ほんのわずかな「チクショー」をなくす

大きな仕事が一段落し、ほっとし、急に緊張の糸がほどけた。帰り道、寄り道してケーキ屋に立ち寄る。シュークリームが格別においしいケーキ屋だ。節目だし、たまにはいいだろう、と思った。

 

夕方近い時間帯だったからか、目当てのシュークリームがなかった。聞いたら、ちょうど売り切れてしまったのだという。残念。ついそう口に出しそうになって、いけないいけない、と言いとどまった。

 

久しぶりに訪れたケーキ屋で、目当てのシュークリームがたまたま売り切れていたことを恨み、「残っているべきだ」と本気で思うならば、つまりはあるのが当然だと思うならば、たまたま自分が立ち寄らなかったら売れ残っていた可能性が高いということを意味する。ただでさえモノが多くひしめいている(ように見える)東京だ。たまたま訪れた自分が目当てのものをゲットできるのが当たり前と考える方が怖くないか。仮に買いに行くのが1か月に1日だとしたら、残りの29日は残るという事。本来はそう考えなければいけないだろう。

 

ケーキ屋に限らず、スーパーにしてもコンビニにしても、街の小さなパン屋にしても、とにかく並んでいる商品が多すぎるように感じる。よく言われる廃棄問題も、きっとなくならないんだろうなあと思う。ただ、その無駄に廃棄される量を多少でも少なくする方法があるとすれば、自分にできることはただ一つ。シュークリームがなかったことで心に巣食ったほんのわずかな「チクショー」をなくすこと。全て買い手に渡ったことを自分事として喜ぶこと。たまたま売り切れだっただけで、むしろそれが自然であるということ(シュークリームが買えなかっただけで、現に別のケーキを買うことができた。結果、チーズケーキも格別に美味しいと知ることができた)。まず自分がそう思うようにしよう。そしてそう思う人が増えていったら、つまり売り切れを嘆かない消費者が増えれば、店側が消費者の「チクショー」が顕在化することを恐れて過剰に仕入れたり、過剰につくったりすることが減るのではないか。