズン2」と名乗る彼らの5年間の活動はまた幕を下ろした。しかしもう諦めることはない。「イエローモンキーはもう二度と解散しない」と吉井和哉が公言しているから。だから気長に、中学高校の頃の自分だったら気が遠くなるような時間であっても、待つことができる。いま目の前に彼らの姿がなくても、また姿を見せてくれるという期待だけが待つ動機づけになると知ったからだ。

 

今日、12月28日は彼らの誕生日。この日は武道館でライブをするのが恒例になっていて、今年も吉井和哉が武道館で演奏をしている(まさにいま!)。ハッピーバースデー。

 

どんな夢も叶えるあなたに会えたよ

どんな痛みにも耐えるあなたに会えたよ

(THE YELLOW MONKEY/DANDAN)

 

あっけない年末

東林間に遊びに行ったときは、たいてい立ち寄るロールケーキ屋がある。ふわふわのスポンジと生クリームが美味しい。そう頻繁に寄れる場所ではないので、東林間に来て、帰りに駅に向かいながら歩いていると真っ先に思い浮かぶ。今日もそうだったのだけれど、あいにく定休日だった。残念。でも年末年始は営業しているらしい。うらやましい。

 

手ぶらで帰る途中、門松の絵の張り紙を表に貼っている店が目に入り、年末を感じた。もうお店も閉まるくらいの年末なのか?と、自分が一足先に平日の仕事を終えて休みに入っていることを棚に上げて、言う。なんだかあっけない感じだ。今年も残すところあと4日。

熊谷~渋谷

渋谷から熊谷までの高崎線。目的地まで1時間以上かかる。実家の最寄り駅から池袋までの東上線がちょうど1時間くらいだから、それ以上ということになる。1時間電車内にいたら、たいていのことはできる。考え事をしていてもウトウトしていても飽きるくらいだ。電車内でスマホは見ないと決めているので、本を読むか目を閉じているかのどっちかだ。

 

行きは比較的すいていて座ったけれど、帰りはいつにも増して混んでいて、空席はポツポツ程度だったので、座らず立っていた。座ると楽は楽なのだけれど、慢性的な腰の痛みにさらなる負担をかけることになる。最近は、電車内ではなるべく座らないようにしようという意識が働くようになった。立った状態で1時間と少し、本を読んでは飽き、窓の外の景色をぼーっと眺めては飽き、目を閉じて考え事をしては飽き、を何ターンか繰り返してようやく渋谷に着いた。熊谷で乗ったときに目の前に座っていた女性は、彼女が新宿で降りるまでの間、途中座れる機会があったはずなのに座らず目の前でずっと立っているやせ我慢風の大男に、引いたに違いない。

 

君が羽を痛めたなら

君が羽を 痛めたなら 癒えるまでずっと 星を灯すよ いつまでも

(LUNA SEA / LUCA)

 

LUNA SEAの充電の知らせをオフィシャルで知り、心があたたかくなった。ゆっくり、マイペースに活動しているいま、何も言わずにそのまま活動休止することもできただろう。けれど彼らは堂々と発表することを選んだ。その優しさに一瞬立ち眩み、彼らのファンで良かったと思った。

 

LUNA SEAといい、THE YELLOW MONKEYといい、ファンであるわたしは彼らを待つ運命らしい。でも、「終幕」とか「解散」とか「活動休止」とか、そういう私の心にぽっかりと穴があくような時間があったからこそ、時を経て復活した「いま」がある。そう思えば、また訪れたぽっかりと穴があくような時間も、苦痛でなくなる。単純に慣れたのだとも言える。

 

不思議といま、落ち込んでいない。来月、さいたまスーパーアリーナで会える。手術で不調を取り除くRYUICHIに、大好きな「LUCA」のこの歌詞をそのまま伝えたい。

 


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Season20-10 紅茶のおいしい喫茶店

シーズン20 第10話「紅茶のおいしい喫茶店」

 

「紅茶のおいしい喫茶店」この言葉からたいていの人(一定以上の年齢の方)は、柏原芳恵の「ハロー・グッバイ」を思い浮かべるという。「紅茶のおいしい喫茶店 白いお皿にグッバイ...バイ…バイ♪」と始まる歌が有名のようだ。わたしはそれではなく、THE YELLOW MONKEYの「見てないようで見てる」の歌詞で知った。「紅茶のおいしい喫茶店 ななめ向かいのガルボ似 自信が化粧したようなプライドの奥は深いぜ♪」実際、コーヒーよりも紅茶にのめり込んだ時期もあって、文京区白山にあった紅茶専門の喫茶店を知ったときは、イエモンの歌を口ずさみながら何度か紅茶を飲みに行った。いまは閉店してしまっているようで、残念だ。

 

ここ数年は元日スペシャルくらいしか観られていない相棒。その最新話をテレ朝動画で後追い視聴する。サブタイトルは「紅茶の美味しい喫茶店」。歌謡曲を意識しているであろうそのタイトル通り、右京と冠城が紅茶専門の喫茶店で接客をしながら、正面の家具店に出入りする詐欺事件の被疑者を監視する。そこにやってきた不審な男女。詐欺事件の実行犯と踏むと、なんとその男女が喫茶店に入ってきて・・・。

 

紅茶に詳しい右京らしさが目立つキャラ回かと思いきや、事件が二転三転するスリリングな展開。この難しさと興奮が相棒の醍醐味だなぁと久しぶりに思う。喫茶店店主の酒井俊也がミステリアスで面白い。

 

登戸2号線 book

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面白そうな本のイベントがあるというので、久しぶりに登戸に遊びに行った。10年くらい前に営業の仕事で訪問していた駅前の街は、時を経てほとんど来たことのない街になっていた。どっちがどの方角なのかを掴むことが全然できない。

 

区画整理で工事中の建物や更地が並ぶ無機質な街路を歩いて、イベントのある空き地へ向かった。小さな本屋さんがたくさん集まるそのイベントは、建物がなくても空き地さえあれば人が集まって価値あるものを発信することができるのだということを教えてくれる。そうだ。楽しむ人が集まるような場所をどうにかしてつくりたかったんだ。設計事務所でコーポラティブハウスをつくりたいと思った衝動の原点は、「人が集い、楽しむ場所を創造したい」という想いだった。空き地に集まる人たちを見て、そんなことをふと思い出した。

 

懇意にしている「たね福」さんの糀ご飯をベンチに腰掛けて食べながら、束の間、のんびりした。昔だったら無意味に長居していたのだろうけれど、なんだかずっとは居られなくなって、店主とも話できたし、本もたくさん買えたし、そそくさと空き地を後にした。落ち着きがなくなったのは、きっとコロナのせいだ。

 

甘やかし

昨日に引き続いてジョギング。昼間まで自宅にいると、走りたくてうずうずしてくる。念入りに準備運動をして、身体がほぐれた感覚に満足する。家を出ると、寒すぎないちょうどよいいい天気でなんだか嬉しくなる。駅の方へ向かうと人が多くてつらいから、逆の方へ向かって走り出した。

 

気分は駒沢公園まで行ってコースを1周まわりたいくらいだ。でも昨日久しぶりにジョギングを再開したから、きっと身体がついていかない。ここで身体が「つらい」を覚えてしまうと、明日以降走る意欲が削がれてしまう。ここは我慢だ、と自分を甘やかし、いつもの10分程度のコースを走った。

 

拮抗

しばらくサボっていたので、久しぶりにジョギング。

 

10分ほど走ったらすぐにバテテてしまったので、やっぱり少しづつでも続けなければ効果がないのだと思う。無理に続けようとすると辛いから諦める→久しぶりに走ると久しぶりであることが原因で辛いことが分かる→少しづつでも続けようと誓う→続けようという想いが無理につながる→以下略。こうして無限にループする。自分の「〇〇しなければ」という強い想いと「まぁまぁ、そうは言っても」となだめる想いとが拮抗する。

 

とりあえず明日は続けよう。だいたい誰に強制されるでもなく自分の意志で走ってるんでしょ?でも平日はなかなか足が向かないんだよな。駆け出すことができるかどうかは、その日、強い想いとなだめる想いのどちらが勝つかによる。

 

本の定期便の面白さ

毎月必ず本が届く定期便(定期購読)で2店、本を読んでいる。ひとつは3年前に出会った絵本専門店による、絵本の定期便。もう一つは、地元からほど近い川越の本屋の定期便。どちらも自分自身で選びえないような本がさらっと届くので、面白い。自分も本屋として定期便事業を行っているけれど、一消費者として、定期便で届いた本を読むという体験を楽しんでいきたいと思っている。

 

定期便の面白いところは、次の3点に集約される。

①手紙をもらったときのようにうれしい気分になる

②読む本のバリエーションが広がる

③自分で本を買わなくても新しい本がどんどん増える

 

本であることとは直接関係ないけれど、わたしにとっては①による喜びが一番大きい。自分でお金を出して買っているにもかかわらず、その本屋から個別の贈り物を受け取ったような感覚を味わえるのだ。自分の責任で選んだ本ではなく、他人にセレクトして届けてもらった本、という位置づけだ。だから本棚に並ぶ本を眺めていても、どこか「自分で買った本」というより「プレゼントされた本」という目で見るようになる。

 

手軽に「本を贈られる」という経験ができる定期便。ぜひこの楽しさを、本好きで本をたくさん読む方はもちろん、普段本を読む習慣があまりない方にこそ、味わってほしい。

 

Island

心が疲れたら 歌でも歌いながら

あの日蒔いた種が育った

名前のない島へ行こう

(吉井和哉 / Island)

 

発表からだいぶ遅れて吉井和哉「Island」を聴いた。新曲「〇か×」を聴いて刺激を受け、その前の「みらいのうた」を聴きなおして、ふと思い出したからだ。とろけるようなバラードと言っていいのだろうか。「みらいのうた」も「BELIEVE」も「HEART」も「MY FOOLISH HEART」も「FLOWER」も、そして「Island」も、きれいなサビのメロディが肌を震わせる。

 

見慣れた街が遠くに消えていく様子に、故郷を離れる「HEART」の世界を感じる。自分にとっての見慣れた街と消えていく街を思い浮かべ、嘘みたいな現実を生きるための歌を歌う。

習慣にすること

何かをずっと続ける、ということについて、わたしが勝手に師としているのが、松浦弥太郎さんだ。例え小さなことでも、続けることに大きな意義があって、続けることで大きな成果が得られる。そう思っている。

 

とはいえ、彼に影響を受けて毎日続けようと思ったジョギングも結局は続かなかった。彼の真似をしていま続けているのは、1か月に1度美容室に行って髪を切ること(彼は2週間に1度行くらしい)くらいか。あと自営業のブログを毎日更新するというのは8月から続けていて、この週末限定ブログも12年以上続いている。書くことを地道に続けるということについてはちょっとだけ自慢できるかもしれない。

 

それにしても。隔月で行く打合せのあと、近くの笹巻けぬきすしに通うのがまる5年続いているとか、月に1、2回築地で朝食を食べる、それは茂助だんごの王子ぞうにと決めていて浮気をしたことは一度もないとか、そういった、まぁ頑張ってやることではないのだろうけれど、習慣にしているというのは、自分のオリジナルをつくるうえで大事だと思う。そういう「●●へ行ったら〇〇へ寄ることにしている」「1か月に1度は××すると決めている」という自分なりの習慣を、もっとつくりたい。

 

 

幼馴染

小学生のころからの幼馴染に、数年ぶりに会った。駅ビル内のカフェでそわそわしながら待っていたら、彼女は颯爽と、子供のころと変わらない笑顔でやってきた。4人の男の子を育てる母である彼女はそれはたくましく、しかし昔の面影もそのまま残していて、安心する。結婚して子供が生まれたと聞いた時は、大人への階段を先へと進む、そんな彼女に置いて行かれているように感じた。でも劣等感を感じているままではいられない。友達が頑張る姿に刺激を受けながら、自分も頑張ろうと思う。

 

いろいろと自営のことも応援してくれていて、嬉しかった。「誰でも応援するってわけじゃないからね。あなたのことは信用できるから」面と向かって言われたことに一瞬気づかず、だから、言われたことの重大さを少しずつかみしめるように味わった。

 

 

そば屋と散歩

久しぶりにジョギングをしなければ、と思いながら朝を迎えた。寒いくらいの気温でなかなか外へ出る気力がわかない。ただちょっと所要もあったので、散歩がてらに昼ご飯を食べに出かける。

 

目当てのそば屋は定休日。それではと気になっていた洋食屋へ行くも、行列ができていて断念。どうも行列に並んでまでそこで食べようという気になれない。それは食事をするところでも、例えばパン屋とかケーキ屋とかコンビニとかであっても同じだ。混雑時である昼に出かけるのが悪いのだけれど、列に並んで待つ一人になるのがなんだか嫌で、また今度にしよう、となってしまう。それに、行列ができるくらい繁盛してるなら、自分なんてお呼びでないだろう、という気分になる。なんて狭量で、ひねくれているんだ。でも本当なんだから仕方ない。

 

少し歩いて一度行って美味しかったそば屋に行った。こちらもにぎわっていたけれど、なんとか食事できた。想定以上に歩いたから、今日もジョギングはいいや。走りたい気分のときに、走りたいだけ走ったらいい。