雨が教えてくれること

ながいこと、雨を嫌っていた。気分は落ち込むし、足元は濡れてジメジメするし、寒いし、冷たいし。日常において切っても切り離せない存在であり、今後もずっと付き合っていくべき相手であるはずなのに、なかなか笑顔で「やぁ」と迎えることができない。6月生まれなのに、6月があまり好きでないという、不幸。

 

それでもいまは、割と毛嫌いせずにいられる。雨は、例えばテラスのウッドデッキを濡らし、革の靴を濡らし、コンクリート打ち放しの建物の外壁を濡らす。それぞれ、濡れることで経年劣化を繰り返し、色が変われば、肌触りも変わる。見た目が汚らしくなることもある。だけど、それがむしろ自然なのだ、その変化が面白いのだ、と少しづつ思えるようになってきたのかもしれない。「雨で濡れたら嫌だから、濡れないように」から、「雨が降ったら当然濡れるんだから、濡れた状態さえも楽しみに変えよう」へ。

 

今日も、ずっと雨だった。台風は近づき、街は警戒中。明朝の通勤時間を直撃するという台風は、いつも我々に言葉では言い表しづらい不安と、仕事や学校を休みたい人には期待を、抱かせてくれる。台風なんて毎年、まるで季節のルーティンのように来るのに、要は必ず来るのに、来るたびにあたふたしてしまうような空気が漂っている気がして、あまり嬉しくない。もっと堂々としていたらいいのに、と言ったら不謹慎だろうか。

 

夜、突然聞いたことのない警報音が部屋の中に流れた。なにかと思って音源をたどると、携帯電話。緊急速報メールで、住んでいる市川市の一部に避難準備が発令されたとのこと。ものものしい文面を読んで、決して堂々とできる状況ではないのだということを知る。自宅は範囲外であったけれど、内陸の方はがけ崩れの心配があるとか。君津市にいたっては、避難指示が出ている。こういうとき、自分がもし当事者になった場合、冷静に行動できるか?いざというときに自分の身を守るのは自分なのだと言い聞かせ、動けるか?「どうせ」なんて言いながら普段通り寝転がってしまわないか?と、思い描く。決して他人事ではない。

 

何事もないことを祈りながら、明日は、混乱に巻き込まれることなく、冷静にいよう。

 

人生で大切なことは雨が教えてくれた

人生で大切なことは雨が教えてくれた

 

 

手作り市と稲毛海岸の風景

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終日雨でジメーっとしていた土曜日。自宅近くの手作り市は予定通りやっていて、いままで自分に素敵な出会いをもたらしてくれた手作り市であるので、ふらっと行ってきた。大家さんの行動力の賜物だ。

 

いつも「おっ」と思わせる何かがあって、それは大家さんもオーダーしてもらったというリネンのパンツだったり、毎週行くカフェでも扱っている焼き菓子屋だったり、音質の良い音に変換する木のスマホスタンドだったり、陶器だったり、漆の箸だったり・・・、とにかく手作りのあたたかみのあるモノに触れることができる。最近こういう唯一無二感の強いモノにひかれるのはなんでなんだろう。量産品が悪いというつもりは全然ないのだけれど。たぶん、目の前にその作り手がいて、その作り手の熱意みたいなものを直に感じるからなのだろう。この人が、いろいろ考えながら、時間をかけて、つくったものなんだと思うと、それだけで貴重なもののように思えてくる。そこに自分の美的感覚と一致すると、もうダメ。これを手にすることで美しいものを身近に置きたいという気持ちと、これを手にすることで目の前の作家さんを応援したいという気持ち。この二つが大きいのだと思う。

 

今日は、稲毛海岸の風景を描いたという陶器を買った。比較的近くの場所のなんでもない風景から生まれるイメージが、こうした美しいモノへと形を変える。地味でなく、大人っぽすぎず、また可愛すぎない、ちょうどいい雰囲気が気に入った。

 

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keitasuzuki.jimdo.com

 

朝ご飯を食べよう

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朝食をとる習慣がなくなってしまっていて、それを取り戻すことを年初の目標にしていたことを、最近ふと思い出した。ふと思い出したということは、目標としていたことを忘れていたということであり、当然、達成のための努力をしていないということだ。

 

一方で、体重を減らすということも目標としていた。そのためには暴飲暴食をなくす。適度に運動する。これについても実践できてなく、朝食をとらない代わりに昼と夜に多量のごはんを食べてしまい、結果、翌朝腹が減らない、という悪循環を招く。

 

毎朝ご飯を食べるからといって、太るというわけではない。逆にいま食べていないから、その分摂取量が少ないので太る可能性が少ないかと言うと、そうでもない。昼と夜にがっつりこってりしたものを食べたら、意味がない。この不摂生が、いまの自分の心身にふりかかる苦痛の原因になっているのだとしたら(それが大きな原因である可能性が高いということが、周囲の指摘によって最近気づいた)、もっと真剣に考えて目標達成のための努力をしなければならない。

 

せっかく、マルシェで美味しいバターを買ったんだ。それを食パンに塗るための手彫りの木べらも買ったんだ。コーヒーがさらにおいしく感じられるようなマグカップも買ったんだ。朝ご飯を、食べよう。

 

有楽町のわくわく

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駅前に行くたび、何か新しいものに出会える気がするから、有楽町が好きだ。

 

東京交通会館ビルの1階。大きな本屋で時間をつぶすのも良し。毎回いてくれるキッチンカーのチョコクロワッサンやコーヒーを楽しみながらベンチに座って一休みするのも良し。その時その時のお店の商品を眺めるのも良し。今日はSHOE SHINEという靴磨き屋さんが、おじさん方の靴を丁寧に磨いていた。靴磨きって、靴を差し出すお客に向かってひざまずいて磨く様子が、サービスする側と客との間の主従関係を表現しているかのようで嫌だった。けれど、客と会話しながらニコニコと靴を磨いている男の人と、だんだんきれいになっていく靴を眺めて同じくニコニコしている客を見て、それが偏見に満ちた考えであることに気がついた。サービスする側とそれを受ける側の関係は上下関係ではない。「お客様は神様」じゃなくて、対等だ。そう思っていままでサービスを提供することを心がけてきたけれど、それはどんなサービスであれ変わらないんだ。

 

ジャムを見ると、わくわくする。なくても生きて行けるけれど、あると毎日の暮らしがちょっと楽しくなる。そんな「ささいなもの」感が嬉しいのかもしれない。月島の「太陽のマルシェ」で以前買ったオリーブとレモンの瓶詰めバターは絶品で、少しづつすくってはパンに塗ったり、スパゲッティのソースにのせたりして味わっている。バターも、ジャムも。なくても何の問題もないけれど、あったらちょっと嬉しい、しかも選択肢はたくさんすぎるほどあって、選ぶプロセスが楽しいから、好きだ

 

詩集

江國香織「パンプルムース」という詩集に、ひょんなきっかけで出会った。目の前の本棚に並ぶ本の中で、ひときわ輝いて見えた。ページをめくると、ひらがなで、やさしく語りかけてくる言葉の数々が。読んで知識を得るとか、物語の世界に入り込むとか、そういったのとは違った特別な楽しさが、詩集にはあると思った。

 

雨の日の昼間に、部屋の電気をつけるのはやめよう。それが自然だ。



パンプルムース!

パンプルムース!

 

 

たねまめマルシェ

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相変わらずの腰痛と格闘している。今日が休みでよかったと思いつつ、ずっと安静にしているわけにもいかず、接骨院で見てもらいながらも、外へ出る。かねてから行こうと思っていたマルシェだ。腰痛で若干苦しい思いをしてでも、前回マルシェに行けなかったリベンジをする価値はある。

 

相模湖の、さまざまな作家さんが集まる「たねまめマルシェ」で、自宅の壁面本棚をつくってくれた家具屋さんに久しぶりに会った。蔵書票をつくってくれた紙文具屋さんも一緒だ。クリエイターさんと話をすると、あたかも自分も脳が活性化されるようで、刺激になる。

 

今日はクルミ材で手彫りでつくられたスプーンとバターナイフを買った。以前ここで食事をしたときに出てきてそのフォルムに一目ぼれしたマグカップも買った。蔵書票の刷り増し注文もした。ふわっふわのシフォンケーキも食べた。かわいらしいイラストを描かれるイラストレーターさんから直接ポストカードを買った。手仕事に触れられた、貴重な一日になった。腰の痛みがなければもっとゆっくりできたのに・・・


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はたらくきほん

金曜の夜。帰り際、事務所近くの本屋で新刊を見つけ、手に取る。仕事に対する気持ちを引き締めてくれる、長々とつづられた文章ではなく、少なくもていねいに構成された言葉。その言葉ひとつひとつが、そうだよなぁ、そうあるべきだよなぁ、と思わせる。仕事が雑で情けない、と思うことが多い自分への戒めとして。

 

「ひとりで抱え込まない。」最近でこそいろいろなところで見かける言葉だし、そうだよなぁ、とグサッと来ることが多いのだけれど、チームで動くマナーとして守れているかと言うと、疑問だ。いつも「ひとりで抱え込むな」という言葉と「自分の頭でまずは考えろ」という言葉が頭の中で戦闘を繰り広げる。抱え込まずに仲間に振ったら、考えることを放棄したことになってしまうのではないか、と。そのさじ加減は、いつも、難しい。

 

はたらくきほん100 毎日がスタートアップ

はたらくきほん100 毎日がスタートアップ

 

 

夜の国のクーパー

伊坂幸太郎夜の国のクーパー」をいま読んでいる。

 

大好きな彼の小説の中で、これほど買って読むのをためらった作品はないと思う。最初に本屋で見かけて、裏表紙であらすじを読み、パラパラとページをめくったときに、まるで読み終えられる気がしなかったのだ。つまらなそう、というのとはもちろん違うのだけれど、大好きな作家さんで、面白い作品を期待してしまっているからこそ、なんかその期待とは違うんじゃないかという予感がずっとしていて、読んでいなかった。で、「ゴールデンスランバー」とか「マリアビートル」とか「死神の精度」とか、最近では「AX」とか、そういうのを読んできた。「魔王」と「モダンタイムス」を読了したことは、自分にとって少なからず自信につながった。彼の頭の中にある深い宇宙のようなものを体感できたから、次のステップへと跳べると思った。こうして、そろそろ読んでいいだろう、そろそろ読めるだろう、と思えたタイミングで、ようやく手に取ることができた。

  

読み始めて感じているのは、読む前に抱いていた印象そのままに、淡々と、不思議で非現実的な出来事が進んでいくなぁ、ということ。身体をツタに絡まれて動けない男。しゃべる猫。鉄国の兵士。そしてクーパー。これからどう話が進んでどう着地するのか、まるで想像できない。退屈、と言うと口が悪いけれど、そんな時間もありつつ、突拍子もない出来事や描写がさらりと出てくる。読み終えるのにいつにも増して時間がかかりそうな気がするけれど、それを悪いことととらえず、その時間をじっくり味わいたいと思う。

 

そんなことを考えながら、週末、いつものカフェで、少しだけ読んでは飽きて、本を置き、コーヒーと、店主との会話を楽しんだ。昼間に一度行ったら混んでいて入れなかったから、しばらく時間をつぶしていた。立ち寄った本屋で、彼の新刊を見つけてしまった。「あの泥棒も登場」てことは、彼か?また面白そうだ。だけど、いま頑張って読んでいるものがあるんだ。これを読み終えたら買うから、ちょっと待っててね。

 

夜の国のクーパー (創元推理文庫)
 

  

ホワイトラビット

ホワイトラビット

 

 

仕事は終わらない

相変わらず自分の仕事の遅さ、要領の悪さに嫌気を感じる毎日だけれど、「どうせそんなもんだ。その程度だ、自分」と開き直っていては先へ進めない。これに関しては他人に負けない、というものはそのままに、ダメな点はそのことを認めつつ、じゃぁどうすればよいかを考える。

 

一時、「仕事術」みたいなビジネス書を頑張って読もうとしていた時期もあった。ビジネス書にはそれなりのノウハウが含まれていて、著者が経験を通して学んだことを1,500円程度で知ることができるのだから、それはそれでためになると思う。だけど、なんだか手に取る気分にならなくなってしばらく経つ。素直になって学べば良いのに、それができないということは、自分は素直になりきれていないということか?それもあるが、一方で、本に書いてあることを律義に真似したところで結果は変わらないんじゃないか、という諦めの気持ちもある。さらに、「それができたら苦労はしない。それができないから困ってるんだ」というようなアドバイスも多々あり、まるで前提条件すらクリアできないかのようで、自分に情けなくなってしまう。

 

「素直に」というのは、尊敬する松浦弥太郎さんの本から学び、そうであろうと誓ったことだ。ここで「どうせ」と諦めるんじゃなく、また、できない自分に凹むのでもなく、やってみたらいい。そんなことを、最近よく考える。

 

なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である

なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である

 

 

マイクロソフトWindows95の開発に携わった著者なりの、スピード仕事術。スピードを意識すること。いつも自分はダメだと指摘される部分だ。

 

つくる過程の楽しさ

ふいに腰痛が再発した。今年の初めに訪れた激痛とほぼ同じパターンだ。なにも前兆はなかった。なので予期することもできず、参った。日頃腰に蓄積された負担があるきっかけで爆発したような感じだ。つくづく体調管理は大切なのだと思った。体調は万全なのにも関わらず、腰が痛いというただそれだけの理由で歩くことすら満足にできず、心が沈んでいく、というのがつらい。元気なのに満足に動けない、歯がゆさ。

 

竣工済みのコーポラティブハウスにお邪魔して、住まい手の話を伺った。コーポラティブハウス建設中の思い出だとか、設計プロセスで楽しかったこと、また大変だったことなど。それぞれの、自由設計を通して何をどのように楽しんだか、何を知ろうとしていたかが聞けて、勉強になった。共通しているのは、やはりつくる過程を楽しんでいるということ。無数にある選択肢の中から素材を選び、決定する。その手順を、面倒くさがらず、面白がっている。そのことがなんだか嬉しかった。

 

腰が痛くて自宅でなるべく安静にしていなければいけない時であっても。その時間すら快適だと思える住まいだったら、どんなに楽しいだろう。もしかしたらコーポラティブハウスなら、そんな住まいができるんじゃないか?

 

台風一過

台風一過の快晴。その暑さに驚くくらいだ。夜中、土砂降りの雨の音を聞いて気がめいっていたところでの分かりやすい晴天に、ほっとした。じんわりと湿気をまとった空気に休日を支配されるなんて、とんでもない。

 

いつも以上に遅いペースで走ってもなお汗が身体にまとわりついて「ずいぶん走った」という達成感を得られたのは、この気温のおかげだ。雨が降っていたら、もっと下がっていたテンションのまま走ることになっていた。

 

河川敷を走るのは、そこに水という資源があるからなのか、遠くまで見通せる景色があるからなのか、自分と同じように走っている同志をちらほら見かけるからなのか、理由はよく分からないけれど、とにかく気持ちが良い。近くに川があって、それに沿って走れるというだけでも、自宅がここにあってよかったと思う。

 

晴れていたからか、テントを張ってバーベキュー、なんて人も多かった。この3連休が最後かな?今月いっぱいはこうして楽しむ人が集まるのかな?盛り上がっている人たちを横目に、こうやって休日にアウトドアを楽しむ人で賑わうまちに住んでいることにほんの少し誇りを感じながら、息を整えて歩く。

身体の中に嵐を

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3連休初日の昨日は、気持ちよさげに走る仲間をSNSで知り、感化されて久しぶりに走った。走っている仲間の存在を知ると、励みになる。しかし、何かもっと強い動機づけがなければ、どんどんやる気は落ちていく。早く東京マラソンのエントリー受付を開始しないだろうか。当選するしないは別として、「エントリーした」という既成事実が、もっとちゃんと走れと自分を奮い立たせる。

 

(9/26追記 このときすでに東京マラソンのエントリー受付が終了していたということを、後に知った。恥ずかしい・・・)

 

「インスタ映え」なんて言葉も生まれ、その瞬間を切り取った写真にどれだけ自分の充実度を詰め込められるかを競い合ういまであっても、写真を撮るのが下手な自分は、スマホをもってジョギングするのが億劫でしかたない。だけど、手にすることでなにか生まれるかもしれないという期待を胸に、初めてスマホをもって走った。ポケットに入れても邪魔なので、リレーのバトンのように手で握って。スポッと手から抜けてぶん投げちゃわないよう気をつけながら。

 

台風が来るとのこと。雨が降り出す前に、そして暑くなる前に、と思って、午前中、起きてすぐ家を出たのが、結果としてまずかった。準備運動はしたとはいえ、寝ぼけた頭と身体に運動はよくない。走り始めてまもなくダルさに襲われ、ランナーズハイどころじゃなかった。別の意味で日常を忘れ、ひたすら走った。

 

ぽつぽつと降り出す。風はなく、静かだ。嵐の前のなんちゃらというやつか。そしてこのあと、自分の身体の中で苦痛と言う名の嵐が吹き荒れることになる。そうか、身体の中に台風を直撃させ、暴風雨を起こし、内臓をかきまわす。それこそが自分にとってのジョギングの目的なのかもしれない。何も考えることができない、を通り越して、胸が苦しいのを何か無理やり考えることで紛らわせるといった状態。そういう状態で頭に浮かんだことが、実はいまの自分にとって大切なことなのではないかと思えてくる。

 

走り終わった暁には、台風一過の晴れ晴れした気分が待っていた。これが気持ち良いから、甘んじて台風直撃を受け入れる。インスタ映えしない写真でその気持ち良さが伝わらなくても、自分にその晴れやかな気分が蓄積されればそれでいい。

 

 

どうせならこの3連休、毎日走ってやろう。昨日まではそう思っていた。思ったのだけれど、さっそく今日挫折した。また雨のせいだ。雨は強さを増し、自分の気分を反映するかのように、空気はジメーっとしている。明日は・・・土砂降りの中を走ってやろうか、とムキになりながら予報を見たら、晴れだった。そんなもんだ。

 

人生で大切なことは雨が教えてくれた

人生で大切なことは雨が教えてくれた

 

 

 


LUNA SEA - STORM

本をシェアする

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勝どきの「太陽のマルシェ」に行ってきた。以前一度行って楽しいイベントをやっているなぁ、と思いながらもなかなか二度目に行けていなかった。ちょうど天気も良かったし、他に行くところもあったのでそのついでに。

 

自分は「マルシェ」の何が好きなんだろう、と考える。普段スーパーでしか買わないような野菜が都心で堂々と売られている様子が新鮮だから?いままで見たこともないような食べ物が売られているから?いろいろ理由はあるのだろうけれど、一番の面白さは「普段はなにもないのに、その日その時だけはモノを売る人が集まり、そこに買い手も集まる」というイベント感にあるのだと思う。スーパーとかデパートとか、常にあるお店で定期的にイベントをやってる、というのはあまり特別な面白さは感じない。だけど、普段は子供たちが遊びまわるような公園広場に、毎月第二土日だけテントが並び、市場ができる。その「ないところに売り場が生まれる」エネルギーに、そそられるんだ。売り手の、自分が扱っている商品を少しでもたくさんの人に知ってもらいたい、というエネルギーをものすごく感じるから、見て、試食して、話を聞くだけでも、面白い。

 

気さくなお兄さんとの会話が楽しいオリーブオイルのバターも。ご主人の熱意をものすごく感じる無農薬野菜も。日本の食をよりおいしくする、竹製まな板などキッチン道具も。自家焙煎珈琲も。そして、「ストローはいりません」といった私に「おっ男前ですね」と店員さんがほめてくれる(結局「かきまぜたほうが美味しいですよ」と言われストローを受け取った。お姉さんの前でカッコつけました)レモネードのキッチンカーも。どれも新鮮で興味深かったけれど、ちょっと別の視点で、印象に残ったのが、「J-WAVE BOOK SHARING」だ。

 

WOW!TOKYO - 2017.09 TOKYO SHARING GOOD || J-WAVE

 

読まなくなった本を次の誰かに伝える。本をシェアするという発想は、ありそうでなかったと思う。並んでいる本はどれも持って行っていい。それぞれの本には栞がはさまっていて、その栞には、本を預けた人のその本に対するコメントが書かれている。栞のコメントを読んで、前読者から次の人へとバトンタッチする、という感覚が、面白いと思った。

 

内田樹さんの見たことのない本が目に入り、いいですか?といって手に取った。裏表紙には、中央区立図書館の除籍済みシールが貼られている。図書館からはるばるやってきた本か・・・。そんな出会いも、素敵。

 

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そして、譲り受けるだけじゃシェアにならないので、たまたま持っていた本の中から1冊、他の人にも読んでほしいと思い、お譲りした。栞に自分の気持ちを添えて。これも一期一会。

 

あまり気負わず、エネルギーを使うことなく、新しい出会いを味わえる。そこから、また新しい出会いの芽が出る。それがマルシェの魅力だ。

 

negroni

その履き心地がとにかくよくて、ここ数年ずっと履き続けているスニーカーがある。カクテルの名前と同じドライビングシューズのメーカーを初めて知ったのは何年前か忘れてしまったけれど、それ以来、仕事でも、カジュアルでも、オールマイティーに活躍している。

 

negroni.jp

 

ドライビングシューズだから、ペダルの踏みやすさとか、足へのフィット感とかを大事にしている靴なのだけれど、車を運転しない自分にもぴったりだと思っている。そのコンセプトから考えると、自分はnegroniをnegroniらしく使っていないとも言えるけれど、まぁそんな使い方もありだろう、と開き直っている。カッコよくて、レザーの素材感があって、歩きやすい。靴にこんなフィット感を感じたのは初めてだった。

 

そんな靴も、ずっと履いていれば劣化してくる。あるとき、ラバーソールに穴が開いていることに気づいた。そんな強くない雨だったにもかかわらず、足に水を感じたからだ。どんなに愛して使い込んでも、むしろ使い込めば使い込むほど、その時は必ず訪れる。

 

もうだいぶ使い込んだから次のパートナーを探そうと思い、向かったのは前代からお世話になっている銀座三越。一番興味のあったカラーは残念ながらなかったけれど、それでもすぐタイプのものに出会い、手に取った。以前なら敬遠していたかもしれないカラーを、ちょっと勇気を出して選んだ。

 

前回買った時も確か対応してくれたベテランぽい店員さんに、これ履き心地良いですよね、と共感され、そして何気ない会話の中で、ラバーソールのみの交換修理もできるのだということを知った。そうか、その手があったか。というか、それくらい当たり前だよな、といまさらながら気づいた。そして、それこそが自分が本当に望んでいたことなんじゃないのか?とも思う。壊れてしまったから次の新しいものを買う、じゃなくて、壊れてしまった部分を直しながら、引き続き使っていこう、と。

 

新しい相棒との出会い、これは大切にしつつ、壊れてしまったことで半ば使うことをあきらめていた彼も、修理に出そう。ボディの革もだいぶ劣化しているけれど。経年劣化そのものを楽しめる寛容さを、持ち続けたいと思っている。

 

終末のフール

伊坂幸太郎「終末のフール」を読んだ。1つの話がだいたい片道通勤時間で読み切れるボリュームだったので、すらすらと読めた。「8年後に隕石が地球に衝突して人類は滅亡する」そんな衝撃的なニュースが流れてから5年。人類滅亡を3年後に控え、街の混乱も徐々になくなりつつある中、仙台の団地「ヒルズタウン」の住人にさまざまな人生が訪れる。主人公である住人がそれぞれ異なる8つの短編集だが、Aの話の主人公がBの話で出てきたり、Bの話で出てくる人がCの主人公だったり、というように、登場人物が絡まり合っているのが、彼の小説の面白いところ。「あれ、この話、どこかで出てきたな」なんて気づくのも、読んでいて楽しい。

 

終末のフール (集英社文庫)

終末のフール (集英社文庫)

 

 

人生の終わりが3年後に。そんな状況で、自分はどんな精神状態でいられるのだろうか。なりふり構わず、他人を蹴落としてでも、自分だけは生き残ろうと必死に櫓にのぼるのか?それとも、「隕石に感謝しているんです」なんて言える人の言葉に感銘を受けて、静かに受け入れる決心をするのか?「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか」「できることをやるしかないですから」なんて言いながらいつも通り、いまやるべきことに目を向けることができるか?きっと、その時の自分の置かれた状況によって違うし、いろいろなパターンが考えられるのだと思う。それを考えるきっかけになった。

 

 

「終末のフール」「太陽のシール」「冬眠のガール」・・・というように、それぞれの話は「〇〇の●ール」という名前で統一されている。この決まりにのっとって、自分も何か一つ、終末を迎える団地の住人のストーリーが創作出来たら面白いなぁ、なんて考えたり、した。例えば・・・

 

システムエンジニア渡辺拓海は、ソフトウェア開発の会社に転職して間もなく、上司からパワハラにあう。仕事はいつも夜中まで。残業が続き、終電に間に合わない日々。心身ともに疲弊し、辞めてやろうと思うも、辞める勇気がない。

 

そんな中、隕石が8年後にやってくるというニュースを聞く。最初は驚いたものの、そのうち、「これでしんどい仕事ともおさらばだ。自分だけじゃなく、世界全体が消滅するんだから、ラッキーだ」と思うようになる。しかし、最初こそ暴動も起きていた世の中も徐々に平穏を取り戻し、会社は何事もないかのように業務を続けている。上司のパワハラは続く。「3年も待てない」そう思った渡辺拓海は、隕石が衝突することをまるで信じていない会社の仲間にその事実を証明してみせ、仕事なんてやってる場合じゃない、と会社を投げ出すように仕向けようと、隕石が地球に衝突することを示す精密計算ツールを開発しようとする。

 

クライアントからの仕事はそっちのけで、毎日夜遅くまで、終電なんて気にせず没頭した。そしてその精密計算ツールが完成する直前。渡辺拓海は、上司が実は隕石が地球に衝突するのを防ぐための(軌道をそらすための)電波を発信するソフトを開発していることを知る。自分のプロジェクトが完成して、会社を混乱させ、上司のパワハラから逃れられれば、楽しい人生が戻ってくるけれど、余生は3年しかない。一方、上司のプロジェクトが成功すれば、もっと生きることができる。葛藤しつつも、上司のプロジェクトへの情熱に触れた渡辺拓海は、上司のパワハラをうまくかわしながら、上司のそのプロジェクトを手伝う決心をする・・・

 

そんなストーリーを、勝手に頭の中で思い描いたりする。「モダンタイムス」の渡辺拓海がここで出てくる、なんてことはありえないだろうか。

 

モダンタイムス(上) (講談社文庫)

モダンタイムス(上) (講談社文庫)

 

  

モダンタイムス(下) (講談社文庫)

モダンタイムス(下) (講談社文庫)

 

  

タイトルは・・・「精密のエール」とか?計算を使って隕石の衝突を食い止める上司のプロジェクトにエールを。ちと強引すぎか。