オトナの男の象徴としての木

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大きな木を見ると心が落ち着くのはなぜだろう。なんとなく答えが出ていそうで、しかしはっきりしないその問いを、考える。それは、木の大きさに自分の将来を重ねて、自分もこうなりたい、と思うからなのかもしれない。

 

古くからずっとそこにあるものは無条件で尊敬に値する。雨の日も嵐の日も、まぁ木だから当然と言えば当然だけれど、そこに立ち続け、葉や花を毎年つける。それって、すさまじいことだよなぁと思う。当然そこには、ずっと燃え続ける生命がある。誰もがその存在を意識していない時間も、関係なくその生命の火を燃やし続けている。

 

自分も、この木が立ち続けた年数にはとても及ばないけれど、生命の火を燃やし続け、自分から価値あるものを生み出して、それを提供し続けたい。そんな想いがほんの少しでも心にあれば、例えば数か月、もしかしたら数年、報われないなぁと思うような時間があってもうろたえずに、その先を見据えて行動することができるのではないか。

 

あたたかくなれば自然と枝の先につく葉も、春に咲かせる花も、太い幹の表面を覆う樹皮が無造作にめくれた様も。どれもが、木の生命のゆるぎなさを伝えてくれる。大きな木は、わたしにとって、おおらかで、寛容で、長く逆境に耐えて価値を生み出し続けるオトナの男の象徴だ。