給料を何に使うか

番組MCのアナウンサーがある芸人に「最近CMだとか、たくさんお仕事されてますよね。変な話、お給料って何に使ってるんですか?」と聞く。その芸人は照れながら「何にって・・・いまはゴルフ関連がほとんどですよ」と言っている。それだって、たかが知れてるじゃないですか、とアナウンサーに返され、まぁ、確かに使ってないかもね、と締めていたけれど、そのやりとりを見て不意に、じゃぁ自分は何に使っているんだろう、と疑問に思った(ちなみにこの芸人さん、私にとっては読書家というイメージが強く、あの時はゴルフ関連と言っていたけれど、きっとそれと同じくらい本にお金を費やしていて、知恵を得ている結果、いまの地位があるんじゃないかとひそかに思っている。自分も頑張らなければ・・・)。

 

家賃や光熱費、通信費、外食以外の食費など、必ずかかるものを加えると、だいたい給料の56%くらいになる。では、残りの約44%の自由費は何に使っているのか?

 

何にいくら使ったかをきちんと記録していれば分かるのだろうけれど、それをしていないので、おおよそのことしか分からない。それに、美容院、カードでの買い物、本、遊びに行く交通費、外食、気になった雑貨、毎週立ち寄るカフェでのコーヒー代、たまに服、というように、たくさん項目があるため、明確にこれにお金を使っている、というものがない。お酒やたばこ、ギャンブルなど、ある特定のものには一切お金を使わないけれど、それでも意識しない限り、メリハリのない使い方をしてしまう。

 

ただ、自分が何に重点的にお金を使っているか、ということは常に意識していたい。じゃないと、いつのまにかお金を浪費していて自己の形成に役立っていない、なんてことになりかねない。じゃぁ何に使うのがいいのだろう・・・と考えた時に、やはり頭に浮かぶのは、本だ。

 

本をたくさん読む人間だ。ただそう他人に思われたいだけだと言われれば、そうだ。動機が「他人からどう思われたいか」ということであっても、いい。大学時代まではほとんど本を読まない頭の悪い子供だったから、その分を取り返したい。そう自分に言い聞かせたくて、このところ背伸びして本屋で本を買っている。本を買うことで財布からお金がなくなる心理的不快感を感じたくないから、ちゃっかりカードで。

 

給料の使いみち、その多くを本に使うような生活を続けていたら、あの照れながらも謙虚に返事する芸人が安定した笑いを提供するように、仕事でも確実に成果が出るんじゃないか。そう本気で思っている。

 

iijima coffee

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以前から行きたいと思っていたものの、なかなか腰を上げることができたかったお店に、今日行くことができた。千葉は柏井町の「iijima coffee」。最寄り駅だと京成の八千代台。車を手放して久しい身のため、駅から15~20分くらいか?歩く。なかなか手軽にさぁ行こう、と行ける場所ではないけれど、今日は過ごしやすい天気で、よかった。

 

コーヒーゼリーの本で知り、その写真から、内装の雰囲気の良さが伝わってきていた。倉庫のような質素な建物。古い木材の本棚。木サッシ。カウンターで窓の外の景色を見ながらコーヒーを飲むというのもいいじゃないか。

 

10時オープンのお店に10時半前に行ったらすでに数組食事をしていて、滞在中も出入りが何組か。人気のカフェだということを見せつけられた気がした。野菜カレーが、いい具合に辛くて、美味しかった。旬のストレートはグアテマラ。大好きな味。

 

お店のお手伝いを1時間するbossaという取り組みをHPで知る。面白いことを考えるなぁ。自分の開業のためという直接的な勉強になることもあれば、1時間掃除などに没頭することで普段とは違う自分に出会えるという効果もありそう。おもてなしの心をもった掃除を学んで実際に掃除を行うことができる。どおりできれいな店内だと思った。

 

心の片隅にあった、知るきっかけとなったコーヒーゼリーは期間限定(6月のみ?)とのことで、食べることはできなかったけれど、また長い目で見た楽しみも増えた。来年は、コーヒーゼリーに会える。

 

www.iijimacoffee000.com

 

コーヒーゼリーの時間

コーヒーゼリーの時間

 

 

魔法

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夏休み。いつも快適な時間を過ごせる、相模湖の古民家カフェへ。超絶美味しいランチを食べることができたり、会えたらいいなぁと思ってた家具屋さんに偶然会えたり。どうやらこの場所では魔法が使えるらしい。テレパシーが、通じた。たぶんこのご飯も、素材の良さはもちろん、美味しくつくる呪文みたいなものがあるに違いない。

縁側からの、風鈴越しの、サルスベリ。日本の夏。もう秋なのか、、、。

自由設計の賃貸住宅に住む

賃貸住宅に住む価値を、考える。

 

よく見かけるのが、「購入」と「賃貸」どっちが得か?論争。分譲マンションを買うのと賃貸マンションを借りるのとで支出額がどう違うか、どっちにどのようなメリットがあってどのようなデメリットがあるかを比較する、というものが多い。そしてだいたいが、(仮に同じ大きさや間取り、場所の家だと想定した場合に)コストがより多くかかる方が無駄で、コストがかからない方が得、という結論に結び付く。あとは、買えば資産として残るのに対して賃貸は残らず、家賃をずっと払い続けなければならないものとしたり。

 

いま仕事で「自由設計のできる賃貸マンション」を企画しているので、このことを考えている。どっちが得かを決める決定打は、支払うお金というコストの大小なのか?資産として残ることが将来的にも良くて、資産として残らないのにお金を払い続けるのは本当に無駄なことなのか?そうじゃないだろう、と。

 

かくいう自分も、生まれてから就職するまでの約22年間、ずっと実家の戸建て住宅に住んでいて、家といったら一軒家、住むとしたら持ち家、賃貸マンションなんて、以前どんな人が住んでいたのかすら分からないようなところに安心して住めるわけがない、なんて思っていた。一日の大半を過ごす大切な場所なんだから、大家さんからの借り物じゃなくて、自分でこれがいいと思ったものに囲まれていたいじゃないか。そのためには、持つしかない。そして、マンションみたいに他の入居者とエントランスや廊下階段を共有するんじゃなくて、自分(および家族)だけが使うものがいいじゃないか。だからマンションじゃダメなんだ、と。典型的な戸建て志向の価値観だ。

 

しかしこの価値観も徐々になくなりつつあり、いまはマンションに対する偏見もさほどなくなってきていると思っている。例えば都心で合理的な価格で取得して住むことを考えるなら、戸建てにこだわって狭小地に肩をすぼめて暮らすより、土地を立体利用したマンションでゆったり暮らす方がいいに決まっている。それでもタワーマンションだとか100戸を超えるような大規模マンションに対してはいまだに拒否反応があって、「1万円あげるから湾岸のタワーマンションの最上階の住戸、もらってよ」と、言われることは絶対にないけれど、そう言われたとしても、たぶん断るんじゃないかと思う。自分の家に行くために絶対にエレベーターが必要なところで、洗濯物も干せなくて、外を見たら足がすくむような高さの場所で生活できるとは、とうてい思えない。だったら、一般的には管理組合が健全とは見られないけれど、総戸数4戸5戸の小規模なコーポラティブハウスで、自分も25%なり20%の決裁権をもって生活する方が有意義に違いない。

 

持ち家と賃貸と、どっちが得か。それを決めるのは少なくとも自分の場合、支払うコストの多い少ないではない。もし自分が大金を払って住宅を取得するんだったら、それこそ先のことまで考えて決断すると思う。そして、なにより住み心地を優先するだろうから自由設計じゃなければならない。将来売るときに売れやすいように、最大公約数的なことも考えなければ、という視点は、今も昔もあまりない。一方、いまのように賃貸暮らしを考えたら、まず契約を解約することで引っ越すことができるような身軽さがあるのだから、その時に気に入った物件に飛びつくことができる。あまり言い方はよくないけれど、飽きたら、引っ越せばいい。そうやっていろいろなところに住みたいと感じる時期は、家賃は多少高かろうが、賃貸を選ぶ。

 

家賃を、ただ住んでいるだけなのに払わなければならないものだと考えるから、資産として残らないのに払い続ける=無駄、となってしまう。住宅ローンなら払い終わりがあるけれど、賃貸は住み続ける限り払うもの。だから無駄、とか。でもそれはおかしい。賃貸だって、自分がそこを気に入って、ここじゃなければだめなんだという価値がそこにあって、かつ何か生活スタイルに変化があって転居しなければならないことになっても身軽に移動できるのであれば、その場所を提供している大家さんに対する「ありがとう代」として払い続けられるだろう。もし自分で持つことを考えたら所有権登記して、固定資産税も払って、銀行からお金を借りて、金利をのせて返して、というようにそれこそ多くのお金がかかる。その負担を免除させてもらいながら住まわせてもらっている、その対価だと考えれば、「払いたくないけれど仕方なく払っているもの」から「ありがとう、払います」と考え方が変わると思う。だいぶマイノリティな考え方なのだろうけれど。

 

そういう考えの人が増えれば、新築分譲マンションがどんどん供給されて、一方で築年数の建った賃貸マンションの空室が多くて大家さんが困る、という状況も変わってくると思う。

 

「愛ある家賃」(※)を払えているといういまの自分の状況に感謝しつつ、いま仕事で取り組んでいる「自由設計のできる賃貸マンション」の良さを広めたい。「既存の間取りの中から選ぶ」という賃貸住宅探しの常識を超えて、賃貸なのだけれど、建物が完成する前に設計に関与することで自分の好きな間取りを実現できる。そんなことができたら素敵でしょう。人生の中のほんの一時期に住む場所でしかないのかもしれないけれど、そういう場所だからこそ、自分のうちに秘めている「こういう暮らしをしてみたい」「こんな家だったら楽しいのに」を自由設計によって実現すれば、そのほんの一時期が人生を大きく揺るがすかもしれない。

 

(※)愛ある家賃

賃貸住宅生活実態調査 リクルート住まい研究所

論考 愛ある家賃(石神夏希) が参考になります。

http://www.jresearch.net/house/jresearch/chintai/index.html

 

ダウンロードできます。

http://www.jresearch.net/house/jresearch/chintai/pdf/P111-158_chapter3.pdf

 

■自由設計のできる賃貸住宅を、自由が丘で企画しています。

http://01-office.co.jp/chintaiproject/intro.html

猛暑日

連日、こうして気温の高い日が続くと、それに慣れてくる。気は滅入るし、汗は止まらないのに。朝、家を出てもわっとした空気を感じると、「おぉ、今日も来たな。昨日を超えるか?」なんて言いながら、戦闘態勢に入る。今日も勝ってやるぞ、と。

 

 

夕べ、終電に乗ったと思ったら、休日のダイヤが平日と違っていて、うっかり最寄り駅への最終電車を逃してしまった。東陽町で降りてタクシーを拾おうとしたらすごい行列になっていたので、まぁ運動にもなるし、南砂町まで歩こう、と思った。しかし南砂町でもタクシーを拾う機会を失い、結局、西葛西まで歩いた。荒川を渡らなければならないことに直前まで気づかず、真夜中の陸橋を歩く、そこには夜風なんて心地よいものはなく、ただジメジメした空気が身体にへばりついてしんどかった。それでも歩こうという気力があったのは、ちょっとでもタクシー代を浮かせたいというケチ心と、こういう大変な体験を経て男は成長するのだというマゾ心があったからだ。西葛西でタクシーを拾い、車内に入った瞬間、天国にたどり着いたと本気で思った。たとえ真夜中でも、暑いものは暑い。

 

 

このところよく聞く「猛暑」という言葉。改めて調べてみると、最高気温が35度以上の日を「猛暑日」といい、これは正式な予報用語とのこと。ちなみに「真夏日」は最高気温30度以上の日、「夏日」は最高気温25度以上の日のことを言うのだとか。自分の感覚と5度ずれていた。25度でも夏日なのか、、、知らなかった。そしたら40度を超えた日は、なんなのだ。

 

猛暑日と言える日がこのところ毎日続いている気がする。だから、40度を超えたなんてニュースを聞いても、もはや驚かなくなりつつある。そのうち、最高気温が50度以上の日を指す「超暑日」なんて言葉が普通に交わされるようになるかもしれない。そうなればなったで、人間なんとかやっていけるんだ、きっと。

 

 

東陽町から西葛西まで歩く道中。サルスベリの木が花を咲かせ、目を癒してくれた。赤も白も。これで幹がもう少し太くがっちりしていたら、最高だ。暑ければ暑いほど、しんどければしんどいほど、百日紅という名の通り、真夏に100日花を咲かせる力漲るサルスベリのように、頑張ろうと思う。


住まい手が楽しく、正しく暮らしていけるように

事務所で設計したコーポラティブハウスの懇親会にお邪魔した。共用部に集まり、テーブルを並べて、持ち込み料理を食べながら飲む。和気あいあいとした雰囲気で、「久しぶり~」「大きくなったねぇ~」なんて声も聞こえたり。竣工時に小さかった子供も、いまは大学生だったり、社会人になって独立していたり。時間の経過の尊さのようなものを感じた気がした。

 

その中でも、「若いころに自由な住まいづくりを経験しておくべきだと思う」であるとか「コーポラティブハウスにして本当によかった」であるとか、そういう感想を聞けると、本当に嬉しいし、コーディネートの仕事をやっていて良かったと思う。設計者も、きっとこの言葉があるからやれているのだと思う。そこで生活する人の暮らしが豊かになる、その手助けを自分がしているのだと思うと、本当に有意義な仕事をさせてもらえているのだと思う。

 

これからも。住まい手が楽しく、正しく暮らしていけるように。そのためのサポートを、惜しまず行っていきたい。

もうイライラしない

一昨日(※)手に取り損ねた本、何だったかなぁ、見つかるかなぁ、と思いながら事務所近くの本屋で今日探したら、あった。いまの自分が注意すべきふるまいが、凝縮されているように感じた。とはいえ、このタイトルが自宅の本棚に並んだら、まるで自分がいつも職場でイライラしている人間であるかのように見えて嫌だ。なので、いつもは「カバーはいりません」とレジで言うのが習慣になっているのに今日はたまたま言いそびれたにも関わらず、無言でカバーをかけてくれた書店員さんにそっと感謝した。決して、タイトルや装幀が嫌いだとかそういうことではない。どうにもストレートすぎるタイトルが目に入るのが、気になってしまうのだ。

 

上機嫌で行こう。イライラしたら負けだ。そのよどんだ空気が伝播して、さらに険悪になる。他人を変えようとするのではなく、自分が変わればいい。そして、叱られたらありがとうと言う。焦らず、あわてず、飽きず、あきらめず、ありがとう、の5Aを大切に。

 

職場のイライラをすっきりなくす本

職場のイライラをすっきりなくす本

 

 

(※)
bibbidi-bobbidi-do.hatenablog.com

  

注意されて、ありがたいと思うこと

怒られること、叱られることは、もちろん嫌ではあるけれど、それでいじけてはいけない。失敗しても何も言われなくなるよりは、よほどいい。そんな言葉を聞いて、当たり前のことなのになぜだか実践できていない自分が情けなくなって、そうだよな、ちゃんとしなきゃ、と気持ちを新たにした。言われているということは、少なからず期待されているということだ。へらへらするのは論外だけど、凹むんじゃなくて、ありがたいと思わないと。

 

片付けなければならない仕事の量の多さにげんなりする金曜日の夜。どこから手を付けていいかわからず、手をつける気力もあまりなく、若干放心状態の金曜日の夜。息抜きに事務所を出てご飯を食べて、立ち寄った本屋でふと目にして立ち読みした本で、そんなことを言われたものだから、心にグサッと刺さった。まさに今日、昼間の打合せで自分がしでかした失敗と、それに対する指摘に対して、なんだよと逆ギレしていた自分に気づいたからだ。本当に心が狭い。上機嫌で行こう、と何度心に誓ったのか分からないのに、ぜんぜん実践できていない。

 

その本のタイトルを忘れてしまったし、そのとき財布を持っておらず買うこともできなかったから、週明けまた本屋に行ってその本を手に取れるか、自信がない。響く言葉に出会った時に、すぐに手に取れる体制を整えていないといけない。じゃないと、はっと気づかされた教えを自分の身に刻んで、過去の失敗というトゲを抜くこともできない。

 

あの日に刺さったトゲを抜かなきゃ とりあえず未来はない

(THE YELLOW MONKEY/聖なる海とサンシャイン)

 

大好きな歌詞。

 


聖なる海とサンシャイン / THE YELLOW MONKEY

 

身体を動した後の心地よさを

習慣を大事にしよう。習慣こそが未来の自分をつくるんだ。そう、昨日の記事での本を読んで思った。自分には胸を張ってこれを続けている、と他人に言える習慣があるだろうか。ない。

 

特に、そうそう、そうなんだよ、と手を叩いたのが、頻度と難易度との関係について。例えばジョギングとか、腕立て伏せとか何でもいいのだけれど、毎日やるのと一週間に一度やるのとどっちが大変か比べた時に、毎日やる方が大変だと思いがちだけれど、そうではないということ。最初、慣れるまでの時間はかかるにせよ、軌道に乗ったそのあとは、毎日やる方が楽である。一週間に一度とかだと、今日はやる日だっけ?やらない日だっけ?と考えたり、今日はやる日だけど気乗りしないから、来週2回やって帳尻を合わせようとか、余計な考え事が加わる。なにより、一週間に一度だと6日間の空白があるから、やるためにあげる腰が重い。毎日やれば、やるかやらないか迷わずに済むし(やるしかない)、だんだん腰が軽くなってくる。だから、毎日やるのがいい。

 

というわけで、自分の体調と身体との関係を考えて、運動をしなければならないという危機感もあり、朝、ちょっと早く起きて身体を動かそうと思った。きっかけは今日、午前中に自転車で河川敷を走ったことだった。この気温で正直しんどかったけれど、炎天下の中野球をしている少年たちを見ていたら頑張れよ、ちゃんと水を飲めよ、と応援したくなったし、自分も身体を動かして汗をかく気持ち良さを久しぶりに味わった。そのあと、いつもの喫茶店でコーヒーを飲んでいる時に、運動後の心地よさがじんわりと身体を包んで、快適な休日を過ごせた気がした。だから、それを習慣にすればこの心地よさを平日も味わえて、仕事の効率もあがるんじゃないかと考えた。だって、部活動で毎日必死に身体を動かしていた中学高校時代に、体調が悪いことなんてほとんどなかったし、健やかに過ごしていたじゃないか。肝心なのは、気負わず、頑張りすぎずに。

 

そのためのハードルは、朝早く起きるということ。それを困難にしている理由はただ一つ、夜寝るのが遅いこと。こうしてブログを書いている間にも時間はどんどん過ぎていく。このブログを続けることも、大事にしたいことだけれど、あまり遅い時間に書くことが習慣になってはまずい。さっさと寝よう。

 

ぼくたちは習慣で、できている。

ぼくたちは習慣で、できている。

 

 

 

習慣

事務所からの帰宅途中、いつもの本屋で見つけた本。あれ、どこで見たんだっけ?インスタグラムの#本棚か?何かを意識して継続させているという実感がまるでない自分は、「習慣」という言葉にあこがれを抱いている。自分の成長につながる「習慣」を、ひとつでも意識してやっているか、自分は?

 

早寝早起き・・・理想だけれど、全然できなくなってしまった。寒くなく、むしろ目覚めるにはちょうど良いくらいの時期なのに、朝早く起きるのがつらくなった。さぁ、と起きさえすれば、通勤で使う東西線も奨励するようにラッシュ時間帯を避けて通勤することができるのに。それができないのはひとえに、夜布団に入るのが遅いからにほかならない。生活サイクルを見直さなければ。

 

このブログ・・・6年を超えて続けているものがほとんどない自分にとって、唯一長く続けているもの。でも週末だけだから、ルーティン化しているかというと、そんな感じでもない。あぁ、土曜日だ、書かなきゃ、と追われる実感だってある。文章力だって、向上したようにはあまり思えない。

 

機嫌のコントロール・・・上機嫌でありたい、上機嫌で行こう。と思っていまも仕事をしているけれど、どうしてもうまくいかなくて歯がゆい思いをしている。ちょっとしたイライラが、簡単に自分を不機嫌にさせる。でもそうなると場の空気だって悪くなるし、何より自分の身体によくない。しんどい。だから明日も、機嫌よく。上機嫌は、天性のものではなく、技だ。

 

ちょっとした心がけでも、それを習慣として続けて、身体がそれに慣れれば、他人にはない何かができる気がする。ほんの小さな塵が積もりに積もって山になる、そんなイメージだ。そんなイメージを思い描きながら、自分にとって良いと思える習慣を、続けていきたい。

 

ぼくたちは習慣で、できている。

ぼくたちは習慣で、できている。

 

 

 

丸いコースターと不謹慎な気持ち


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手創り市で、コースターに出会った。良いコースターがないなぁと思っていたところだったので、ちょうどよいと思い、買った。その作家さんは、これから本格的に作家活動を始めようとしているところだそう。まだその名前で検索してもヒットしない。そんな作家さんから、コースターとそこに置く器の「あるある」を聞いて、自分の心の隅にありながらも隠れていて姿を現していなかったものを、言葉で表現してくれたような気がして嬉しかった。

 

コースターは丸いのが良い。丸いコースターにカップを置くと、カップのまわり、コースターの円周部がぷくっとふくらむ。そのモフモフ感が好きだ、と。なるほどなぁ、と思った。

 

三連休最終日。お茶を飲みながら明日からの仕事を思う。やらなければならないこと、考えなければならないこと、解決しなければならないことの量の多さに相変わらず眩暈がするし、今日の昼間だって、現実に向き合いたくなかったから、放置プレイを決め込んでくれる優しい店員さんが魅力のカフェで重苦しい気分をひとしきり味わった。そんな状況だけれど、周囲がぷくっとふくらんだモフモフのコースターに湯飲みが包まれた様子を見ていると、まぁどうだっていいや、と思えてくる。もっと言うと、その「やらなければならないことが山積した状態」であることに、どこかワクワクしている不謹慎な自分に気づく。仕事が遅いせいで返事もろくにできておらず、クライアントに迷惑をかけていることも多いというのに。

 

猛暑と雑司ヶ谷

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雑司ヶ谷、鬼子母神の手創り市へ。この天気でうだるような気分の中。誰よりも出展している作家さんがつらいだろうと思いながら。

 

初めて会った作家さんの一言が象徴的だったように思う。この天気で大変ですよね、と言ったら、「まぁ、好きで出てますから」とサラっと。秋は秋で、銀杏落ちてくるし、冬は冬で寒いし、みんな日なたに行きたがるし、と。自分の作品をたくさんの人に見てもらえる機会を大切にしているんだと感じた。作家さんは、そういう場を欲しがっているのだ、とも。その場を大切にしている作り手がいて、それを楽しむ受け手がいる。その結果、自分のように、日々をちょっと豊かにするヒト・モノ・コトに出会える。

 

天候を理由にめげてはいけないのだと、改めて思った。

 

写真は、参道沿いにある喫茶店。満席っぽくて入らなかったけれど、今度入ってみたい。

 

フェスと手作り市

3連休の初日は体調を崩し、自宅で休んでいた。風邪と筋肉痛を同時に身体に抱え、久しぶりに何もせず、じっとしていた。こういう時間も大事なんだろう。自分の働き方、身体への接し方を見直すきっかけになる。

 

夜、なにげなくネットサーフィンをしていて、ミスチルの櫻井さんと音楽プロデューサーの小林武史さんがやっているap bank fesがこの連休に行われていることを知った。今年はRYUICHI、SUGIZO、INORANが出演するとのこと。こういった、様々なミュージシャンが出て音楽を盛り上げる企画を知る度に、音楽には人を集め、元気にし、たとえ環境問題だけでなくても、身近に感じるようになるきっかけとなる力をもっているのだと気づく。日本でこうした情報を発信する担い手の一人であるLUNA SEAのファンであることを誇りに思う。

 

翻って、自分は。以前から手作り市とかマルシェとか、要は作家さんが集まって自身の作品を発表する場に足を運ぶのが好きだ。店に置かれているものを買うんじゃなくて、作り手の顔を見て、知って、話をして、信念を聞いて、それで買うのが好きだ。手作り市はいろいろな作家さんが集まる。そこで偶然の出会いがあると、もしそこに足を運んでいなかったら一生知ることがなかったんじゃないかと思えてくる。その偶然の出会いが、自分にとって貴重なものだと思えてくる。これまでそういったイベントのおかげで、家具屋さんにも紙文具屋さんにも画家さんにも会えたし、価値観の合う人との出会いもあった。

 

自分は、こういった作家さんが集まって価値を発表する場所をつくりたいんだと思っている。その根源には、自分は作家の立場には絶対になれないんだというコンプレックスがある。どんなに神経を研ぎ澄まして絵を描いたって、人の心を動かせる絵は描けないし、他人に手にとってもらえるようなものをつくる器用さももっていない。だけど、素敵な作品をつくる作家さんがたくさんいるということを、自分以外の人に教えてあげることはできるかもしれない。だから、自分だったら知れてラッキーだったと思えるような作品を紹介するマーケットを企画したい。それが、いまの自分の身近な場所、例えば自宅アパートの中庭だったり、大家さんが運営するレンタルスペースだったりしたら、最高に楽しい。

 

そうか、この考え方は、いろいろな音楽を広めるフェスを企画することと同じなんじゃないか。自分の好きなミュージシャンの曲だけを聴くんじゃなくていろいろな曲を聴いて、好きになるきっかけをつくる。自分だって、何年か前にロックインジャパンフェスに行ったおかげでgoing under groudの良さを再認識したし、locofrankのかっこいい曲も知れた。フェスのようにいろんな参加者に触れて、刺激を受けるという体験は、そのまま手作り市、マルシェに参加して刺激を受ける体験と重なるんだと思う。そういう体験を生み出せる企画を、自分なりの視点でつくれないかなぁ、なんて考えている。

 

魂を抜かれないように


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とかく気が滅入りがちな季節だけれど、自分にとっては、結構好きな季節だったりする。太陽光がじりじりと肌を焼いて、汗が出てきても、それでも負けないぞ自分は、と思える。実は、結構ではなく、大がつくほど好きな季節だ。

 

昔、幽遊白書というアニメが好きでよく観ていた。そのなかで、「あつい」と言ってはいけない、もし言ったら魂を抜かれてしまう、というゲームをするシーンがあった。「タブー」という能力をもつ海藤と蒸し風呂のような部屋で頭脳合戦をするのだが、「暑い」と言ってはいけない他、「ああ。ついでに」というように「あ」と「つ」と「い」を繋げて言っただけでダメ、という無茶苦茶なルール。そんな破天荒なルールを当時はフィクションだからと面白がっていたけれど、いまになって、「病は気から」じゃないけれど、それに近い真面目な意味も感じとることができる。「暑い」と口にするから暑く感じ、嫌な気分になる。だから、言わないようにしよう。魂も抜かれちゃうし。そう思って、真面目な話、今日まで来ている。

 

夏。大好きな季節だ。仕事で久しぶりに訪れた仙川駅前には、サルスベリが真っ赤な花を咲かせていた。この時期に堂々と花を咲かせるサルスベリの生命力に、あこがれる。自分もそうでありたい。魂なんて抜かれている場合じゃない。

 

リネンシャツ

マーガレットハウエルのリネンシャツを好んで一年中着ている、と尊敬する松浦弥太郎さんが言っていて、すぐに真似をしたくなった。もともとリネンの素材感を好きになったきっかけは忘れてしまったけれど、もしかしたら彼の言葉だったのかもしれない。それくらい、シャツに限らず、リネンのもつ肌触り、清潔感に、ひかれる。

 

確かあったはずだと思って足を運んだ銀座の松屋でマーガレットハウエルを見つけ、ちょっと背筋を伸ばして、覚悟を決めて、入った。そしてすぐ、そういえばしばらく前、リネンシャツを見にここに来て、店員さんに「いまは扱っていないんです」と言われてしょぼんとしたことを思い出した。そうだった、ないんだった。

 

一応店内を見て回って、店員さんに「リネンシャツを探してるんですが」と尋ねたら、「ありますよ。セール対象外ですが」とあっさり言われ、拍子抜けした。手に取って、その素材感に触れて、これだ、と思った。サイズだけが心配だったので一応試着して、問題ないことだけ確かめたら迷わず、これください、と口にしていた。値札を見ていなかったことに気づいたのは、レジでカードを出して、店員さんに電卓の数字を見せてもらった時だった。一瞬ビックリしたけれど、もちろん後戻りはできないし、その分着つくしてやろう、という覚悟ができた。

 

マーガレットハウエルのリネンシャツは、襟のデザインが良い。だから、一番上のボタンまで閉めるのがポイントだ。松浦弥太郎さんがそう言っていて、最初はそんなばかなと思っていたけれど、なるほどと納得。シャープな襟のカーブが、第一ボタンをはずした状態だと見えない。よくできてると思った。

 

 

昼間、ちょっと仕事。クライアントとプロジェクトの打合せ。仕事が遅く、スタッフの手を煩わせてしまってばかりな自分だけれど、打合せは気を引き締めて、クライアントの利益を最大限考えたい。第一ボタンまで閉めたリネンシャツで自分に渇を入れる。シャープな襟のラインのように、仕事の思考も、シャープに。そしてゆるぎなく。

 

白のシンプルなリネンシャツを、違和感なく着ることができるオトナになりたい。

 

続・日々の100 (集英社文庫)

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