スイーツ男子

「もしかして、スイーツ男子ですか」そう突然話しかけられ、驚いた。目の前の女性が「話しかけちゃまずかったですか」といった顔でこちらを見ている。「あ・・・そ、そうなんですかね。まぁ、よく言われますけれど。甘いものは大好きですね」初めて会話するようにギクシャクした感じだったけれど、なんか胸にしみるものがあった。

 

 

午前中の仕事と夕方の仕事との合間で、昼間にぽっかり時間が生まれた。事務所でしばらく事務処理をしていたのだけれど、休日に集中力が出せないという自分の悪いところがあって、はかどらない。思い切って切り上げて、いつもは通勤で通り過ぎる事務所の数駅手前の駅に行った。気になっていた小さなセレクト本屋があったからだ。

 

学芸大学。大学の名前が駅名でありなら、その大学の面影はもはやない、そんな不思議な街。数分歩いて目的地である本屋にたどり着くと、すでに数人が表に出ている本を覗いていた。店内に入ると、学生っぽい感じの青年が店員さんに話しかけている。小ぢんまりとしていながらも荘厳な本棚が、神経をぴりぴりさせる。ほとんどが読み切れる自信がない、そんな本ばかりだ。でも、そんな本棚からこれだという一冊を選ぶプロセスが、なんか心地よいんだ。

 

人気店らしく次々と入ってくるお客さんたちがいて、徐々に小さい店内がさらに狭くなっていく。こういうときゆっくりできないたちで、そそくさと店を出てしまった。今度、またゆっくり見に来ようと思った。

 

だいぶ時間が余ってしまった。次に行こうと思っていた喫茶店は行列ができてて入れないし、もう一つ、セレクト本屋があることを雑誌で見た気がするなぁと思いながら場所が思い出せず、あきらめて、ひとまず休憩しようと、入れそうな喫茶店を探した。そして見つけたのが、賑わいのある通りから一本入った路地裏のカフェ。2階。普段だったら見過ごしてしまいそうだけれど、自然とそこに引き寄せられたのは、「2階で入りづらいかもしれませんが、お気軽にどうぞ」と書かれた立て看板があったからだ。「気軽に」って書いてあるんだから、気軽に入ったらいいんだ。

 

店には他にお客さんはいなかった。ゆっくりできるなぁと思い、コーヒーと、その時無性に甘いものを欲していたので、チーズケーキを頼んだ。これだから太ったとか言われるんだよ、と半分後悔しながらも、初めての店でこうやってケーキを食べることで新しい何かに出会えるかもしれない、なんて変な期待を、した。そうしたら、おとなしそうな女性店員さんに、冒頭の質問をされたのだった。

 

 

「そうなんです。こんな風体して、おかしいですよね。喫茶店に一人で入って、ケーキセットなんて頼んじゃうような、ちょっとアレな感じなんです、自分」よっぽどこう言おうとしたけれど、言えなかった。その前に、「男性は恥ずかしくてなかなかケーキを頼みづらいらしくて。そんなの、ぜんぜん気にしなくていいのに」という店員さんのホスピタリティあふれる言葉を浴びて、何か自分が救われた気持ちになったからだ。「確かに恥ずかしいですけどね。私も、注文はできるけど、人にはあんま言えないですね」でも食べたいときがあるんだから仕方ない。

 

その後、本屋目的で学芸大学に来たという話をしたら、別の本屋を2軒紹介してくれた。2軒とも面白そうだ。さらにそのうちの1軒が、頭の中になんとなく残っていた、雑誌で見た本屋だった。場所が分かって良かった。しかも、さっき行った本屋のすぐ近くじゃないか。

 

夜のバーがメインだというそのカフェは、休日の昼間のみオープンしているという。「こらからその本屋、行ってみます」と言うと、「じゃあ、今度感想聞かせてくださいね」と彼女。「わかりました。また来ます。今日は話しかけてくれてありがとうございました」こうして、また来ようと思える新しいお店ができた。最初こそ、バーメインのお店で片手間でカフェもやってます、みたいな感じなのかなぁなんて失礼な印象をもっていた。そんなイメージが変わり、また来ようと思った決め手になったのは、店員さんが、つまらなそうにしている(決してそんなことはないけれど、そのように見えたのかもしれない・・・)自分に、「この裏路地を歩いてて、看板見てそれで気軽に入ってきてくれて、嬉しかったです」と、こっちも嬉しくなるような言葉をかけてくれたことだった。

 

エッセイからつながる旅

昨日行った天王洲ハーバーマーケットで、気になっていた本屋に出会った。「SNOW SHOVELING」事務所からそう遠くない場所にあるこの本屋を雑誌で知り、興味をもったのがきっかけだ。出店リストに雪かきスコップの名を見た時は、チャンスと思った。

 

ケーキ屋、花屋、服屋、雑貨屋、キッチンカー・・・。いろいろなお店が集まる倉庫の中に、その本屋はあった。L字型のテーブルに並ぶ本と、椅子に座る髭の男の人。スマホをじっと眺めている。私が足を止めて本をじっと見ていても、しばらくスマホから目を離さない。気難しい感じの人なのか?

 

短い文章だけ書かれた封筒に文庫本が入っている。福袋と同じ理屈で、本の中身は開けるまで分からず、封筒に書かれた文章からインスピレーションを受けたら手に取ってみよ、というもの。面白い企画だと思い、「半径5メートルの幸福」と書かれた封筒と、もう一冊、松浦弥太郎さんがインタビュー相手の一人として入っていた、写真家の若木信吾さんの本を買った。二冊を差し出した時、初めて男の人と目が合った。優しい笑顔。気難しい人ではという疑念が、一瞬で消えた。

 

「松浦弥太郎さん、ひょっとして好きではないですか?」そう尋ねることができたのは、その優しい笑顔に肩の力が抜け、同時に勇気がわいたからだ。「えぇ、好きですよ」「実は僕も」「そうなんですか。どの本が?」「そうですね。いろいろ読んでますが、一番は『くちぶえサンドイッチ』ですかね」「あぁ!いいですね。僕は『場所はいつも旅先だった』ですね」会話は弾んだ。自分なりの基準で本を選んでいる、そういう人が好きだという本を、自分も好きで読んでいるという事実が、なんだか嬉しい。

 

改めて深沢のお店のことをHPで見て、これは行かなきゃと思った。「旅に出るのも楽しみだけど 旅に持っていく本を選んでいる時も同じくらい楽しい」同意。毎晩、風呂に持ち込む本をどれにしよう、と本棚の前で悩む時間を、優柔不断だなぁと嘆きながらも楽しんでいる自分だ。友達になれはしないだろうか。

 

 

彼のエッセイにはたびたび、美味しい朝食が登場する。ニューヨークのとあるカフェの朝食にまつわるエピソードが特に好きだ。その理由は店員さんにある。「いつものでいい?ヤタロー」そういって、久しぶりに来た彼のオーダーを一つも間違えずにつくる。そして次の客のオーダーを「いつものでいい?」と聞く・・・。そういう話にあこがれる。自分の名前を憶えてくれる店に出会えると、その旅はそれだけで幸福だ、というのも納得できる。

 

ただでさえ朝食をとる習慣がなくなってしまった自分だ。中学高校時代は朝食をとることは当たり前で、「朝ご飯は食べないんだ」と自慢する同級生を、心の中で軽蔑していた。それなのにいまは、自分がその軽蔑される方になってしまっている。自分も休日に美味しい朝ご飯を食べたいなぁと思いながら、たいてい夕方ごろに行くいつものカフェに、今日は朝早く足を運んだ。コーヒーとデニッシュパンがとにかく美味しい。

 

ニューヨークのカフェの店員さんと、目の前の店員さんとが重なる。ここのカフェの何がすごいって、自分以外に店に入ってくる9割のお客さんに、「久しぶりです」とか「チャオ」とか「今日はどうします?」とか、普通に話しかける。お客さんも、「美味しかったです」「何時までですか」と必ず二言三言は店員さんと会話を楽しむ。つまり、ほぼすべてのお客さんがリピーターであり、店員さんもそのリピーターを憶えているのだ。そんなお店、なかなかないだろう、と思う。

 

自分もこのエッセイにあるような、素敵な朝食をとる幸福を、このカフェに与えてもらっている。幸福は、半径5メートルとはいかないけれど、1キロ圏内くらいには十分にある。いつもありがとう。

 

場所はいつも旅先だった (集英社文庫)

場所はいつも旅先だった (集英社文庫)

 

  

希望をくれる人に僕は会いたい

希望をくれる人に僕は会いたい

 

 

天王洲ハーバーマーケット

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天王洲のストリートマーケットを知り、気になるお店がいくつかあったので、遊びに行ってきた。浜松町から東京モノレールで天王洲アイルへ向かう。浜松町に来たの、何年ぶりだ?天王洲アイルで降りたのなんて、初めてじゃないか?

 

運河沿い。生コンプラントの隣。という特殊な立地であるにも関わらず、多くの人が来ていてびっくりした。ダクトや床の墨出しがそのままという無骨な倉庫内に、たくさんのお店が集う。骨董系が比較的多かったか。ここへ来なければ出会わなかったであろうお店がほとんどで、刺激的だった。

 

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新築だけでなく、既存建物を活用して新しい価値を生み出す企画を目にするたびに、すごいなぁと思う。自分もそういう企画をすることにあこがれるから、なおのこと嫉妬する。嫉妬して、「はいはい、すごいすごい。敵いません」と自棄にさえなり、いち消費者として十分に楽しめない。消費者目線で楽しんでみることで、気づくこともあるだろうに。

 

その一方で、これがこの先、永く価値を提供し続ける企画であり続けるだろうか、という心配もある。一度は楽しめるものの、すぐに飽きて廃れてしまうのだとしたら、それは企画として失敗だと自分は思っている。正直に言うと、刺激は強かったものの、また何度も行きたいとは思えなかった。「同じ感性をもつひとが集う」のは良いけれど、その感性が毎回同じだったら、異なる感性のひとが寄り付かない。公式HPのフィロソフィーで言っているように、回を重ねるにつれて、集まるお店やその雰囲気も流動的で成長するようなマーケットでいてほしい。

 

www.tennozmarket.com

 

さよならは小さい声で

美容院へ行ったら、マスターに「勧めてくれた本、読んでますよ」と言われた。前回、松浦弥太郎さんのエッセイを紹介したんだった。いつも思う、他人の意見をまず受け入れて、実行までしてくれる、その素直さが、彼の器の大きさのゆえんだと。

 

「さよならは小さい声で」ひとつひとつの話がまるで自分に優しく語りかけてくれているかのような、エッセイ。一人のために書いたラブレターのような言葉。誰か特定の人に向けたラブレターであるのと同時に、その言葉で心が落ち着くということは、ひょっとしたら自分にとってのラブレターでもあるのではないかと思わせてくれる。さらに、自分も同じように、誰かへのラブレターをこうして書きたい、と思わせてくれる。

 

「感想を伝えよう」という話があって、これは私も松浦弥太郎さんから教わった大事な教えだと思っている。例えば何かを紹介してもらった時、何か食べ物をおすそ分けしてもらった時。ありがとうを伝えるのは当然として、どうだったかの感想を伝えることが大事なのだと。感想を聞くことで、また紹介しよう、またおすそわけしよう、という気持ちにもなる。意識はしても、なかなかできなかったりする。そんなことを、マスターはそのエッセイからすぐに吸収し、感想を私に聞かせてくれた。書かれていることを即実行したのだということに気づいたのが、髪を切ってもらって別れた後だったから、少し恥ずかしかった。

 

さよならは小さい声で (PHP文庫)

さよならは小さい声で (PHP文庫)

 

 

ヒュッゲ

今日は自分の中でうずまいている仕事を整理するために事務所に行くんだ、と金曜日の夜に誓うのだけれど、いざその日が来ると、身体が動かない。休日は休日だ、リフレッシュしたらいい、と自分の中の悪魔が言う。それなら自分の仕事のクオリティを上げるための勉強をしたらいい、ということで、やる気を奪う誘惑の多い自宅を出て、駅前の喫茶店に寄ったのが午後5時頃。この行動に移るまでに半日以上を費やしていると思うと本当にうんざりするのだけれど、それはいつものこと。シンプルに美味しいクリームパンとサイホンで淹れたコーヒーをお供に、建築ディテール雑誌を読む。

 

 

そのあと、先日買った本を読みながら、興味をもった言葉やそこから思いついたことをクロッキー帳に書き留めていく。日本語に翻訳できないデンマークの言葉「HYGGE」。心地よい時間、快適な空間を漠然と示すその言葉の広さと、それが生活習慣となっているデンマークの暮らしの豊かさに、あこがれる。

 

自宅にひきこもるためのヒュッゲお助けセット からいくつか、自分も取り入れたいもの

・キャンドル

・チョコレート

・お気に入りのお茶

・本

・お気に入りの映画

・ジャム

・ウールのソックス

・気に入りの手紙

・ブランケット

・音楽

 

全体的に身体を温かくするものが多い。デンマークはとにかく寒く、暗く、また天気がすごく悪いらしい。雨が年間365日中179日って、本当か?自分だったらすぐ気持ちがじめじめしそうだけれど、だからこそこうした心をほぐす生活習慣が根付いているんじゃないかとも思える。日々の生活に、少しづつ取り入れていきたい。

 

 

さらにこれを仕事に発展させて。ヒュッゲな暮らしを楽しむコーポラティブハウス、いいじゃない。自分の住まいだけでなく、建物一棟単位でヒュッゲであるように。そのための仕掛けには、何がある?

・パティオでの語らい

・全戸100㎡超のゆとりある面積(ちなみにデンマークは一人当たりの居住面積が世界一だとか)

・各住戸にくつろぐための「HYGGE ROOM」を標準提案

・共用スペースに共用暖炉

・自家焙煎コーヒー屋がテナントとして入っている(テナント料は管理組合の管理費の足しに)

 

などなど。あったら楽しそう。

 

ヒュッゲ 365日「シンプルな幸せ」のつくり方 (単行本)

ヒュッゲ 365日「シンプルな幸せ」のつくり方 (単行本)

  • 作者: マイク・ヴァイキング,ニコライ・バーグマン,アーヴィン香苗
  • 出版社/メーカー: 三笠書房
  • 発売日: 2017/10/13
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 

 

オーダーメイドの魅力

オーダーメイドの良さってなんだろう、とふと考える。

 

モノを買うときに、それを選ぶ理由はいろいろある。色がかっこいい、形がかっこいい、好きな人がつくったものだから・・・。でも、それが既製品である以上、誰もが買うことができるし、たくさんの人が欲しいと思うように設計されている。だから、自分がそれを買うことに特別な意味はない。例えば、家具でも服でも装飾品でも何でもいいんだけど、それを気に入って買ったとしても、そのモノに「お前は僕のことを気に入ってくれているけれど、僕のことをもっと好きだと言ってくれる人が他にいるからさ」と言われたらと思うと、悲しくなる(ことがある)。それ以上、そのモノへ愛情が注げない気がする(ことがある)。理想は、他の人には合わないけれど、自分だけにぴったり合う、というもの。自分だけがそれを欲しいと思えたから手にする、というもの。そうすると自動的に、「自分のためにつくってもらう」オーダーメイドになる。自分のためだけにつくられたモノをもつことによって優越感を得られる点が、オーダーメイドの良さだと思う。

 

そしてもうひとつ、オーダーメイドに魅力を感じる理由は、つくることに時間と労力をかけたという事実が自分を嬉しくさせるから、だと思っている。時間がかかればかかるほど、労力を使えば使うほど、愛着がわき、自分だけのものなんだと思える。その時間を経て得た経験が、心を満たすのではないだろうか。

 

本棚を家具屋さんにつくってもらったことがきっかけで、オーダーメイドの魅力を再認識した。いまもこの文章を、本棚に寄り添う机で、つくってくれた家具屋さんに感謝しながら、書いている。この本棚の良さを味わえるのは自分一人で十分、とも思う。

 

自分の身のまわりのもの全てをオーダーメイドにするといったら無理もあるだろうけれど、できるだけ増やしたい。

 

旅の窓

立ち寄った本屋で、ある本がふと目に入ってピンときた。聞いたことのある名前の作家さんだけれど、まだ読んだことはなかった。誰かがリスペクトしていたんじゃなかったか。

 

「旅の窓」旅先で出会った風景を写真で切り取り、美しい文章でその光景を綴っている。あぁ、オトナの文章だなぁ、と心が落ち着いた。

 

なにより写真がとてもきれいで、こういう風景に自分も出会いたい、と思わせてくれるのがほとんど。旅にはこうした楽しみがあるんだ。出不精であり、よって旅不精でもある自分には、刺激が強すぎる。と同時に、あこがれも抱く。

  

instagramにしても、自分のお気に入りを紹介するブログにしても、facebookにしても。ポリシーをもって「自分にとってストーリーのある風景」を切り取って、写真と文章とを組み合わせ、形にできるようになりたい。

 

旅の窓 (幻冬舎文庫)

旅の窓 (幻冬舎文庫)

 

 

 

一輪挿し

「週に一度、花屋で花を買う」松浦弥太郎さんのエッセイにそうあって、これまでの自分には全くない習慣だったものだから、感銘を受け、自分も真似をしたくなった。そう思ってずいぶん経つけれど、真似できていない。それほど、部屋に花があるという状況を愛せていない。基本、装飾はあまりしたくない。

 

とはいえ、何もない殺風景な部屋はやはり味気なく、好きではない。モノを目に見えるところにごちゃごちゃ置いておきたくない性分で、普段使わないものはクローゼットの中にしまうことが多いけれど、そうすることで部屋から生活感が全くなくなってしまうのは困りものだ。そこはバランスと言うか、メリハリと言うか、が大事なんだと思う。

 

自分の場合、部屋の壁一面を陣取っている本棚の本は目に見える状態にある。いろいろな色、形、大きさの本の背表紙が半分無秩序に並んでいて、決して、きれいではない。これを隠そうと思えば、例えば扉をつけて、読みたい本を出すときに扉を開ける、というようにすることもできる。だけど自分がそれをしたくないのは、ランダムに並んだ本の背表紙を含めての本棚なのだ、という想いがあるし、たくさん並んだ本の背表紙を眺めながら「自分ってこんだけ本を読んでいるんだぁ」と満足感を得られる、その気分こそが大事だという想いがあるから。だから本を隠すなんて、とてもじゃないけどできない。

 

このように、インテリアとしては一見無駄で、すっきりさせようと思ったら真っ先にしまうようなものも、あることで心にゆとりができるというか、「あってもなくてもいいもの」があることを許容できるくらい、おおらかな気持ちになれる。そのおおらかな気持ちが、自分にオトナとしての余裕をもたせてくれるのではないだろうか。そしてその「あってもなくてもいいもの」のひとつが、花だ。

 

ユースケ・サンタマリアさんが「オトナに」で一輪挿しをここ数年絶やしたことがないと言っていて、あこがれた。同じく「オトナに」でLUNA SEAの真矢さんが「いまの自分のドラムセットは点数が多い。ステージ衣装だと思っている。必要だからと言うよりも。だって部屋に絵とか飾ってる人がいるけど、これ生活に必要なの?って。必要ないんだけど、でも飾ってあったらいい。そういう感覚です」と言っていて、飾りの必要性も知った。もちろん質実剛健なデザインも好きだけれど、「装飾は悪だ。邪魔だ」と切り捨ててしまうのももったいない。というわけで、花を買った。

 

週末いつも行くスーパーで。敷居の高い花屋じゃなくて十分。斑入りの葉と黄色く小さい花がきれい。花の名前を店員さんに聞くのを忘れた。テーブルの脇に花瓶を置いて、しばらく育てよう。ユースケさんのようなオトナに、近づけるだろうか。

 


#24 ホリエアツシ(ストレイテナー)×牧達弥(go!go!vanillas) 後編【せいこうユースケトーク オトナに!】

 


#20 真矢×ピエール中野 前編【せいこうユースケトーク オトナに!】

本と物語とを繋げる読書体験

instagramのハッシュタグ、「#bookstagram」のほか、「#booklover」や「#本棚」、「#本好きな人と繋がりたい」といったもので検索するとたくさんの投稿が出てきて、びっくりする。本一冊一冊に着目して記事を書く人がこんなにいるんだ、と驚いた。インスタグラムに対する見方が変わった。

 

インスタグラムは仕事でも使っている。スタッフがたくさんのハッシュタグをつけて投稿していて、最初はそれにどれほどの効果があるのだろうか、と疑問を感じていたけれど、使っているとその効果がよく分かる。自分の関心のあるキーワードで検索をかけることが非常に多いのだ。ハッシュタグをいれるのといれないのとでは、リアクションの量に大きな差が出る。どういう人に見てもらいたいか、何に関心を持っている人をターゲットにしたいか、そういうことをよく考えるきっかけにもなり、面白い。

 

もし自分だったら・・・。ただ自分が読んだ本を紹介するだけではつまらない。自分なりの視点で、本と、それにまつわるストーリーを繋げたい。自分がどうしてその本を選んだか。その本にはどんなエピソードがあるか。その本を読んだらどんな気持ちになって、将来どんな良いことが起こるかもしれないと思えるのか。本と、そこから生まれる物語を紡ぐ文章を、セットにしたら、面白いのではないかと思っている。このブログでもやっていることだけれど、もっとモノとしての本、表紙のかっこよさに惹かれる本、まつわる体験が刺激的な本、それを表紙の画像と文章をセットにして伝える。それができたら、自分の読書体験がもっと豊かになりそうな気がする。

 

ON読

最近でこそ人並みに本を読むようになったけれど、これが中学高校時代は全く本を読まない、典型的な読書離れの子供だった。図書室で本を借りたことなんて、数え切れるくらいしかなかった。だから何冊も何十冊も借りて読んでいる友達を見ては、どこか自分とは脳のつくりが違うんだろうな、と自分に劣等感を感じていた。そんな自分が「#bookstagram」なんて名前のハッシュタグに出会って面白さを感じ、インスタグラムに気に入っている本の写真を掲載するようになるのだから、きっと人間は成長するものなんだろう。だから、できないことは何一つない。想えば叶うのだとポジティブにとらえるのは、楽観的すぎるだろうか。

 

 

勉強としての読書も好きだし、仕事に関する情報収集の手段としての読書も好きだし、小説のようにストーリーを味わう読書も好きだ。だけど、いずれにしてもその内容がきちんと頭に定着するためには、読み方も大切なのだと思うようになった。楽な気分で読んで、読んでいる時間そのものを楽しむのも良いけれど、最近は、頭にきちんと残して、日常生活で必要な時にその言葉が口をついて出てくるような、そんな「言葉を記憶する」読書をしたいと思っている。その方法が、音読だ。

 

普段は黙読がほとんど。通勤中の電車内も、喫茶店でも、家でも。だけど、唯一音読をする環境がある。それは風呂。本を読みながら湯船に入ることが、しばらく前からの習慣になっている。もっと言うと、本棚から「今日はどれを読もうかな」と2~3分考えて(これが意外と時間がかかる。優柔不断だなぁとつくづく思う)その日の気分にあう本を選び、風呂に入る。で、音読をする。浴室だと声が響くから、より小さく発音しても大きな声で自分の耳に届く。自分の身体を伝って脳に言葉がしみこむ感覚が気持ち良い。そして、心なしか脳への言葉の定着率が良いように思う。

 

黙読は黙読で、必要。声に出すより早く読み進めることができるし、読めない字があってっもストレスはない。要するに気が楽だ。まるで静かにそこにたたずむ樹木のように、腰を落ち着けて、冷静に、流れるように読む。だから、木読。

 

一方、音読は、発声する力がいる。必然的に読むスピードがゆっくりになる。息継ぎの場所に気を遣う。そのかわり、自分の読み方の癖が分かる。なにより、きれいな文章の構成がすっと頭に入る。黙読が頭のスイッチをオフにした読書だとすると、音読は脳に刺激を与えるためにスイッチをオンにする。だから、オン読。ON読。ちょっと強引か。

 

 

尊敬する松浦弥太郎さんのエッセイを、それこそたくさん音読したら、人間として近づけるんじゃないかと思っている。氏の言葉を、暗唱できるくらい音読したら、日常生活での言葉遣いも、考え方も、行動も、変わるんじゃないかと本気で信じている。

 

「読ませるのが良い写真」そこに表現されている物語を読み取れるのが、良い写真だという。漠然と「こういう写真が撮れるようになりたいなぁ」と思っていたものの、どういう写真なのかをうまく伝える言葉が見つからずにいた。そのことをきれいな言葉で表した文章に、出会ったと思った。画像として見て終わりじゃなくて、ゆっくりと読んでもらい、そこに物語を感じ取れる写真。そんな写真を撮れるようになって、インスタグラムに掲載していけたら、最高だ。

 

自分で考えて生きよう

自分で考えて生きよう

 

 

のれんをくぐると、佐藤二朗

今日は午前中から仕事だった。割と重要な、もちろん仕事はみんなそうだけれど、ちゃんとやらなければまずい打合せだった。緊張した。ちゃんとやろうと思った。だからその打合せのあと、休日は集中力がないから事務処理なんてできないと内心気づいているのに、事務所へ寄って、少しだけ事務処理をした。そのあとの飛び込みの案件を経て、もうさすがにだめだと思って、帰った。駅前の本屋をひとまわりして、なんにも買う気にならなかったから、すぐに店を出て、でもこのまま帰るのもつまらないと思い、もう一つの本屋に立ち寄った。そうしたら、ふとこの本が目に留まった。twitterのつぶやき集なんて、何の役にもたたないでしょう、わざわざ本にすることもないでしょう、なんて思ったけれど、氏のことは好きだし、その独特の存在感に強烈なインパクトを感じていたし、飾らないオトナの良い雰囲気を感じていたから、手に取った。他にも松浦弥太郎さんの新刊エッセイも買ったし、行きつけの美容院のマスターに勧められた吉田松陰の言葉集も買ったけれど、それらと並べてこの本を買ったのは、難しい本との対比で気軽に楽しみながら、ちょっと仕事を頑張る活力になる言葉に出会えるのではないかと期待したからだった。帰って風呂で読みながら、何度も声を出して笑った。ただのおかしなツイート集では決してなく、なかにはまったくもって意味不明なツイートもあるけれど、そのなかにポンポンと添えられている深いなぁと思える言葉だったり、オトナだなぁと感じる文章テクニックだったり、があって、面白かった。自分も肩ひじ張らず、余裕を感じさせるように、なおかつ一生懸命に、仕事をしたいと思った。親想い、妻想い、息子想いの一人のオトナの男である氏を、かっこいいと思った。あ、私はもちろん、シラフだ。酔って意味不明なツイートをするほど、そもそも飲めない。

  

のれんをくぐると、佐藤二朗

のれんをくぐると、佐藤二朗

 

  

孤独を生きる言葉

孤独を生きる言葉

 

  

覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰 (Sanctuary books)

覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰 (Sanctuary books)

 

 

ロードバイク

マイ自転車をつくること。これが今年の自分の夢になった。

 

きっかけは、事務所の仲間にロードバイクを勧められたことだ。通勤で毎日ロードバイクに乗っている仲間がいて、どうだと誘われた。自分は中学高校と自転車通学で、それこそ飽きるくらい自転車に乗っていたから、といって最初は乗り気ではなかった。しかし、他の仲間もロードバイクを始めたり、事務所の新年会で「みんなでしまなみ海道を走るなんてどうだろう」なんて話が出たりして、徐々にそのムードが広がっていった。いやいや、と最初こそ断っていたものの、だんだん断りづらくなり、そのうちに、実は自分も颯爽と風を切りながら走りたいんだという想いがあることに気づいた。かたくなに「俺はのめりこまない。深追いしたら抜け出せなくなるし、すぐ飽きるんだったらやる意味がない」と思っている限り、新しい趣味には出会えない。何より心に響いたのは、飽きずに続けられるかどうかではなくて、その時の気持ちに従えばよい、後に気持ちが変わったら、変わった気持ちに従えばよい、というアドアイスだった。飽きたらもったいないじゃなくて、もっと柔軟に考えるべきということだ。

 

こうして自転車選びが始まるのだけれど、そもそも自分はどのようなサイクルライフを送りたいのか、付き合い方が定まっていない。通勤で使うことはないから、平日はほぼ乗らないだろう。とすると、休日、いままでより少し行動範囲が広がって、ちょっと遠くまで旅に出たい、ということだろう。江戸川の河川敷を、水を見ながら走るなんていいじゃないか。頑張って房総の方へ行って見るのも楽しそう。そうしたら行きたい美術館もある。というように目的が徐々に見えてきたところで、お店に行って見ることにした。行きつけのカフェ経由で知った自転車屋さんが隣町にあって気になっていたから、そこに相談してみよう。ということで今日、その自転車屋さんに行った。こうやって数珠繋ぎで出会いがつながるというのは本当に嬉しい。

 

メーカーの新車を買う場合。カスタムする場合。完全フルオーダーでつくる場合。それぞれのことについて教えてもらう。乗り方は?頻度は?予算は?答えながら、自分の新しい趣味と向き合う。特に予算は、もともと10万円くらいかなぁなんて思っていたのだけれど、話をするうちにどんどんと夢はふくらみ、あってないようなものになってしまった。10万円を予算にするということは、言い換えれば自分で「この新しい趣味によって得られる幸福度は対価10万円相当だ」と決めてしまうようなものだ。もちろん無尽蔵に上限を高くできるわけではないけれど、週末のサイクリングを心から楽しむことに20万円の価値があるのだとしたら、自分は喜んで20万円をかけられるようでありたい。何年も楽しめる相棒の対価が、毎月支払っている家賃とあまり変わらないのだとしたら(自転車と居住費は単純に比較するものではないだろうけれど)、バランスを欠いているとも思う。

 

最初はスタンダードな状態で、徐々に自分の好みに合わせてカスタマイズできる、要は足し算のバイクを、教えてもらった。完成品を買ってそれでおしまい、ではなくて、自分に合わせてどんどん成長させていく。その考え方に共感した。本当はフルオーダーできれば理想なのだろうけれど、まだ自分は、オーダーするほどの、自分なりの乗り方というものがない。

 

こうして、優柔不断のモノ探しが始まった。あっちもいいこっちもいい、どうしよう、と考える時間はあまり好きではなく、パッと決めて楽になりたいというのが本音なのだけれど、なかなかそうはいかない。まずは、相棒と一緒に自分はどうやって楽しみたいのか、そのイメージをもっと固めよう。

 

ワタリウム美術館の記憶

意識して美術館巡りをしようと思いたってから、また行かなくてはと気になっていた美術館がある。外苑前のワタリウム美術館だ。

 

大学1年の時だった。何の講義か正確には忘れてしまったけれど、入学してすぐだったから、たぶん建築史だろう。ワタリウム美術館での展示を見てレポートを提出する、という課題があった。その時にやっていたのが「バックミンスター・フラー展」。ダイマクションハウスやダイマクション地図を提唱した建築家について展示を見ながら調べ、レポートにした。ただ、「バックミンスター・フラー展=ワタリウム美術館」という方程式だけが記憶の片隅にあるだけで、実際に行った時のことは全く覚えていない。

 

だから今日、約16年ぶりに訪れたときも、「あぁ、懐かしい」という感覚はまるでなく、まるで初めての美術館に足を踏み入れたような感覚だった。シートがラフに剥がれた外壁が年季を醸し出している。地下の書棚には紙の強い匂いがただよう。建築の学生の知的好奇心を刺激する情報が小さい面積の空間内にひしめきあう様子は、さながら御茶ノ水のレモン画翠に来た時のようだ。

 

マイク・ケリー展が今日から。アメリカの現代美術家の映像作品は、まさにカウンターカルチャーとはこういうものだというようなもの。大衆文化から引っ張ってきた一つ一つの要素を「ひっくり返して」別の意味に変換して見せる。そこに新しい意味、抑圧された意味を見出す。刺激臭たっぷり。一瞬目を覆うようなものもあり。事前情報として見ていたぬいぐるみを用いたアートから可愛らしいイメージを抱いていたものだから、そのギャップに一瞬、戸惑った。

 

メインカルチャーとは。サブカルチャーとは。それに対抗するカウンターカルチャーとは。いろいろな立場を知ったうえでいまの文化を味わえるオトナでありたい。少し前までの自分だったら「はい、こんなの興味ありませーん」と言って背を向けていたかもしれない。けれど、そういうものも一旦は吸収し、久しぶりにワタリウム美術館に来て良かったと思えるまでには、自分も成長したのかもしれない。

 

バックミンスター・フラーからマイク・ケリーへと、ワタリウム美術館にまつわる記憶が上塗りされつつある。しかし、知的好奇心旺盛だった大学時代にフラーについて勉強した、言わば大学に入って最初に社会と接点を持った記念すべき美術館だ。これを機に、フラーの思考についても勉強しなおしたい。

 

バックミンスター・フラーの宇宙学校

バックミンスター・フラーの宇宙学校

 

 

いまは読めない本、いずれ自分を形成する本

昨日、いつもの美容室でマスターに新年の挨拶をした。今年もよろしくお願いします。社会人になり、この美容室の上の階の部屋に引っ越してきたあの日から、もうすぐ12年が経つ。本当に長い時間、そして定期的に会う、数少ない地域コミュニティだ。

 

そのマスターとまた本の話で盛り上がる。私が尊敬する松浦弥太郎さんのエッセイを紹介したら、興味があるからといって読んでくれるそう。こうやって、他人の意見を真摯に聴いて、素直にそれを取り入れようとする姿勢、本当にすごいと思っている。

 

マスターが読んでいるという本も教えてもらう。荻原浩の小説から、吉田松陰の教えまで、幅広い。特に、稲盛和夫の本は自分の経営のための教科書にしているようで、革のブックカバーをつけて大事に持っているそうだ。なんでも自分がダメになりそうなときに、読むのだとか。私もそういう、自分の仕事を進める方向へ導いてくれる教科書になるような本に、出会いたい。

 

いや、教科書はもう、近くにあるはずだ。問題はそれが自分の教科書になりえるということに気づくか気づかないか、だと思う。いま持っている、すでに読んでいる本の中にこそ、本当の教科書があるかもしれない。だからこれからはなるべく本を手放さず、大事に読んでいきたい。

 

自分なりの、持っている本への愛着を強くする工夫がある。それが蔵書票。以前紙文具屋さんにつくってもらったオリジナル蔵書票(※)を、気に入っている本に貼る。持っている本全てに貼るわけにはいかないから、必然的に蔵書票を貼るに値する本を選ぶことになる。大好きな作家さんの、好きなエピソードのある本。自分を励ましてくれる文章に出会える本。仲の良い友達が一部を書いた思い出の本。これだ、と思って蔵書票を貼った本には、たいてい自分なりのストーリーがある。そうやって、本と自分の物語とをひもづけることが、本に愛着を持たせるうえで大切なことなのだと思った。

 

(※) 

bibbidi-bobbidi-do.hatenablog.com

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 一方、なかなか読めない、読み進められない本もある。それが、和辻哲郎「風土」「古寺巡礼」。尊敬する建築家の安藤忠雄さんが大切に読んだ本だと知って興味をもったことが、手にしたきっかけだった。同じく尊敬する建築家の光嶋裕介さんも著書の中で、繰り返し読んだと言っていた。自分も読めば尊敬する建築家に近づけるかもしれないと思ったのだけれど、これがなかなか頭に入らない。まだまだ自分は脳が幼稚なのか?そういう本もある。それなのに今日、この二冊に蔵書票を貼り、「永遠に自分の本だ」という刻印をつけた。きっと心の中に、いずれこの本の面白さが味わえる時が来る、そう思える時まで自分の本として懐に入れ続けよう、という想いがあるのだろう。いまは読み進められないけれど、いずれ「自分を形成する本」になる漠然とした予感がある。そんな本もある。

 

マスターが持っているような、素直に経営哲学を教えてくれる本。そういった本をなかなか読み進められない自分は、まだまだ「株式会社自分」という経営者視点が足りないのかもしれない。肩ひじ張らずに読む小説等ももちろん大事。ただ、自分という一人のオトナを動かす経営者としての心得を授けてくれる本も、ちゃんと読まなければ。

 

風土―人間学的考察 (岩波文庫)

風土―人間学的考察 (岩波文庫)

 

  

古寺巡礼 (岩波文庫)

古寺巡礼 (岩波文庫)

 

  

建築という対話: 僕はこうして家をつくる (ちくまプリマー新書)

建築という対話: 僕はこうして家をつくる (ちくまプリマー新書)

 

 

前を向いて走る

今年も、走る。走ることを習慣にする。毎日はとても無理だけれど、1週間に1回は走る。そうしたら体調が悪いということが少なくなるんじゃないかと思っている。

 

久しぶりに下駄箱からスニーカーを引っぱり出してきて、履く。アキレス腱を念入りに伸ばしてから、走り始める。寒くて嫌なのだけれど、走り始めてしばらく経てば、寒さも感じなくなってくる。その代わりに、胸の苦しみがやってくる。

 

江戸川の河川敷にはこの季節でもジョギングをしている人が結構いて、それもだいぶ年を召した方が自分よりも速いペースで走っていたりする。草むらに座ってサンドイッチを食べる子供とその家族もいる。のどかな光景だ。

 

箱根駅伝で力走した後輩を思い描きながら、走る。そう言えば、彼らは走るとき、必ず前を向いていた。自分は走っていてつらくなってくると、下を向く癖がある。だいたい斜め45度くらい。向かってくる道路を見ていれば、自分が進んでいる気になるからだ。遠くを見ていたら、自分が進んでいる実感がわかない、そんな気がするからだ。だけど駅伝選手は、前を向いている。誰も下を向いていなかった。それならば、と自分も正面を、先の景色を見ながら走ってみる。景色は変わらず確かに先に進んでいる感じはしないけれど、その代わり気分が上向きになったというか、重心が身体の中心に移ったというか、とにかく、心なしか気持ちも高まり、ペースが速くなった気がした。

 

走り終わって、あまり汗をかかず一気に冷えていく身体を落ち着かせながら、家まで歩く。アキレス腱は問題ないが、とにかく太ももが痛い。少し運動不足になると、すぐこうなる。これからはこうならないように、週1ペースのジョギングを継続させていきたい。