右脳と左脳

国立西洋美術館のコルビュジエ展が今日までだということを、昨日知った。最終日できっと混雑するに違いない、ゆっくり観られないに決まっている、と思い、スパッと諦める。早々に行かなかった自分が悪いんだ。混雑が嫌いで、渋滞が嫌いで、行列が嫌い。それを理由に行かないと決めてしまう自分には勉強熱心さが足りない。それだけたくさんの人が足を運んで観てるってことは、自分がそこで何かを学んだとしても、多数の他人と同じことを下にすぎない、そうやって行かなかった自分を正当化する。

 

代わりに、仕事終わりの午後、サントリー美術館へ。右脳と左脳の両方のアプローチで美術品の美しさを感じる展示。情報を得たうえでそれをなぞるように鑑賞することと、事前情報なく鑑賞すること。その二つを同時に楽しむ。ちょっと難しくて、鑑賞者がたくさんいたので一つ一つ自分のペースで観ることができなかったな。

 

自分が何かモノを好きだと思うきっかけは、ぱっと見のインスピレーションできれい、と感じる右脳的アプローチと、モノが生まれる背景やコンセプトに共感する左脳的アプローチと、両方あることに気づく。逆に、コンセプトには共感するのだけれど、よくよく見るとそうでもないなぁ、と思うこともあれば、ルックスはいいのだけれど、コンセプトにはあまり共感できないこともある。「これ、好きかも」と思う時の脳には複数の動きかたがあるのだということを、知ることができた。

 

書く習慣を心がける

なんとなく頭に思い描いていることを、書き記すこと。「おっこれいいアイデアじゃないか」と思ったことをすぐメモすること。行きたいところ、行くべきところをリストアップすること。なんでもいいから、書くことに対するハードルをとにかく下げて、どんどん記録する習慣を身につけたいと思っている。

 

 

きっかけは、ずいぶん前に買ってずっと手元に置いているクロッキー帳。建築学科の学生にとっては必需品だし、建築の設計者も身近に置いているものだ。エスキスは、自分の頭にぼんやりと浮かんだイメージを可視化する作業。形にすることで初めて、自分の考えに気づくということもある。

 

当然絵だけでなく、言葉も。何かで読んで心に残ったフレーズを、残しておく。あとで見返したときに、書いた当時のことを思い出して、忘れていたアイデアがよみがえることもあるだろう。だから手元にクロッキー帳を。ピンときたらすぐに書けるように。

 

 

「仕事のできるメモ魔」にあこがれる。メモをとることで他人に一生懸命さが伝わるというメリットもあるけれど、それ以上に、メモをとる作業によって記憶が深化されるという感覚の方が大きい。小学生の時に漢字練習帳にひたすら漢字を書いて覚えたように。そして、それと矛盾するようだけれど、書くことによって安心して忘れられるという側面もある。あとで見返せば辿れるんだから、頑張って記憶する必要がない、その安心感が、気持ちに余裕をもたらす。

 

メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book)

メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book)

 

 

 

いつものカフェで。カウンターでコーヒー飲みながらボーっとする時間も好きだけれど、クロッキー帳を広げて、思い浮かんだことをひたすら書き連ねる、その集中作業時間も好きだ。そういうとき、普段とは違う気持ちが湧きあがって、文字に現れるような気がするから不思議だ。

 

 

夕方、天気が良いし気分も良かったので走った。相変わらず運動不足がたたってすぐにバテるし、なかなか体力は戻らないけれど、それでも走りながらあれこれ考えている時間はとにかく気持ち良く、このハイな感覚があるから走れていられるのだと思う。本当は、ふと思い浮かんだ言葉をすぐ書き記せるように、クロッキー帳をもって走れたら最高なのだけれど、いかんせん、走りながら文字を書くのが難しい。汗で紙がベトベトになるだろうし。この問題を解決できたら、発明だと思う。

 

 

書くことを習慣にする。そうすると、仕事について日常的に考えることも習慣になりそう。休日は休みなんだから仕事のことは忘れてリラックス、というのも分かるのだけれど、そうじゃなくて、リラックスしながらもアンテナを張って、どうすればいまのプロジェクトがうまくいくか、もっと気持ち良く効率よく働くにはどう動くべきか、を考える。そうして頭から出てきたものを、クロッキー帳に書き記す。これを毎日のクセにできたら、もうちょっと、他人に振り回されず、自分を見失わず、丁寧に仕事ができるんじゃないかという気がしている。

 

実績が最大の営業ツール

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自宅近くの手作り市へ。大家さんが主催する手作り市は、毎回たくさんの人で賑わう。今日も同じ。作家さんを呼ぶ力、見つける力もすごいけれど、お客さんを集める力もすごいと思う。

 

自分が気になっていたのは、タイル雑貨の作家さん。もともとタイル職人だったのが、ある時を境に、ただ請け負うのではなく自分で作品をつくるようになったという。玄関床やキッチン壁など、オーダーに応じてタイルを貼る。請け負ってつくる職人から自らデザインしてつくる作家への転身というストーリーが、自分の心を動かした。自分もそうやって働き方をきちんと考えるべきなんだろう。

 

クライアントから次のクライアントへ、実績を通して口コミなどでその輪が広がっていくのだという。外を歩いていて作品を見て、気になったことがきっかけでたどり着く、というパターンも多いのだとか。その話を聞いて、「実績が最大の営業ツール」なのだということを改めて実感した。実績が、自らの仕事を一番的確に、分かりやすく伝えてくれる。

 

「多くの人に知ってもらえればそれで」なんだか謙虚だけれど、でもタイル貼りの巨大ゆばあばを転がして街を歩き、作品を知ってもらおうとするその姿勢を見て、自分で仕事をするってこういうことなんだと思った。

 

katsutile.com

 

遊びとしてのRUN

朝、河川敷を走る。習慣にしようとどれだけ胸に強く刻んでも、なかなか続かない。それを仕事のせいにする。本当に、よくない。

 

こうやって久しぶりに走ると、たいして距離が進まないうちにバテて足が止まりそうになる。だから少しづつでいいから続けることが大事なんだ、といつも走りながら思う。

 

でも走っている時は、何かを一身に考えることができるし、身体から汗と一緒に老廃物が流れ出ている感じがして気持ちがいい。気温も高くなってきた。朝起きやすくなってきた。これからが習慣化するチャンスなんだ。

 

「小休止のすすめ」でサイバーエージェントの藤田社長が、タレントのヒロミから遊びを教えてもらったと言っている。最初はシーバス釣りだったという。一方、自分はとてもじゃないけれど彼ほどがむしゃらに仕事をしてきたとは言えないし、どちらかというと「遊びもいいけどお前はもっと仕事に熱中しなさいよ」と言われそうなくらいだ。だけど、自分にとって仕事の緊張から抜けて一心不乱に取り組める趣味、遊びとはなんだろうと考えたときに、クラシックギターだったり、このブログだったり、手作り市巡りだったり、まぁ薄くもいろいろあるけれど、ジョギングって胸を張って言うのもいいなぁと思った。だって、走っている時は、確かに苦しいけれど、それは仕事の緊張やストレスとは違って、快感を伴う苦しさだから。仕事上の懸案事項はひとまず忘れて、自分の身体をリフレッシュさせる一番原始的で健全な方法だと思うから。

 

小休止のすすめ (SB新書)

小休止のすすめ (SB新書)

 

 

 

 

Good night

10連休も終わり。こんなにたくさんの休み、本当にありがたい。これでリフレッシュできなかったなんて言ったら絶対に他人に怒られるし、これで休めないのだとしたら休日が何日あってもダメだ。これだけ「サザエさん症候群」にならず、キリリと翌日へと気持ちが向かう連休最終日もあまりない。相変わらず憂鬱は待ち構えているけれど。

 

仕事もあった。家族と楽しく過ごした。自分のこれからのこともじっくり考えることができた。楽しいイベントもあった。そんな連休だった。一方、平成の特に最後の自分は不機嫌だった。特に仕事で。良くないと思いながら、うまくいかない自分にげんなりして、情けなくて、機嫌の悪さを隠すことができなかった。令和元年は、自分にとっての上機嫌元年。いままで意識してもできなかったことを、改めて胸に誓う。

 

素敵な物が欲しいけど あんまり売ってないから 好きな歌を歌う

(THE YELLOW MONKEY/JAM)

 

こんなすてきなオトナになりたいけれど、どこにも売ってないから、好きな歌を歌う。歌って、寝る。

 

Good night

 


THE YELLOW MONKEY – JAM

 

自分は作家にはなれそうにないけれど、作家を紹介することはできるかもしれない

雑司が谷の手創り市へ。一番の目的は、ジャムを買うこと。この手創り市で出会って本当に美味しいと思ったジャム屋さんがまた出店しているとのことで。そういえば、しばらくジャムを切らしていて、朝パンを食べるのをまたしばらくサボっていた。

 

ジャム屋さんと話をし(私は、他人に自分のことを憶えてもらえることが人一倍嬉しい質のようで、そういう人とは何度も会いたいと思う)、ハルカというみかんでつくったママレードジャムを買った。まっ黄色で、酸味が比較的少ないのだという。明日の朝ご飯が楽しみだ。

 

ここで、いろんな作家さんとその作品を見ながら思う。こんなにたくさん、自分の作品を発表しようとする人がいるけれど、彼、彼女らは、皆ちゃんとビジネスとして成立しているのだろうか。継続的に作品をつくりえる環境をもてているのだろうか。実際のところは当事者ではないので分からないけれど、きっとこういう人が集まる発表の場を必要とする作家さんも多いのだと思う。

 

実店舗を持っていて、手創り市の出店は自分の広報ツールの一部に過ぎない、という人もいるだろう。逆に実店舗を持たず、こうした出店をメインに活動している人もいるだろう。それとはまた別のパターンで、今日出会ったプリザーブドフラワー作家さんは、別に本業(庭師の見習いとのこと)があって、作家活動は副業なのだという。本業で得た知識、技術を作品作りに生かせるという利点もあれば、逆に作品作りで生まれたインスピレーションが本業の品質向上につながるという側面もあるだろう。いろんなケースの作家さんがいるなかで、それでも皆自分の作品の良さを知ってほしくて、アピールをする。その作品一つ一つに、メーカーの量産品にはない手づくりならではのあたたかさがあって、自分の生活をほんのちょっと豊かにしてくれる価値がある。だから、こういう作家さんがもっと胸を張って作品を発表し続けられる環境があってほしいと思う。

 

もし自分に何かできることがあるのであれば。自分自身はいわゆる作家として何かをつくり、その価値を発表することはできそうにないけれど、その代わり、こうしたすばらしい作品をつくる作家さんを紹介することはできる。この作品はこういう良さがあって、こういう考え方に共感できる方にはぴったりですよ、と教えてあげることはできる。そういう作家さんを多くの人に知ってもらえるような場所をつくるという役割だったら、もっと胸をはって、堂々とできる気がする。自分自身は住宅の設計はできないけれど、こんな素晴らしい設計者がいますよ、住宅がありますよ、と紹介するいまの自分の仕事と同じように。

 

翔んできた

今週のお題「特大ゴールデンウィークSP」

 

ここへ来てようやく「翔んで埼玉」を観た。別に避けてきたつもりはない。世間の評判を聞いて過度な期待をし、そうでもなかった、と思うのも嫌だったし、なにも映画館でなくても、映像化されたときに観ればいいやくらいに思っていた。今日、まぁせっかくの機会だし、時間はたっぷりあるしと思い、久しぶりに映画館へ。どれだけ埼玉県が虐げられようと、まあ娯楽の範疇だし、イコール埼玉県民が虐げられるというわけでもない。

 

観て、予想以上のスケールの大きさ(と随所にちりばめられるバカバカしさ)に、大いに笑い、感動し、映画館で観て良かったと思った。自分が埼玉出身であることをもっと誇ろう。郷土愛を持とう。堂々としていようと思った。

 

いや、別にいままで埼玉県民であることを隠したことはありません。恥ずかしいと思ったこともありません。千葉県をライバル視したこともありません。東京都民でありたいと思ったこともありません。実は縁あって来年東京に住むことになりますが、待ちに待った東京都民ダー!というわけでは決してありません。これと言ったものがない、と言われてしまえばそうかもしれませんが、その「これと言ったもの」で競って県に優劣をつけるという発想があまりない自分は、はたして競争心がないノーテンキ男なのか?

 

いろいろな星があってはじめて、夜空が輝く。お互いがお互いを認め合えればそれで。何気なくきれいなことを言うGACKTによって誇張された感はあるものの、本当にそうだと思う。自分も、多様性を認められるようでありたい。自分の、強さだけでなく弱さを、誰より自分自身が認めてあげるようでありたい。そうやって無理やりこじつける。

 

連休中に令和の新時代を迎える

連休前半は少しだけ帰省。実家でのんびりと過ごした。改元し、令和の時代になった。想像以上の世間のお祝いムードに気圧される。けれど、生前退位というこれまでにない出来事によって、決して暗い気持ちではなく、明るい気持ちで新しいスタートをきることができている。天皇陛下がそれを願っているのではないかと思えれば、このムードを冷ややかな目で見るんじゃなくて、自分もその当事者になるべきだと気づく。さすがに御朱印を求めて8時間並ぶことはできないけれど、その求める気持ち、空気だけは、共有したいと思う。

 

日経新聞のコラムにあった。「お祝いムードの改元である。これを機に自らの「元年」を心に誓うのもいいのではないか。ひと月や1年で達成できる手近な目標ではない。少々の挫折であきらめない、何年もかけて、なし遂げるビジョンとでも言おうか。今日から10連休の後半。時間はたっぷりある。」本当にその通りだと思う。今までの自分だったら、道頓堀からダイブする男のニュースを見て、頭悪いなぁ、おれは違うぞ、と思っていた。渋谷で騒いでカウントダウンに興じる若者を見て「どうだっていい」と思っていた。ただ、自分なりに気持ちを入れ替えて、さらに成長させるきっかけにするという点では、このムードを全否定するわけにはいかない。

 

10連休の後半。ただのんびりと過ごすのではなく、自分の働き方、動き方を見直して、必要に応じて軌道修正をする熟考期間にしたい。

月の本棚

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吉祥寺に来た時には、なるべく立ち寄ろうと決めている小さな本屋がある。以前instagramの記事で表紙の美しい本を見つけ、興味を持った。前回立ち寄った際は売り切れていたその本を、新しく入荷したと知り、先日買いに行った。本棚に置かれたその本の表紙に書かれた満月が、ひと際輝いて見えた。「気になっていた本がようやく手に入りました」店主との会話も弾んだ。

 

「月の本棚」きれいなタイトルときれいな表紙の本。ブレッドジャーナリストなる著者がウェブサイトに投稿した書評記事をまとめたものだという。楽天ブックスにもブクログにも出てこない。この本はいったい何者だ?

 

lepetitmec.com

 

 

lepetitmec.com

 

加筆修正されているとはいえ、そのウェブサイトを見れば、この本の内容はだいたい読むことができる。じゃぁ買う必要はなかったのか?いや、そんなことはない。表紙の美しさに惹かれたこの本を、紙でできたモノとしてのこの本を、手に持っていることが重要なんだと思う。自分にとって、本に書かれた文字情報を追うことよりも、物体としての本を手に持つこと自体が重要なんだと、この本を手にして実感した。

 

「京都の平熱」が特に印象的。「この世界の外に通ずる孔(あな)があちこちに開いている」という街。日常の世界からふと異世界に迷い込むような入り口。著者は「通りの名がわからず自分の位置を見失い、途方に暮れていると、誰もいない軒先で風鈴がチリンと鳴る、そんなとき。帰宅した人が開けた格子戸のその先に、緑滴る坪庭が見えた、その瞬間。わたしはそこに孔をみつける。」と言う。

 

 自分にとっての孔は何だろう。別の世界への入り口となりうる装置はどこにある?そんなことをまるで考えず、日常を何気なく過ごしていることに気づいてちょっと恥ずかしい。・・・と、そこでふと、月こそが自分にとっての孔なのではないかと思った。

 

 

自分がいま一番大好きなロックバンドが、ローマ神話の月の女神を名前に冠しているといったことが、直接のきっかけだったのかもしれない。それでも、月という、人間にとって最も身近な天体に神秘を感じ、きれいだと思い、敬意をもつようになったのは、それだけが理由ではないと思う。夜空を見上げれば、美しい月を見ることができる。見ると、心なしか気持ちが安らぐ。これが太陽となるとそうもいかない。肉眼で見ようとしても黒目が焼けてしまう。

 

仕事でイライラすることもある。自分のあまりの頼りなさに、反吐がでそうになることもある。明日こそクライアントに怒られるんじゃないかとヒヤヒヤして胃が痛むこともある。けれど、ちょっと風が冷たい夜に、空を見上げたらそこに満月があって、眺めているだけで気持ちが安らぐんだから、月には何か特別な力があるんだと思う。ルナ。そこには女神がいて、人間を支えているのだろうか。

 

 

いまコーポラティブハウスの売却のお手伝いをしている。住まいに対する愛着を聞いている中で、売り主からこんな話をしてもらった。寝室で寝ている時に吹き抜けを見上げると、ペントハウスの小窓からちょうど満月が見えるときがあるのだという。「お月様」月に敬称をつけ、それを眺めている時間をかけがえのないものだと語る。これを聞いて、不動産物件情報として広告などではとうてい表現し得ない、しかしこの住宅に愛着をもって暮らしている人だからこそ気づき、快適に感じるポイントが確かにあるのだということを知った。ベッドに横になり、ふと小窓を見たら満月があった。なんて素敵なんだろう。

 

Titta Titta

最初に聴いたときは「さらりとした、いさぎよい曲だなぁ」と思ったくらいだった。ちょっと物足りないかなぁ、なんて思ったり。既出曲でないのはこれが最後だったから、心して聴こうと思ったら、あっという間に終わってしまうという。あっという間の3分。

 

それが、何度か聴いているうちに「あれ、これいいじゃん」となっていく。リズムに合わせて手拍子をして身体をゆらす。ギターソロはさながら魔法をかけられているかのよう。不思議な雰囲気だ。

 

そして今日、歌詞をまじまじと読んで、びっくりした。最高に素敵な歌詞だ。いつかのインタビューで吉井さんがLOVE LOVE SHOWを究極のお気楽ソングだと言っていた。つくれと言われてつくるのが最も難しいのがお気楽ソングなのだと。確かにLOVE LOVE SHOWはお気楽ソングだなぁと思いながら、これも負けず劣らずの、いまの彼らにとっての究極のお気楽ソングなのではないかと思った。呪文をかけられて身体がふわふわと浮かぶようなイメージ。長縄跳びでピョンピョン跳ねながら、大笑いしながら空を眺めるイメージ。そこには愛と平和を大真面目に叫ぶ、自分ではない自分がいる。幽体離脱して自分の身体を外から眺めている、自分ではない自分が。 

 

ラーマラーマ。シータシータ。チッタチッタ。平和を祈る呪文か?「ビビデバビデブー」のような、別に意味なんてない言葉ってことでよいのか?

 

大の大人がお気楽に言うからこそ、自分もナーバスになりすぎず、いいことあるさと思えばいいんだ。

 

好きなとこへ行ったらいいさ 一度限りの人生さ 可愛い笑顔見せてごらん 魔法の呪文だよ ラーマラーマ シータシータ

(THE YELLOW MONKEY/Titta Titta)

 

youtu.be

 

 

Balloon Balloon

ハイレゾ音源を、ハイレゾイヤホンで聴く。こんなにクリアで迫力のある音だったのかと改めて驚愕。これまでは1,000円くらいの普通のイヤホン。聴き比べて違いが分からなかったらどうしよう、と最後まで不安だったけれど、やっぱり違う。ベース音もゴリゴリ響いて心地よい。

 

愛をまやかしと言うのなら この世界は生きてるだけの場所

(THE YELLOW MONKEY/Balloon Balloon)

 

まやかしなんかじゃない、今をきちんと丁寧に、生きなければと思う。今自分が得たもの日々蓄積させていかなければ、ただ生きてるだけ、と言われてしまう。

 

10連休に甘んじていたら、あっという間に腑抜けになる。そこからの回復は難しい。適度に緊張して、適度に休む。

 

youtu.be

 

 

ユーザー目線

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ワークショップでつくったスツールに、オイル塗装を施す。慣れずに、これでいいのか、まだらになってしまわないか、とヒヤヒヤしながらスポンジをあてていく。自らつくったとはいえまだ命を持たない無垢材のスツールに、自分だけの愛着という生命を宿すような、そんな感覚。ここまでが楽しい。若干塗る量が均等でない気がするけれど、それもまたいい。プロに作ってもらったものじゃないんだから、完璧じゃなくていい。

 

よく、愛着を持ちすぎて使うのがもったいない、なんて言葉も聞く。だけど自分は、ガシガシ使う。尻で座面をすり減らして、テカテカにするまで使う。使ってこその家具だもの。

 

こういう価値を、自分にとって唯一無二な価値を、これに出会えてよかったと心から思えるような価値を、提供できるような仕事をしていかなければいけないなぁと思う。お金をもらって「ありがとう」と言われるとは、そういうことだ。特に自分は、住宅という、家具よりももっとスケールの大きいものを扱っている。もっとユーザー目線を意識しないといけないと思った。

 

スツールワークショップ

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壁面本棚をつくってくれた家具屋さんのワークショップに参加した。スツールをつくるという豪華なもの。といっても、脚や座面など、部材はあらかじめ家具屋さんに用意してもらっていて、それを組み立てるというのが中心だった。だから完全に自分のオリジナル、というわけではない。けれど、決してDIY的な「手軽に自分でつくってみました」というものではなく、しっかりとした品質のものを、つくった。

 

組み立てることがほとんどといっても、終わったときにものすごい達成感を感じるくらい、決して簡単で単純ではない工程が含まれていた。相欠きの部分を金づちでたたいて(木殺し)嵌りやすくし、後に接着剤の水分で材が膨らませて外れにくくする。ホゾにのこぎりで溝を切って、脚を組んだあとでその溝にクサビを打ってホゾを広げる。材の表面を丁寧に、まんべんなくカンナやサンドペーパーをかけて平滑にする。どれもがスツールを強く、美しいものにするために必要な工夫だ。

 

自分がつくったのはスツールづくりのほんの一部だったかもしれないけれど、それでもこれだけの愛着が生まれるのだから、自分で主体的につくるというのは本当に面白い。そして、普段何気なく家具を「簡単につくるなぁ」なんて思いながら見ていたけれど、目に見えないところにも家具屋さんの細心の注意と工夫が詰まっているということを知ってから、家具を見る目が変わった気がした。もっと、自分の身のまわりの、人によってつくられたものを、細心の注意と工夫によってつくられたものだという意識を向けながら、丁寧に使おうと思った。

 

身体の声を聞く

久しぶりのジョギングによる筋肉痛が尾を引いて、思うように身体を動かすことができない。本来、走ることで身体の働きがよくなって、すがすがしい気持ちにもなって、集中力も増すはずなのに、逆をいってしまっては本末転倒。本当に、無理はよくない。少しづつでも、続けることが大事だとは思うのだけれど、ここで続けようとして身体を痛めつけては元も子もない。勇気を出して、続けないという選択をする。腰の痛みをなくしてから、ゆっくり再開させようと思う。

 

 

そんな身体の痛みを引きずりながら、先日10年ぶりに会った大学の仲間と食事。社会人になりたてでお互い右も左も分からなかった頃のように、近況を話しあう。あの頃と違うのは、お互いにそれなりに仕事をしてきて、いまの仕事へのやりがいを明確にもっていて、要はお互いに前を向いているということ。非建設的な愚痴はそこにはない。彼は、愚痴の一つもこぼしたくなるような状況とはきれいさっぱり別れていて、充実したいまを過ごしている。そして、勉強している。見習いなさいよと言わんばかりに自分を叱咤激励する友が、ここにもひとり、いた。

 

ここへきて自分のアンテナによく引っかかる言葉。「とにかく勉強」「熱中すること」「成功するためには、熟知すること」自分が無知であることをまず知ること。そして、その無知が恥ずかしいことであると感じること。そして無知のままにせず、知るための努力をサボらずにすること。大人になっても、社会人を何年やっていても、それが大事なんだなぁと思った。

 

そのためには、自分の身体の声をきちんと聞くことも大事。腰痛、筋肉痛を気にしていたら、自分に必要な情報も入ってこない。勉強しようと思っても、痛みに負けて「今日はもういいや」となってしまうかもしれない。もっと身体をいたわらなければ。

 

いまも部活動

久しぶりのRUN。年初に、毎週必ず走るとした自らの誓いはどこへ行ったんだ?典型的な三日坊主で、いつもと変わらない自堕落な生活が続いていた。これはよくない、せめて週末は走ろうと、今朝ようやく重い腰を上げることができた。本当は腰なんて重くないはずなのに・・・。

 

天気も良かったので走り心地は申し分ない。ただし運動不足がたたってすぐにばてた。だから毎日少しでも続けなければダメなんだ。けれど、平日の朝に走るのはちょっと難しい。気持ちが続かない。かといって仕事終わり、帰宅後に走れるかというと、それもまた難しい。暗いし。気分的にもそれどころじゃないし。

 

心にイメージするのは、中学高校の部活時代。「だるいから嫌だなぁ」と思ったって、結局は毎日走ってた。走ることで身体がひきしまるような感覚を肌で感じていたから、自然とつらいとも思わなかった。部活なんてそれが当たり前だと思っていた。だから続けられた。その時の気持ちを、いまも持ち続けたらいいんだ。いまも週末は走るという部活をしているのだと。

 

 

息を荒げて川沿いを走りながら、自分にとってのメンターを頭に思い浮かべる。松浦弥太郎、村上春樹、内田樹・・・。ライフワークとして走っている人、身体を動かしている人は、やっぱり強い。だから自分も。

 

それからの僕にはマラソンがあった (単行本)

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走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

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武道的思考 (ちくま文庫)

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