感謝

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12月10日。日曜日。

 

前日、東京ドーム公演のあと、その足で実家へ。妹の結婚式で。

 

神前式で、また身近な身内だけで。彼女らしいと思った。

 

友人や会社の同期、先輩の結婚式には何度も出席しているけれど、兄妹の結婚式となるとまた違った緊張感があった。正直、緊張した。

 

自分の知らないうちに立派になり、新しい人生を歩もうとしている彼女を、心から尊敬した。

 

親への想いを声を震わせながら伝える彼女を見て、自分も、感謝の気持ちをもっていままで以上に生きなくては、と思った。

 

何よりもここでこうしてることが奇跡と思うんだ

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12月9日。土曜日。

 

接骨、美容院と用事を済ませたあと、東京ドームへ。今年の自分にとってのビッグイベントのひとつが、THE YELLOW MONKEYの17年ぶりの東京ドーム公演だ。

 

17年前はドームに足を運べず、映像でしか見ていなかったけれど、その迫力はいまでも覚えている。しかし、活動休止を控えている彼らの顔にはあまり笑顔がなく、当時は全体的に「これで最後なんだ。しばらく会えないんだ」という悲しいムードが漂っていたように記憶している。と同時に、いつになるかは分からないけれど、必ず活動を再開してくれるだろう、という期待が、あった。公演直後に発表された「プライマル。」が明るくリズミカルな曲であることが、その期待を助長させた。しかしその期待は3年後、もろくも崩れ去ることになる。

 

それ以降、「復活なんてないんだろうなぁ」と諦めていた分際だったから、17年間、東京ドームに帰ってくるのを待ってましたよ、とは言えない。だけど、こうして17年という長い時間を経て再び帰ってきた彼らを迎えられることが、ただただ幸せでならない。解散を知った13年前の自分では想像もできないような奇跡だから。

 

何よりもここでこうしてることが奇跡と思うんだ

(THE YELLOW MONKEY/ALRIGHT)

 

ほんとにそう思ったよ。この歌詞はこの瞬間のためにあるんだと思ったよ。

 

「真珠色の革命時代」映像とストリングスの荘厳さに涙が出たよ。

 

「バラ色の日々」の歌い出し、一緒に歌って、完全に泣いたよ。

 

「My Winding Road」演ってくれたのがあまりにも嬉しくて、エマさんのギンギラギターとミラーボールに見とれてたよ。

 

「LOVE LOVE SHOW」世界のお姉さんとステージ両脇のM字開脚オブジェがエロチックすぎて、曲が入ってこないくらいだったよ。

 

なにより、過去の実績に想いを巡らせ、振り返るだけじゃなくて、これから進化していこうとする強い意思が感じられたから、嬉しかった。昔のままで行こう、と思っていたら、あんなギラギラな演出は企画できなかっただろうし。

 

最高な夜を、ありがとうございました。

 

砂漠

奥沢に「Children」というバーがあるということを、自由が丘のお店を紹介する「自由が丘の贈り物 私のお店、私の街」という本を読んで知った。そのネーミングを見た瞬間にぱっと頭に浮かんだのが、伊坂幸太郎さんの小説「チルドレン」だったから、その小説が店名の由来であることを知ったときは、驚いたのと同時に、自分と似たものに感動し、リスペクトし、店名にする彼らに共感を覚えた。「俺たちの仕事は奇跡を起こすんだ」という小説の中の台詞を合言葉にしていたという彼らに対して、先に良いアイデアを取られたかのように嫉妬した。ぶっきらぼうながらも奇跡を起こすように仕事をする陣内さんを想う。

 

奥沢2丁目?地図で調べると、奥沢神社のすぐ近くだ。へぇ、あのあたりに、そんな素敵なバーが。と検索をしていたら、いまは閉店しているという事実にたどり着いた。もしそのお店が存続していて、今夜も常連さんに美味しい料理と美しい時間を提供しているということを「奇跡」と呼ぶのだとすると、奇跡は起きなかったのかもしれない。しかし、彼らのことを何も知らない自分は、彼らが奇跡を起こすことができなかったなんて言える立場にない。

 

 

好きな小説の言葉に影響を受けて店の名前にするというのもかっこいいなぁ、と憧れの気持ちを持つことができた。自分もそういう合言葉になるようなフレーズに出会いたい。いや、もうあるはずだ。例えば・・・。

 

砂漠。伊坂幸太郎さんの小説の中で真っ先に格言調の言葉が思い浮かぶのがこれだ。「その気になれば砂漠に雪を降らせることだってできるんですよ」「目の前の危機を救えばいいじゃないですか。目の前の危機を救えない人間がね、明日世界を救えるはずがないんですよ」西嶋の言葉を何度繰り返し読んだことか。奇跡を起こすことを合言葉にするのなら。大風呂敷を広げるんじゃなくて、いま目の前にある問題を解決するために自分は何をしたらよいのか、ということを考えるなら。テーマに掲げる小説は、これだ。ぴったりだ。

 

砂漠。例えば本屋も雑貨屋もレストランもなにも近くにない地方に人を集めることが、砂漠に雪を降らせることと同じくらい難しいのであれば、それはやる価値がある。バー砂漠。ブックカフェ砂漠。ギャラリー砂漠・・・。どうだろう、いまにも雪が降ってきそうじゃないか。そんな価値あるお店を、いつかつくりたい。

 

 

彼らの合言葉が、本を介して、そのお店に行ったこともない下戸な男の目に留まり、その店名の由来であるエピソードから刺激を受けて、別の小説のストーリーを思い出し、新しいアイデアが生まれた。これもきっと彼らが起こした奇跡だ。

 

自由が丘の贈り物 私のお店、私の街

自由が丘の贈り物 私のお店、私の街

 

 

チルドレン (講談社文庫)

チルドレン (講談社文庫)

 

  

砂漠 (新潮文庫)

砂漠 (新潮文庫)

 

上野公園の記憶

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 美術館巡りで上野へ。国立西洋美術館の北斎展と、東京都美術館のゴッホ展。怖い絵展をやってる上野の森美術館には、130分待ちの行列。その異様さに気圧され、諦めた。行列嫌いな自分には、こういうとき我慢して並ぶ耐性がない。

 

北斎展では、西洋の画家が少なからず葛飾北斎の影響を受けているということがよく分かった。西洋の画家と北斎の浮世絵とを比較するように展示されていた。モチーフやアングルがぴったり。そうやって比較しながら見ると、異文化の人は日本の絵のこういうところに関心を持つのか、という気づきが得られる。

 

ゴッホ展では、北斎展と繋がっているんじゃないかと思うようなシンクロがあった。北斎の浮世絵もあり、それに影響を受けたゴッホの絵が並ぶ。確か、北斎展にもゴッホのバラの絵があった。立体感のある油絵だった。あっという間に出口まで来たという感じだったので、そのあとふと立ち寄った写実展も負けず劣らずのインパクトだった。写実絵の方が実は好きなのかもしれない。見ていて、その迫力に正直に感動できる気がする。

 

上野公園を歩く。初めてではないはずなのだけれど、以前いつ来たか思い出せない。あれは何の時だったか。あの時も確か、すごいことをする大道芸人に腰を抜かしたと思う。その大道芸人のパフォーマンスは今日も健在。随所で見物人を爆笑させながら、すごいことをやってのける芸人に、これからもこの場を盛り上げていってほしいと願う。

 

Flower Shop Hightower

花屋をやりたい、花を売りたい、というほんとにささやかな夢がある。自分の風体を知っている人からは「頭がおかしくなったか」と言われそうだけれど。でも仕方ない。実は店の名前までもう勝手に決めている。「Flower Shop Hightower」自分と花とを結びつけるキーワードが「ハイタワー」なのだ。

 

 

昔から大好きな洋画「ポリスアカデミー」。これに登場する心優しき怪力大男、モーゼス・ハイタワーが特に好きだ。身体は大きく、見るからに怖そうなのに、実は優しい。フックスちゃんを罵るコープランドを教習パトカーごとひっくり返したのは、何度見ても感動する名シーンだ(※)。

 

ハイタワーの家が実は花屋であることが、初期のポリスアカデミーで分かる。茎を切るハイタワーの顔は優しいおじさんそのもの。風体とのギャップにも驚いたけれど、なぜかそのときは「あぁ、こういう花屋さん、いいなぁ」と思った。

 

花屋って、どこか入りにくいイメージがあると思う。一度店内に入ったら、特に気に入ったものがなくても何かしら買わないと気まずい、というような。そんなに日常的に買うものでもないし、ふらっと入るのもためらわれる。もしかしてこう思っているのは自分だけか?もし皆もそう思っているのであれば、ちょっとでもその敷居を低くしたい。で、きれいな花でしょ?と語りかけるような心のゆとりを持ちたい。それとハイタワーが結びつかないって?いやいや、そういう心のゆとりのある男、器の大きな男の象徴が、自分にとってはハイタワーなんだ。

 

「Flower Shop Hightower」、どうでしょう。ポリスアカデミーを知っている人はその由来にピンときてクスッと笑ってくれるんじゃないかとちょっと思っている。ただ、その店名とハイタワーの風貌から、敷居の低いお店を想像するかというと、微妙だ。

 

 

何かふと思い浮かんだアイデアを、それが自分の仕事に直結するかどうかはひとまず置いておいて、蓄積したい。その蓄積が、新しいアイデアのきっかけになったら良い。こんな名前のお店があったら面白そうだな、とか、こういうコンセプトのイベントがあったら刺激的なんじゃないかな、とか。ささいなものでもいいから、思いついたものを書き溜めておこう。そのための「IDEA」カテゴリ。

 

(※)

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ピリカタント

夕方少し仕事。その帰り道、ちょっと早かったので寄り道をして、駅前のパスタ屋に久しぶりに立ち寄った。

 

自分と同じ名字の名札を付けたその店員さんは、しばらく会っていなかった空白期間を一瞬で埋めるかのようにやさしく微笑んでくれて、なんだか恥ずかしく、しっかりと目を見ることができなかった。シャイな店員さんだなぁ、と以前は彼女のことを思っていたけれど、自分も人のことは言えない。名字同様、その辺の性格も同じか?

 

 

ここに来たときは本を読みながら過ごすと決めていて、だから今日もカバンに入っていた本を取り出して、読んでいた。手紙生活のススメ。常々、筆まめでありたいと思いながら、なかなか実態が伴わない。

 

(文庫)ゆっくり、つながる 手紙生活 (サンマーク文庫)

(文庫)ゆっくり、つながる 手紙生活 (サンマーク文庫)

 

 

最後に活版のグリーティングカードを扱っているショップリストがあり、その中に面白そうなお店が載っていた。「本とごはん、日用品のお店だが、eggpressなどのカード類も」本屋とごはん屋と雑貨屋と文具屋が合体したお店?本とコーヒーを組み合わせたブックカフェは数あれど、ご飯を食べられる本屋はそうはないと思う。さらにそこに活版印刷のグリーティングカードがあるという。しかも下北沢。これは面白そう、ということで、今度はスマホを取り出して検索してみる。紙の本で得た情報の詳細をネットで調べる。すごいことがサラッとできるようになった。

 

「ピリカタント書店」いきなり閉店の文字が目に入り、そうかぁ、と落胆したのもつかの間、そのオーナーのいまの活動を知り、さらに驚く。自らの旅を経て、食を伝えるべくピリカタント書店の経営を始めて、いまは出張料理人としてさまざまな場所に食を届けている。ご飯を食べられる本屋というアイデアもありそうでなかったし、そこから発展して、どこへでも食を届けるという発想も、自由で面白い。

 

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インターネットで情報を発信する一番の強みは、距離という障害を超えられること。この当たり前のことに、気づかずにいた。例えば自分が何か価値を与えられるようなお店を持ったとして、お客さんに来てもらおうと思って情報を発信したら、実店舗のすぐ近くの人に来てもらって常連になってもらうのはもちろん、遠く離れた、とてもじゃないけど実店舗に来てもらえないような人にも知ってもらうことができる。そのときに、遠く離れたお客さんに価値を提供するには、来てもらうことを除くと、発送するか、持っていくかしかない。ここで、例えば手作りの料理などは、発送には向かない。とすると、直接届けに行くというのは、ごく自然で、当たり前の手法なんだと思う。そのことに、気づかずにいた。

 

そしてそれは結局、お店を経営するにあたって、実店舗という場所を限定した概念はいらなくなるということだ。都心にいたらそこには情報が集まり、人が集まり、だから地価が高くてもそこにお店を構える価値があると思っていたけれど、都心に実店舗がなくても、地方でも、それこそ町や村といった田舎であっても、都心と対等に価値を提供することができるということだ。

 

自分はいま都内で仕事をして情報を発信しているけれど、そのことに安心して、あぐらをかいていたらダメだな、と思った。自分という人間を評価してもらって、自分がどこにいようが関係なく求められるようであれば、距離という問題は解決できる。

 

 

人ありきで好きになれるお店を持てるのは幸せなことだ。もしその人とそのお店が切り離されたとしても、その人のファンでい続けられる、といったようなことがあったら、最高だ。インターネットは距離という物理的問題を飛び越えるんだ。と、多少時間があいても笑顔で出迎えてくれる同じ名字の店員さんに触れながら、思った。

 

BREATHE

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久しぶりにギターを手に取っては、新しい曲を覚えるでもなく、ただ思いつくままにぽろぽろと弾いて、ぽっかりと訪れる祝日を過ごした。新しいフレーズを覚えよう、という意欲は徐々になくなりつつある。それよりも、これまでに覚えたものを、より上手に弾けるようになれたら、という気持ちの方が大きい。今日だって、気づいたらいつもの間奏のアルペジオを弾いただけで、満足していた。

 

 

大学時代は、どうやって練習していたんだったっけか。定期演奏会前は、毎日講義終わりにサークルに顔を出し、楽譜とにらめっこをしていた。あのころはいまよりも記憶力も良く、覚えるスピードも速かっただろうから、昨日よりも今日、今日よりも明日、というようにどんどんレベルが上がっていく実感が持てて、楽しかった。ひとりでただ何の目標もなくやっていたのでは、絶対に上達できなかった。仲間がいて、ゴールがあって、あの空気があったから、できた。あの頃は、自分の将来について何も考えていないノーテンキな時期だったけれど、何も考えない代わりに、呼吸をするようにギターを弾いていたんだ。

 

 

いま、これ以上大きな音を出したら隣家からクレームが来るのではないかという心配もあるし、先述のとおり、新しい曲に挑戦しようという気概がなくなってしまった。だから必然的にギターを抱える頻度も少なく、気づくとボディにホコリをかぶっていたりする。それでも、卒業してからいままで手放すことなく手元に置いてきた大学時代の相棒への愛着は変わらない。

 

 


LUNA SEA GUITAR SOLO INSTRUMENTS 2 03. BREATHE

 

 

手創り市 雑司が谷

雑司が谷の手創り市に行ってきた。目的は、自宅近くの手作り市で以前出会った作家さんの箸を買うこと。いま使っている箸の先端が欠けてしまい、また表面の塗装は剥がれ、良い箸を探していたところに、素敵な箸をつくる作家さんに出会った。その時買うことができなかったので、今日こそはということで、初めて雑司が谷駅で降りた。池袋からもほど近く、都心といえば都心だけれど、大きな神社があるからか、下町的なのどかな空気がただよっていた。

 

箸も買ったところで、目的は完了したわけだが、これだけ多くの作家さんがいると、あれもこれもと欲しくなってたまらなくなる。敷地内をぐるっと一回りするころには、欲しいものがいくつも頭の中に浮かんでは、いやいや、無駄遣いしてはダメだとそれを振り切る。

 

大家さんが今日も来ていたと、お箸の作家さんから聞いた。今日もここで、自宅近くの次の手作り市へと作家さんを誘っているのだろう。そのバイタリティはほんとにすごい。いったいどのような視点で、作家さんに目をつけているのだろうか。でも、妙典に来てくれたら嬉しいなぁ、きっとみんな喜ぶだろうなぁ、という作家さんの作品がたくさんあった。

 

あれもこれもと見て回り始めたら、どんどん欲しいものが芋づる式に増えていきそうでよくない。情報の適度な遮断を。それを意識しつつ、それでも、素敵な作品をつくっている作家さんに対しては、それを買うことで、リスペクトを伝えられるようでありたい。

 

いまのロックバンド

腰痛の治療で接骨院へ。そこでの会話。

 

先生「ワイン飲みました?ボジョレーヌーボー解禁しました」

私「いや、飲んでないです。下戸なんで、ダメなんですよね」

先生「そうなんですか。まぁ実は僕も飲めないんですけれど」

 

先生「ところで、ライブとか行ったりしますか?」

私「へっ?・・・実は行くんですよ(わくわく)」

先生「そうなんですか?どこに?」

私「来月9日は東京ドーム。23日はさいたま」

先生「へー。なんていうバンドですか?」

私「23日はね、LUNA SEA。知ってますか?」

先生「そりゃ知ってますよ」

私「よかった。知らないって言われたらどうしようかと」

先生②「えー、LUNA SEAと聞いて黙っていられないんですけれど」

先生&私「えっ」

先生②「LUNA SEA、ぼくも好きですよ。かっこいいですよね」

私「かっこいいですよねぇ」

先生②「先生、メンバーちゃんと知ってますか?」

先生「し、知ってるよ。RYUICHIでしょ?あとドラムは知ってる」

先生②「それだけじゃダメじゃないですか。ギターはSUGIZO」

先生「あー、スギゾー!。知ってる知ってる」

先生②「ダメじゃないですか、それだけじゃ」

先生「じゃぁ、9日は?」

私「9日はね、THE YELLOW MONKEY」

先生&先生②「おー、イエモン!」

先生「よくカラオケで歌ったなぁ」

私「高校時代に解散しちゃった2大バンドがいまは復活して。ほんと奇跡ですよ」

先生「いいじゃないですか。じゃぁ最近のバンドではどうですか?」

私「恥ずかしいことに、最近のバンドはほとんど知らないんですよ」

先生②「先生は知ってますか。最近では、WANIMAとか」

先生「わ、わにま?なにそれ」

先生②「いやいや、すごい人気ですよ。紅白も出ますし」

先生「それ何人組?は、はやく覚えないと」

先生②「熊本出身の3人組バンド。覚えてくださいよ、ちゃんと」

先生「よし、覚えた。これで若い子に『ワニマ知ってる?』って言える」

私「笑」

先生②「あとSHISHAMOとか、人気ですよ」

先生&私「し、ししゃもぉ?」

先生②「知らないんですか?こっちは、ガールズバンド」

先生「それも、覚えとこ。女の子3人組ね」

先生②「ほんとに覚えました?」

先生「覚えたよ。これで若い子に『シシャモ知ってる?』って言える」

私&先生②「笑」

先生「ONE OK ROCKは、知ってるよ」

私「えっ?ワンオク知ってるんですか?すごいじゃないですか」

先生「それは知ってる。すごいでしょ」

私「森進一の息子なんでしょ?」

先生「えっそうなんですか?」

先生②「そこ知らないんですか?笑」

先生「え、じゃぁ母親は森昌子?そうだったんだ」

先生②「どっちかっていうと、母親似なのかなぁ・・・」

先生「じゃぁ、父親に似て、コブシきかせるのかな」

私「いやぁ、ワンオクがコブシきかせてたらおかしいですね」

先生「笑」

先生②「じゃぁ先生、女の子3人組バンドは?」

先生「えーっとね、えーっと、ししゃも!ほら覚えた」

私「おーー。じゃぁ、熊本出身の3人組バンドは?」

先生「えーっとね、えーっと、わ、わ、わに、わに、わにお?わに・・・」

私&先生②「ダメじゃないですか笑」

先生「わに、わに、わに、ワニマ!!」

私&先生②「おーー」

 

・・・という感じで、ロックバンド談議に花がさいた。自分の楽しみを他人と共有できたことが嬉しかったのとともに、改めて、高校時代にその活動に幕を降ろした、自分にとっての二大バンドがいまこうして復活し、年末にライブをやり、しかもそれを今年は体感することができる、そのことがただただ嬉しくてしかたない。

 

突然話に入り込んできた先生②が、グッジョブだと思った。おかげで、WANIMAとSHISHAMOを知ることができた。

 

美術館巡り

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美術館巡りにはまっている。といっても、いままで関心を持たずそういったところに足を運んでこなかった分を、取り返しているだけにすぎない。自分のまわりを見ると、当たり前のように気になる展覧会を見に行ったりしている。なにか新しいものの見方が自分につけばいいなぁ。美しいものにはどういうものがあるのか、それを知るだけでも自分に新しい尺度ができるのではないか、そう思って、このところ休日に出かけている。

 

今日は根津美術館。表参道に近い青山に17,000㎡超の庭園があるだけでも驚きなのに、その庭園の美しさ、居心地の良さと言ったら、なかった。刀装具の特別展も息をのむすごさだったけれど、それよりも庭園に心を奪われた。一度歩いただけでは足りない。何度も足を運んで木々を味わう、という人がどれくらいいるか分からないけれど、たぶんたくさんいると思うけれど、そういう人の気持ちもいまなら分かる。

 

美術館に何度も入っては作品を見ている、というシーンは、例えば相棒の「死んだ詐欺師と女美術館長の指紋」(※)であったり(ここでの美術館に入り浸る動機はちょっと違うけれど)、松浦弥太郎さんのエッセイ(◎)だったり、いろいろなところで登場する。自分もそんなことを、さりげなく楽しめるオトナでありたいと思う。

 

(※)

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(◎)

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吉祥寺とエスプレッソ

この街に来て昼ご飯を食べよう、ちょっと休憩しよう、と思ったらここと決めているお店がある。ビルの地下にあるその穴倉的喫茶店の入り口には、十中八九「●●名様以上のご案内はできません」という案内盤が。自分がいまその店に入ることで、この案内盤が「只今満席です」に変わってしまうんじゃないか、と言う不安が頭をよぎる。それでも勇気を振り絞って入ると、いつものマスターが出迎えてくれる。その「いつもの」感が、なぜか自分を安心させてくれる。

 

「SEINA CAFE」エスプレッソの専門店で、だからここへ来たらエスプレッソしか飲まない。その代わり、エスプレッソはお代わりができる。一杯の量が少ないからすぐ飲み終わっちゃうけれど、2杯飲めば、かなり満腹感を味わえる。最近は、お代わりが「できる」を通り越して、1杯目を飲み終わってしばらくしたら何も言わずにマスターが2杯目を持ってきてくれるようになった。エスプレッソを推す意気が、なんだか嬉しい。

 

そんなマニアック度の高い喫茶店に出会ったものだから、吉祥寺という街と結びつく自分にとってのイメージは、かなり特殊なものとなった。「吉祥寺と言ったらポーカーフェイスのマスターがいれてくれるエスプレッソ」なんて言う人、他にいないだろう。もっと他に分かりやすくて面白い景色があるんだと思う。だからこそ人気の街となっているのだと思う。でも、もっとマニアックで、ターゲット層狭いだろうなぁっていうお店もたくさんあったりする。私にとっての吉祥寺は、ハモニカ横丁でも井の頭公園でもキラリナでもなく、地下の小さなエスプレッソ専門喫茶店なのだ。

 

今日、吉祥寺での仕事を終えた後、寄ろうかなと思ったのだけれど、仕事の後で早く帰りたいという気持ちがどこかあったのか、スルーしてしまった。休日は特に人が多く賑わう街だからきっと入れないだろう、入れてもゆっくりできないだろう、という気持ちもあった。ここに来るときは、もっと気持ちにゆとりがあるとき、ゆっくりできるときにしたい。

 

ホワイトラビット

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いま別の長編を読んでいる真っ最中だから、それを読み終えるまで待っててね。少し前に、そう言って書店で手に取らなかった新刊(※)を、結局はネット書店で買ってしまった。舌の根も乾かぬうちに、とはこのことを言う。しかし、それを待っていたらいつまで経っても読めないのではないかという不安もあったのだから仕方ない。それくらい、いま読んでいる長編に苦戦中。

 

(※)

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兎田孝則は誘拐稼業。頼りない猪田勝と一緒に組んでターゲットを誘拐する。自分は与えられた仕事の一部をこなしているだけだ。そうして淡々と仕事をするが、新妻の綿子ちゃんが誘拐されてしまう。

 

おなじみの空き巣、黒澤も登場。どんなストーリーが展開されるのか、いまから楽しみ。

 

そんなことを考えた、3連休最終日の朝。

 

建築をつくるうえでのポリシー

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すごいと思う人、すごいと言われている人に少しでも近づきたくて、その人が読んだという本を読んでみたり、考えていることを辿ってみたりする。今日、国立新美術館へ行ったのも、彼が建築を通して発信している考えをなぞりたいと思ったからだ。

 

安藤忠雄展「挑戦」は、文化の日を含む3連休の最中とあって、混雑していた。建築を学ぶ学生さんや建築を仕事にしている社会人が中心なんだろうと思っていたら、高齢の方や若いカップルなど、幅広い年齢層の人が観に来ていて、びっくりした。正直「そんなに興味ないだろ」と思ってしまうような人がジーっと模型を眺めている姿を見て、もし自分が重い腰を上げて今日ここに来なかったら、社会から取り残されていたんじゃないかという気持ちになった。来てよかった。

 

実寸大の「光の教会」のインスタレーションに入る。もう夕方であたりはだいぶ暗くなっていたけれど、コンクリートの隙間でできた十字架から淡い光がさしこんで、幻想的な空間をつくっていた。椅子に座ってしばらくジーっとしていたい気分だった。

 

余白をつくるということ。特に目的を限定しない空間を用意するということ。その考えは、自分にとっての仕事、コーポラティブハウスの企画や設計にも当てはめることができる。人が集まるきっかけとなる空間を用意すること。企画の参考にしたい。

 

建築は必ず老朽化し、いずれその役割を終える。その流れに抗おうとする試みこそが、建築をつくるということなのかもしれない、と彼は言っていた。そして、物質として残すのではなく、人々の記憶に残るようなものをつくりたい、そのための方法が、光や風といった自然を取り入れることなのだ、とも。物理的に長持ちする建築ではなく、人々の記憶にずっと残る建築をつくりたい。そのように考える方なんだ、と知った瞬間に、建築的センスのなさに建築設計の道を早くに諦め、「建築学科を卒業した」なんて恥ずかしくて堂々と言えないような自分でも、想像力を働かせることで(もちろんその想像力の源となるための知識・知恵を蓄えることは必要だけれど)実現できるんじゃないか、と思った。

 

彼の建築に対する一貫したポリシーが共感を呼び、たくさんの来場者を呼んでいるのだと思った。コンクリートという素材を用いて、極限まで単純な幾何学的形態の中に都市における複雑な居住機能を組み込む。では、自分が仕事において建築をつくるうえでのポリシーはあるだろうか。自分が住宅を供給する目的は何か。それが自分でなければならない理由は何か。自分に与えられた役割は何か。そこまで考えた時に「これだ」と言えるものがないことに気づき、恥ずかしくなった。

 

命を再度吹き込むということ

新しくモノを買うということよりも、いまあるものを大切に、直しながら使うということに、いまは興味がある。せっかくの臨時収入、なにか有意義なことに使いたいなぁと考えて思い浮かんだのが、傷ついてしまったものを回復させること、一度途絶えた命を再度吹き込むことだった。

 

 

履き心地がすごくよくて、気に入っているスニーカーがある。素材感もよくて、ただカジュアルなのとは違う雰囲気がお気に入りだ。初代を買ったのはもう2年くらい前か?それ以上か?

 

しかし、履き続けていたらそれは劣化もする。ラバーソールについには穴があき、雨水が入ってくるようになった。あぁ、とその瞬間は落ち込んだのだけれど、修理するという機会を得たのだというように気持ちを切り替えた瞬間に、気分が晴れた。四代目を買ったとき店員さんに「古くなったらソールの張替えも承ります」と言われ、その手があったか、と手を叩いたのだった。

 

ラバーソールに穴があいてしまった初代と二代目をお店に持っていく。若いお兄さんにてきぱきと案内され、あっという間に手続きは終わった。納期は40日後。ちょっと時間はかかるけれど、その待つ時間がまた楽しみでもあるのだ。

 

 

もうひとつ、命を吹き込みたいと思っているものがある。大学時代に買った思い出の腕時計だ。デザインが好きで、いま眺めても楽しめるのだけれど、充電式のその電池がダメになってしまい、充電しても動かなくなってしまった。それで使わなくなってしばらく経つ。

 

そんな彼をよみがえらせたいと、ふいに思った。修理方法は、不明。そもそも、もう販売していないので名前で検索しても出てこない。「WALG」(win a losing game/逆転勝ち)という名の、剣をモチーフにしたリコーエレメックスの時計、といったら、分かる方は分かるでしょうか。この時計の修理方法も、それにいくらかかるのかも分からないけれど、直して、これを腕にはめてワクワクしながら大学生活を楽しんだあの頃に、気持ちだけでも戻りたい。

 

日々勉強

国立新美術館で10周年記念展が開かれていると知ってから、改めて氏の本を読み直している。細かいことは抜きにして、それが本当に正しいかどうかは別として、とにかくがむしゃらに、一心不乱に取り組む、その姿勢を、自分も大切にしたいと思いながらこれまでやってきた。だけどそう簡単にまねできることじゃない。あとで振り返って、自分はがむしゃらに、一心不乱にやってこれたなぁ、と思えるかどうかが、自分の仕事の達成度のバロメーターになるのだと思う。

 

「その方法が正しかったのか、いまでもよく分からない」そうか、どんな人だって、自分の判断が結果として正しかったのか、それは分からないんだ。

 

日々勉強。いまやっている企画展。こういうのに行って、肌で触れようとしなければだめなんだ。行かなきゃ。

 

安藤忠雄 仕事をつくる―私の履歴書

安藤忠雄 仕事をつくる―私の履歴書