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WEEKENDER

更新するのは休日のみ 週末男の人生議事録

春分の日

RUN

三連休最終日は春分の日。今日を境にコートはいらないなぁと思うくらいのあたたかさで、走るのにはちょうどよい天気。毎日とはいかないまでも定期的に走ることを目標としていたのだが、なかなか身体が動かず気づけば3月。今年初めてのランは寝起きのぼーっとした気持ちのまま、準備運動もそこそこに。そりゃぁ、長く走れるわけがない。

 

読書の、後でその内容を覚えているかどうかよりも、勉強になったかどうかよりも、読んでいる時間そのものが快適であればそれで良いと思うのと同じように、走ることも、体力がついたとか習慣になったとかそういう結果よりも、走っている時間そのものが心地よくハイの状態を味わえればそれで良いのだと思えるようになってきた。そして楽しむためには、頑張りすぎて苦しくなった記憶が残ってはよくない。だから無理せず、少しづつ・・・なんて言いながら、毎週取り組めていないナマケモノの自分を正当化する。

 

江戸川の河川敷。テントを張ってバーベキューを楽しむ人たちがいた。草むらに腰かけてアコギを弾く若者がいた。自分を後ろからすっと追い抜かすランナーがいた。外を歩くのも、外にいるのも、楽しい時期がこうしてやってくる。ようやく冬が終わる。

 

単行本と文庫本と

雑記 読書

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昨日、至福の時間を過ごした古民家カフェには、これまた素敵な本棚があった。側板がゆるやかなカーブを描く曲線になっていて、和室になじんでいる。誰の部屋にでも、どこの本屋でも置けるようなものではないと思う。この空間だからこそ似合うんじゃないかと思うような、唯一無二感がそこにはあった。

 

そして並んでいる本のセレクトも、良い。詩集だったり、ギャラリーの事例集だったり、エッセイだったり。古民家でゆっくりと時間を過ごすお供に、ぴったり。思わず「これ借りていいですか?次回来た時に返しますから」と本気で言いたくなったくらいだ。

 

そのなかに、松浦弥太郎さんのエッセイを見つけた。自分の好きな方の本がこうしてセレクトの中にあるのを見ると、自分が好きだと思っている作家さんを同じように好きだと思っている他者が、しかも身近に(いま目の前に)いるのだと分かり、無性に嬉しくなる。しかも「初エッセイ集」とある。エムカンを運営されているときの、本当に初期のエッセイ集じゃないか。これは、本当に恥を忍んで「貸してください」と言うっきゃないか?と思いながら、ページをパラパラとめくっていたら、自分も持っていることに、ようやく気付いた。本業失格。単行本で装丁も違うから、分からなかった。自分がもっている文庫本とは、妙に印象が異なる。

 

本はできるだけ単行本ではなく文庫で買いたい、と常々思っていた。文庫か新書。そのほうが持ち運びやすいし、読みやすい。単行本はかさばるし、ハードカバーだったりすると持っていて重い。なかの文章に興味があって買うんだから、新刊に飛びつくとき以外は、文庫化したものを買いたい。そう思っていた。

 

しかし、こうして文庫との表紙のイメージの違いを見てしまうと、単行本で読みたい本もあるのだ、と思える。好きなミュージシャンの曲は、ダウンロードして聴くだけじゃなくて、CDで買って、ジャケットや歌詞カードのデザインまでひっくるめて味わいたい、と思うのと一緒だ。ハードとしての本のデザインをひっくるめて、本なんだなぁということを、実感した。

 

本業失格

本業失格

 

  

本業失格 (集英社文庫)

本業失格 (集英社文庫)

 

 

たねまめランチ

遊び

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相模原にある古民家カフェ「たねまめ」に行ってきた。壁面本棚をつくってくれたnikomさんとの出会いがきっかけで知ったこの古民家カフェでは、月替わりの手作りランチを食べることができる。人数限定のこのランチ、いつも予約でいっぱいになるのだとか。その理由が、今日ランチを食べて分かった。美味しすぎる。

 

平屋の木造住宅を改装して、といっても雰囲気はそのままにしながら、和室を広げてちゃぶ台を置いて、座ってご飯を食べる。梅や杉、そしてサルスベリと、たくさんの木々が並ぶ庭を眺めながら、ものすごいゆったりとした時間が流れる昼間を、のんびりと過ごした。久しぶりに会った家具屋さんとの会話も弾む。

 

蔵書票をつくってくれた「久奈屋」さんが10周年を前にいままでを振り返る個展があった。ていねいにつくられた手作りの紙文具は、見ているだけでも心が落ち着く。さまざまな言葉をモチーフにしてちりばめた小説を、じっくり読む。言葉の選び方が丁寧で、頭に不思議な雰囲気の世界が広がるイメージ。この独特の雰囲気が、久奈屋さんを的確にあらわしていると感じた。

 

後半はDJ HaYaKaWaが加わり、レコード鑑賞タイムへ。こうしてDJ演奏を生で聴いたのは、初めてではないか?その選曲のセンス、幅の広さに驚いた。レコードなので、当然リアルタイムで聴いていない昔の曲がすべてなのだけれど、普段例えばテレビで流れているのを聴いても特に何も思わない曲でも、こうして意識して聴くと、いい曲だなぁと気づく。これも、場の力なのか。

 

人が集まる場所。クリエイターが自らを発表し、それを受け取る場所。特に何も考えずに自分だけの時間を過ごす場所。自分にとってのそんな場所はここだ、と言えるとは、なんて贅沢。定期的に行きたいと思える場所がまたできた。ちょっと遠いけれど。

 

tanemame.bitter.jp

 

www.hisanaya.net

 

オレンジ色の

お題

特別お題「おもいでのケータイ」

 

ケータイに奇抜さを、といったらちょっと語弊があるけれど、どこか人と違うものが良いと昔から思っていた。白とか黒とか、そういうポピュラーな色の、シンプルなケータイに魅力をあまり感じなかった。だから、オレンジ色の、かなり厚みのある、流線型のケータイ(以下、DRAPE君)を手にしていた時は、おれは他人とは一味違いますよ、という優越感に近い感情を持っていた。いまとなっては、過去の恥ずかしい感情の一つにすぎないけれど。

 

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真ん中のオレンジのやつ

 

当時、私は車をもっていて、それもまた、いま思い出すと天邪鬼の自分の性格を表しているのだけれど、オレンジ色のbBに乗っていた。どんだけオレンジが好きなんだって感じだ。でも、実際、好きな色なのだ。いまもそうだ。

 

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これ。いまみると、ほんとチャラい・・・

 

で当時、愛車の運転席に乗ると同時にDRAPE君をダッシュボード上に置いていた。運転しながら、ごついオレンジ色のDRAPE君が視界に映る。そして正面には、同じくオレンジ色の車体のボンネット。この色の見事な一致が、満足感をもたらせてくれた。今思い出すとまったくもって、意味不明だ。ダッシュボードは黒なんだから。

 

 

今日、仕事で久しぶりに車に乗り(車に乗せてもらい)、高速道路をびゅんびゅん走った。首都高を走ったのなんて何年ぶりだろう。ふと、数年前を思い出す。あの頃は車で移動することも多く、高速道路の経路がなかなか覚えられずに苦労した。上司を乗せて、道を間違えたらどうしようとドキドキしながら、また沈黙にどうやって耐えようかとハラハラしながら、運転したことも何度あっただろう。いま思うと、車の運転という一定の緊張を伴う行動を少しでも楽にしてくれる大事な役割を、DRAPE君は担ってくれていたのかもしれない。

 

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自分の夢は何か

雑記

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自分の夢は何か。何を成し遂げたいのか。そのことを、子供のころから考えるチャンスがたくさんあったはずなのに未だに人に胸を張って言うことができないこのことを、真面目に考えるキッカケになった。


 

彼女とは、大家さん主催の手作り市で出会った。コーヒーに対する情熱と、地元で実店舗を持つことに対する情熱が誰よりも高く、身近でおいしいコーヒーを飲めるところが少ないと思っていた自分にとって、彼女は救世主のような人だった。そしてその彼女の夢が、実現に向けて急ピッチで進んでいる。

 

そんな彼女と話をしていると、グングンとその熱の渦に引き込まれるというか、もぐりこむというか、そういう感じだった。どんどん身体から湧き出してくる想いのようなものが、夢の実現への最適ルートへと誘導しているんだと思った。といって、想いだけで突っ走っているのかというと決してそうではなく、冷静に自分が勉強すべきことを知っていて、自分を磨こうとしている。いままでの自分の無知、無頓着を、恥じた。

 

 

それが何の世界でもいいから、ナンバーワンでもオンリーワンでもどっちでもいいから、一番であるべきだ。敵のいない、突出した何かを持つべきだ。そういままでは思っていた。競合がいっぱいいる世界でいくら頑張ったって意味ないぞ。他にいくらでも代替要員がいるような役割を買って出たって無駄だぞ。そう思っていた。大好きな昔の洋画「ポリスアカデミー」で言えば、心優しき怪力大男、モーゼスハイタワー。ひときわ目立つ、高い塔のように突き抜けた存在。それが理想だと思っていた。だけど、いまはちょっとその理想のニュアンスが変わりつつある。

 

高い塔を目指すのではなく、低くても、太く、がっちりと根をおろして、そこにずっとい続けるような、と言ったら良いのだろうか。タワーマンションより低層マンション、といったら例えがちょっとずれる気がするけれど、それに近い。人より背が高いかは、あんまり気にしない。負けたって正直あまり悔しくないです。面白い実績を残している仕事人を見ると、すごいなぁとはもちろん思うけれど、そうなりたいと思うかというとそうではなく、「はいはい、すごいすごい。自分には無理でーす」て冷めてしまう。高い塔を目指すのではなく、低くてもずっとそこで価値を提供し続ける低木のような。そんなイメージが理想だと、頭に浮かんだ。職場の近く、新しくできたビルの前に立つ幹の太くゴツゴツしたオリーブをみて、まぁ例えるならこんな感じだ、と思った。

 

 

彼女からエネルギーをもらったあと、ちょっと仕事があって事務所に行ったら、スタッフが全員、いた。土曜日なのに。明日も仕事で朝早いのに。そうだ。夢がどうこう、将来の目指す方向がどうこう、と考えるのももちろん大事なのだけれど、それよりもいま目の前の仕事を、周りのスタッフがそうであるように、全力でやんなきゃマズい。いまはそれを全力でやって、クライアントにありがとうと言ってもらうことが、夢だ。

 

時代小説を読む

読書

先週、振替休日を一日もらい、平日の昼間から自宅でのんびりとしていた。世間が動いている平日に動かないというのも、どうも罪悪感をぬぐいきれない。別に悪いことをしているわけではないのに。

 

駅前のいつもの本屋で。少し前から気になっていたものの、なかなか手に取る勇気がなく、目をそらしていた本があった。正確には、本の「集まり」があった。店の本棚3列ぐらいを占拠するたくさんの文庫。そのすべてが、同じ作者の小説だった。NHKで多作の作家さんだと紹介されていたのをわずかに覚えていたけれど、その程度。時代小説なんて、一生かかっても読まない分野なんだろうな、と敬遠していたのに、徐々に、読んでみたいと思うようになった。

 

平日の昼間に仕事をせず自宅近くにいるという、いつもとちょっと違う気分に真新しさを感じ、その気分に乗って、今日から何かを始めるのも良いなぁと思った。何かのきっかけがなかったら、どうせ最初の一歩を踏み出すことすらできないんだ。今日がその一歩を踏み出す日なんだ、と勝手に解釈し、いままで背表紙しか見ていなかった本の集まりから、一冊を丁寧に選び、買った。時代小説を読み始めるとは、おれもオトナになったなぁ、なんて思いながら。

 

佐伯泰英さん。1999年に時代小説に転向し、たくさんの本を出している。ホームページを見て、その生み出すペースのはやさに、びっくりした。1か月に1冊のペースで毎月書いたって1年で12冊なのに、16冊とか出している年もある。これじゃぁ、読み終わるまでに何年、何十年かかるというのだ。でも、その先の見えない果てしない感じが、なんだかワクワクする源なのだとも思う。

 

ただでさえ人一倍読むのが遅い自分。先は長い。買ってから1週間たつ今日までで、まだ序章しか読んでない。でも、目標ができた。佐伯さんの時代小説で本棚を埋めるとともに、昔の、スケールの大きい考え方や思想のようなものを、少しでも自分のものにできたら、良い。

 

光圀: 古着屋総兵衛 初傳 (新潮文庫)

光圀: 古着屋総兵衛 初傳 (新潮文庫)

 

 

仕事はうかつに始めるな

読書

自分はどちらかというと朝型人間だと思っている。朝早く起きることは、特に寒いこの時期はつらくはあるけれど、まぁできなくはない。逆に夜遅くまで集中力をもって仕事をするということができない。21時を過ぎると、もう緊張の糸が切れて、帰りたくなってしまう。夜になっても集中力を持続させているように見えるまわりのスタッフとは、雲泥の差だ。自分は夜遅くまで仕事を頑張るという点においてはおよそ10年超の社会人レベルに達していないけれど、その分早く起きて人より早く仕事に着手します。そう自分に言い聞かせながら、毎日眠い目を無理やりこすって起きて、家を出る。

 

その日、早く事務所へ行って始業前にやっつけたいことがあったのに、思うように起きられず、目標の時間をだいぶ過ぎて家を出ることとなった。焦り気味で電車に乗り、いつもの駅で乗り換える。と、その乗り換えのホームでアナウンスが流れた。「電車をお待ちのお客様にお知らせいたします」嫌な予感がした。


そのアナウンスは、すぐ近くの駅で発煙が発見され、安全確認のため止まっています、と伝えた。発煙が何を意味するのかはよく分からないけれど、まぁそのうち安全が確認されて電車も動くだろう、と思って止まっている電車の席に着く。しかしなかなか動かず、ついにアナウンスは「発煙の影響で全線で運転を見合わせます。振り替え輸送を実施いたします」とまで言い出した。


安全が確認できない以上動けないのは当たり前で、それはもちろん我々を思ってくれての対処なのだけれど、こういうときに気分が晴れる人はいないだろう。すぐさま別経路を探し出し、乗り換えたけれど、会社に着いたのは始業時間ぎりぎりだった。もちろん、余裕を持った仕事なんてできるはずがない。

 

もうちょっと早く起きていれば、こんなストレスなんてなくさっさと事務所についてさっさと仕事ができるのに。と、早く起きる根性のない自分を悔いる。夜に弱くて、朝も弱いのだとしたら、どうするのだ。

 

 

「仕事はうかつに始めるな」を読んだ。仕事がうまくいかないとき、集中力が足りないと思うとき、ああダメだなぁなんて思いながら、それでもその解決のための具体的な方法を探ることを怠っていた。自分の根性が足りないせいだと思いこみ、論理的な解決方法を見つけるということから目を背けていた。そうじゃなくて、ちゃんと集中できない理由を理解して、集中するためにはどうしたらよいかを、ちゃんと考えようよ。そう思えた。 

 

 集中力=意思力 と定義してしまうと、集中力のない人への処方箋は、「もっと意思を強くすること」という精神論や根性論になってしまうのです。それでは、本質的な解決にはなりません。(P17)

 

できなかったときに意思の弱さを理由にしない。どうしたらできるのかを考える。根性論ではなく方法論で問題にアプローチする。(P148)

 

まずは自分に集中力がないことを自覚すること。集中力がそんなに続かないと認めること。そのうえで、集中力を発揮できる短い時間を濃密にすることに注力すること。このことを、しっかり考えたい。朝早く起きられないのも、べつに根性がないからじゃない。起きるための方法を、見出さなければ意味がない。

 

  

イノベーション

読書 雑記

午前中、仕事で中目黒へ。洗練された街というイメージが強い、私にとって刺激臭のある街だ。ただでさえ人の多い日曜日、自分なんかがゆっくり過ごせるはずがないんだ、と思いながらも、新しくできた蔦屋書店に立ち寄った。中目黒へ来たらココへ、と思っているエスプレッソ専門店に行ったらシャッターが閉まっていたので、仕方なくだった。蔦屋書店と地続きになっているスターバックスはきっと満席で、座れないだろう。でも行ってみることに価値があるのだと思って入ってみたら、午前中の比較的早い時間だったからか、座ることができた。

 

ドリップコーヒーを待っているわずかな間、蔦屋書店で本を見ていたら、松浦弥太郎さんの特設コーナーがあって、驚いた。中目黒に縁のある方とは思っていたけれど、ここでこうして繋がるとは。初めて目にする文庫を迷わず手に取ってすぐレジに行ったのは、もうすぐドリップコーヒーを渡されるからと焦ったのもあるが、それ以上に、この繋がりに一期一会を感じたからだ。

 

本好きによる本の紹介。ここに紹介されている本のほとんどを知らない私は、まだまだ彼に近づけないじゃないか、と困惑しつつも、自分は自分なりの本のセレクト眼をもって、本を大切にしていきたいと思う。

 

ぼくのいい本こういう本 (朝日文庫)

ぼくのいい本こういう本 (朝日文庫)

 

 

本屋とコーヒー屋。それぞれは別に新しいことでも何でもない。しかしそれが組み合わさったときに、新しい価値が生まれる。イノベーション(=革新)とは、まったくのゼロから新しい価値をつくることではなく(それはインベンション(=発明)と言うのだとか)、既存のものを組み合わせて新しい価値をつくることだ、と聞いたことがある。まさにそれだと思った。蔦屋書店とスターバックスがくっついてできる価値。そこで買った本を読みながらコーヒーを飲むのはもちろん、買わずとも、つい棚にある本を手に取ってそのままコーヒー買って飲みながら読みたくなる。

 

 

仕事終わりの夕方、いつもの美容院でマスターとおしゃべりをする。ここ最近は読んでいる本の紹介し合いで盛り上がる。自己啓発本なんて読まない、そんなものになんか頼らずに我が道を行くんだ、なんて言いそうなマスターだけれど、意外と自己啓発本を好んで読むのだとか。ちょっと読ませてもらったものが、とても面白かった。1人で夢を叶えるには時間がかかるけれど、4人で協力し合えば最短で夢を叶えることができる。言われればその通りだと思っても、その重要性にいままで目を向けていなかった。自分で本屋に行く限り手に取らないであろう本にも出合えるのが、人紹介の面白いところ。

 

実践! 世界一ふざけた夢の叶え方

実践! 世界一ふざけた夢の叶え方

 

 

祈りの幕が下りる時 (講談社文庫)

祈りの幕が下りる時 (講談社文庫)

 

  

午前0時の忘れもの (集英社文庫)

午前0時の忘れもの (集英社文庫)

 

  

小説好き、自己啓発本好き、そして密かに壮大な夢を持っているマスターに、午前中の蔦屋書店の話を自慢げにしたら、本を買わなくともコーヒー飲みながら読めるはずだよと言われ、たじろいだ。えっそうなの?商品はさすがにダメでしょ。と思っていた自分はどんだけ田舎者だ?蔦屋書店とスターバックスの融合が生み出すイノベーションは、私の想像の遥か上にあった。

 

他人の言葉

思考

こういうとき、プロだったらどう考えて、どう行動に移すのだろうか。例えば尊敬する松浦弥太郎さんだったらどうするだろう。まぁ、もっと身近でいいや。例えば事務所の自分以外のスタッフがこの場にいたとして、どう解決していくだろう。そうやって、他人だったら・・・と考えることが多い。こうした考え方の参考になりうる「他人」にたくさん触れて、解決方法のバリエーションを増やすことが、自分にとっての読書の目的の一つなんだと思う。

 

クライアントに任されている立場として信頼されていないとしたら、これほど恥ずかしいことはない。価値を与えられていないんだとしたら、お金いらないんで降りさせてください、とつい言いたくなってしまう。

 

ドシッとかまえていることを誇示したくて。ヘラヘラしていると思われたくなくて。クライアントと接している自分が不愛想に映ってはいなかったか。というか、結果、不愛想になってはいなかったか。うわべだけの真似かもしれないけれど、本で読んだことの受け売りかもしれないけれど、いまの自分の仕事の品質が低いなぁと凹むとき、他人の言葉は参考になる。「うららかな笑顔」「いさぎよく謝る」ちゃんと言葉で教えてくれているじゃないか。

 

今日もていねいに。 (PHP文庫)

今日もていねいに。 (PHP文庫)

 

 

 

あるキング

読書

 

あるキング: 完全版 (新潮文庫)

あるキング: 完全版 (新潮文庫)

 

 

昨日のあれだけの憂鬱も、時間が解決してくれる。時間さえ経てば、「もっと凹んで、もっと反省したほうがいいんじゃないのか?」と思うくらい、なんでもなくなる。そんなもんだ。問題がまるでなくなった、というわけでは決してなく、まだまだ課題はあるけれど、こうして目の前の問題をちょっとづつやっつけながら、一歩一歩進んでいくしかないのだろう。「目の前の危機を救えない人間がね、明日世界を救えるはずがないんですよ」伊坂幸太郎さんの「砂漠」にでてくる西嶋の言葉が脳をよぎる。ちょっとオーバーだけど、そんな気持ちだ。

 

だから仕事のあと、ちょっと気持ちが緩んだ自分を認めてあげよう、日曜日、寝るまでのひとりの夜を有意義に過ごそうと、いつもの本屋へ寄り、今日は本を買って、目の前のパスタ屋のドアを、今日は堂々と、開けた。昨日、そのドアを開ける勇気がなかったことがうそのようだ。笑顔がめちゃ素敵な店員さんの目は、今日もめちゃ細い。「閉店時間、一時間早くなったんですね」「そうなんですぅ、働く方としても寂しいんですぅ」「なんで?」「だって、働ける時間が短くなっちゃうじゃないですか。まぁ早く帰れるのはいいんですけれど」真面目か、あなたは。

 

弱小球団「仙醍キングス」をめぐる話。ゆるやかに始まるストーリーがこのあとどう展開していくのか、楽しみ。雑誌版、単行本版、文庫版と、同じ話を3つの違う書き方でまとめた、というのも面白い。

 

本編を読み始める前に、挟まっていたデビュー15周年記念特別掌編「書店にまつわる小噺あるいは、教訓の得られない例話」を読んだ。ものすごく短い話の中に伊坂幸太郎さんらしいマジックが凝縮されていて、思わず声をあげた。すごすぎる。

 

落ち込んでいる姿は他人に見られたくない

雑記

今日という日が 明日という日が絶望ばかりの毎日でも

こぼれそうなあの笑顔を探している

GLAY/MIRROR)

 

 

仕事がなかなかうまくいかず、まぁそれはいつものことなのだけれど、落ち込むことがある。そういうときは、無理に気を紛らわせようとか、考えすぎないようにしようとか、ポジティブな方に考えるのではなく、気分が向かうままに落ち込もうと決めている。どんなに凹んでも、時間が経てば回復するということが体感的に分かっているから。

 

そういう気分の時。いままでは、よく行く居心地の良い店でご飯を食べたりコーヒーでも飲んだりするのが良いと思っていた。顔なじみの店員さんの笑顔に会えた日には、まぁ自分の悩みなんて小さい小さい、と思えたものだ。しかし最近、この気持ちが変わりつつある。落ちている日に、好きなお店に入って一人の時間を過ごすことを、本当に自分は望んでいるのか?

 

そんなことはない。好きで入っているはずの店の空気が、自分の気持ちが感染してどんよりするのは嫌だし。不愛想な顔を店員さんに見られて「感じ悪いな」と思われたら嫌だし。そんなことで、好きな店が行きたくない店になってしまうのは嫌だし。

 

だから今日も、行きつけのパスタ屋のドアを開ける気にはなれなくて、向かいの本屋で、何を買うでもなく本棚を眺めて歩いていた。2往復もしたらさすがに「今日はこれを買おう」という本がないことにだって気づく。それでもしばらく店を出ずに本の背表紙を目で追っていたのは、この言葉で表現しづらい燻ぶった気持ちを、少しづつ落ち着かせたかったからなのかもしれない。そんな姿を、顔なじみの人に見られるなんてありえない。この程度のことで沈むほどペーペーじゃないだろう、お前は。

銅版画

遊び

二日連続で御茶ノ水駅に来た。今日は少し早めに家を出て、あまり寄り道せず、一直線で目的地へ。それでも午前中は寝て過ごしてしまい、いつものように休日の過ごし方を誤った、と家を出てから後悔した。天気が良かったので、なおさらだ。

 

ギャラリーに入ったら、作家さんご本人に普通に会えた。画家であるとか、そういった方に対しては昔から「気難しい人なんじゃないか?」とか「無口で不愛想な人なんじゃないか?」とかそういった偏見を持っていたけれど、そんな印象とは全く逆の、そして威圧感もない、気さくな感じの方で、拍子抜けした。自分よりよっぽど社交的だと思った。

 

好きでよく行くダイニングで知って、来ました。銅版画とかそういう美術には疎くて、正直こういう個展には来たことがなかったけれど、刺激になるかと思って。そんな話をしたら、ものすごく喜んでくださった。まるで近所のおじさんと近所話をしているかのような、気楽な感じだったので、安心した。

 

銅版画の、とにかく緻密で手間のかかる作業に、驚いた。その手間が、完成品を眺める限りはあまり感じ取れないけれど、線も細かくて、それをつくっている姿を想像すると、気が遠くなる。完成品は、白と黒の二色がメインで、だからカラフルな絵と違って色の情報なしに、その画像を集中して見ることができる気がする。そのモノクロの絵の中がどんな世界なのか、想像をふくらませるのが、楽しい。

 

こうして人との縁がきっかけで次の縁につながる、というのを、大事にしたいなぁと思う。ただでさえ地域の付き合いも少ない自分。考えてみれば、友人と呼べる人も少ない。最近、友達が増えたと実感することが、ない。「友達は、少なくてよい」とか「友達なんていらない」とかそういった言葉も聞くけれど、それに近い感じだ。不要とまでは言わないけれど、友達をたくさんつくりたい、という気持ちはまるでない。だから、いま現在のつながりと、そこから枝分かれして今後生まれるつながりを、絶やさずに育てたいと思う。

 

三枝敏彦彫刻展 2017.2.7〜2.12

 

http://www.garigari.jp/

御茶ノ水とLEMON

百景

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よく行くダイニングのマスターにすすめられたことがきっかけで、ある作家さんの銅版画展に行こうと思い、仕事終わりに御茶ノ水に駆け込んだ。案内のポストカードを見ると午後6時30分までとある。御茶ノ水駅についたら午後6時。ぎりぎり、セーフだと思った。

 

地図を見ながらギャラリーへたどり着くも、入口にカラーコーンが立ちふさがっていて中に入れない。立て看板もカバーを被っている。なぜだ?と不思議に思いながら手元のポストカードを確かめる。「祝・最終日は午後5時まで」。うん、明日が最終日だから、今日は最終日ではない。ゆえに今日は午後6時30分までだ。それなのになぜだ。「祝・最終日」。うん、今日は最終日ではない。それに土曜日だし、祝日でもな・・・おっ!!!とここで、今年は土曜日と祝日が重なることが多い不幸な年なんだ、というニュースを思い出し、そして今日がその不幸な日のひとつ、建国記念の日であることに気づいた。御茶ノ水に来る前に気づけよ。「土曜日=祝日ではない」なんて短絡的に考えて今日が祝日かどうかも頭に入っていないことが、問題だ。

 

目当ての銅版画展は明日また来れば良いとして、それでも、今日ここまで来たことを無駄にはしたくない。ということで、銅版画展のあとにぎりぎり閉店前に駆け込もうと思っていた画材屋に、早めにたどり着いた。ゆっくりできたから、結果オーライだ。

 

「レモン画翠」その美しい名前に惚れて、また建築の学生たるものここで道具を揃えてエスキスに模型製作に励むべきだ、と教えられた覚えがあり、学生の時に訪れた。御茶ノ水のイメージは、楽器屋の街とか、学生の街とか、お茶の水女子大とか、東京医科歯科大とか、いろいろあるけれど、自分にとっての御茶ノ水との出会いは、やはりレモン画翠だった。店内の鉛筆や絵の具、スケッチブックの紙などの匂いが、好きなのだ。

 

エスキスに必死だった学生時代を思い出し、そしていま自分は社会人として設計事務所で仕事をしているにも関わらず、学生当時のエスキス帳と向き合っていた頃の気持ちを忘れてしまっていたことに気づき、急にエスキスがなつかしくなった。目の前にあったクロッキー帳に思わず手が伸びたのは、当時、自分のセンスのなさにげんなりしながらも、自分の頭の中で思うように建築をつくりだした快感を、また自分の頭の中によみがえらせたいと思ったからかもしれない。

 

12年くらいぶりに手にしたクロッキー帳が、今日御茶ノ水に来たことが失敗ではなかったのだと、言ってくれているように思えた。御茶ノ水はレモンのように酸っぱく刺激が強いが、同時にレモンのようにきれいで、清潔で、優しい。

ひょんなキッカケで

遊び

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ひょんなキッカケで 君とここにいる

THE YELLOW MONKEY/ゴージャス)

 

 

ひょんなきっかけで出会った紙文具屋さんがいる。オリジナル蔵書票というものを見て、自分だけの、世界に一つだけの蔵書票がつくれてしまうというのを知って、のめりこんだ。この出会いをもたらしてくれた家具屋さん、その家具屋さんとの出会いをもたらしてくれた大家さんに、感謝しています。

 

www.hisanaya.net

 

その紙文具屋さんが10周年を迎える前に、辿ってきた9年を振り返る個展を開催しているということで、東林間へ行ってきた。蔵書票制作のやりとりはメールだったため、直接会うのは初めてだ。どんな方なのだろう。まるで顔を知らずにやりとりしていた女性と初デートに行くような、そんな感じだった。

 

natsumehiro.com

 

初めて会った紙文具屋さんは、メールや手紙でやりとりしていた時に抱いていた印象そのままの、的確な言葉が見つからなくて歯がゆいのだけれど、きれいで、純粋そうで、落ち着いていて、にこやかで、もの静かな感じの方だった。この方に蔵書票をつくってもらってよかった、と一瞬で思った。

 

ポストカードや栞、一筆箋など、手作りのあたたかさをまとった紙文具が、小さな部屋のなかでその存在感をアピールしている。第一印象が刺激的で、最初は面白く使えるんだけれど、時間が経つと飽きてしまうというものが少なからずあるモノ過剰社会のなかで、これらの紙文具は、仮に10年前の自分が出会ったとしても、10年後まで持ち続けていたとしても、好みのアンテナが受信しているのではないかと思う。褪せない、というのはこういうものをいうんじゃないか、というものにピンポイントで出会ったと思った。

 

 

東林間でハイカラ雑貨屋を営んでいる彼女の知人が、そのお店のすぐ近くの貸室をラボラトリエ(ラボラトリーとアトリエの造語らしい)にしてオープンしたのが昨年12月。そのラボラトリエを活用した最初の個展が今日だったらしい。今後、定期的に個展などイベントを開催していく機会をつくるとのこと。こういう、手作り紙文具に限らず、表現の場づくり、情報発信の場づくりを積極的に行うような取り組みを見ると、おおすごいなぁ、といつも思う。

 

natsumehiro.com

心をつかうということ

読書


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仕事終わりに立ち寄ったいつもの本屋で松浦弥太郎さんの新刊を見つけて、迷わず手に取った。コミカルな絵が表紙を飾る、ちょっといままでの印象とは異なることに気をひかれたけれど、それ以上に、著者紹介欄に「クックパッド㈱を経て、2017年より新たな挑戦を始める」とあって、どひゃぁ、となった。

 

本を売る仕事を個人でずっとされていた方が、老舗雑誌「暮しの手帖」の編集長として働くというだけでも新天地だろうし、その方が新たな挑戦としてクックパッドの一社員となったと知ったときは、環境の変化を恐れない、強い方だなぁと思った。「くらしのきほん」は、やさしい言葉でおおわれた文章を毎日更新するというもので、その地道な作業の中に、くらしをちょっと豊かにする工夫をみんなと共有したい、という強い意思を感じていた。そんな彼が、また新たな環境に身をおいて、新しい挑戦をするのだという。楽しみで仕方ない。

 

頭をつかって導く答えには、その可動域に制限がある。だけど、心をつかってたどり着く答えには、限界がない。頭で考えたら無理だとわかることでも、可能にしてしまうことだってできる。頭すら使わない(いまの自分がそう・・・)のは論外だけれど、頭を使って得た答えに頼るんじゃなくて、心をつかって、じっくり考えようと思う。

 

「いままでと同じプロセスで考えていたら、新しい価値はつくれない。いままでと同じ事業手法では、これからは成り立たない。なにかいままでやったことのない、新しいことをやらなければ意味がない」自分はこの考えに、がんじがらめになりすぎていたのかもしれない。いままでと同じことをやったのではダメ、という考えは、ハズレではないと思う。だけど、いままでにないということだけに気を取られていないか。ようやく見つけた新しいことが、ユーザーが求めていることと本当に一致するだろうか。「新しい事業手法を見つけた!これは面白い!」と自分が面白がっているだけで、ユーザーが本当に必要としていることを無視してはいないか?そこまで考えたとき、ただやみくもに新しいことを追求するのは自己満足にすぎない、と思った。

 

人がよく知っていることのなかに、新しいものを見つける。このときに心をつかって、一歩踏み込んで考える。相手は何を欲しがっているだろうか。どういうサービスがあったら、時間やお金を費やそうと思うだろうか。この、心をつかって考えるということを、習慣にしたい。

 

いままで自分が心をつかっていなかったという恐ろしい事実に気づけた一冊です。

 

「自分らしさ」はいらない くらしと仕事、成功のレッスン

「自分らしさ」はいらない くらしと仕事、成功のレッスン