明日は心でできている

小山薫堂著「明日は心でできている」を読んだ。毎日を面白いものに変える彼なりのしかけがたくさん見られて、ためになる。そういう考え方があるのか、そうやって考えるだけで、いままでと違った風景が見えるのか、と驚かされることが多い。

 

明日は心でできている (PHP文庫)

明日は心でできている (PHP文庫)

 

 

とくにいいなぁと思ったのが、「神様にフェイントをかける」というもの。自分を見ている神様がいるとして、その神様が「えっ」と驚くようなことをふいにやってみる、というもの。毎日歩いている道と違う道を歩いてみるとか、通勤電車でいつもと違う車両に乗ってみるとか。別に神様を驚かしたところで何があるわけでもないだろうけれど、そうやって、客観的に見て意表をつかれるようなことをすることで、なにか新しいものに出会えるのではないか、と思う。

 

 

事務所の近くにおいしいハンバーグ屋がある。最高においしいし、店員さんも愛想が良くて大好きだから、できることなら毎日だって食べに行きたいくらいだ。でも、平日昼間に行くことがほとんどで、休日や、夜に行くことはいままでになかった。

 

金曜の夜。気持ち早めに事務所を出られたので、少し心に余裕があり、また一週間おつかれさま、という自分への気持ちがあり、初めて夜のハンバーグ屋に入ってみた。結果、いつもの店員さんがいつものように満面の笑みで出迎えてくれて、いつもどおりの、心地よい時間を過ごすことができた。メニューもランチとはちょっと違うという発見もあったりして。

 

 

土曜日。仕事で現場に行った帰り。気持ち早めに着いたので、少し心に余裕があり、ふと、突然ケーキが食べたくなり、衝動に駆られるように、自宅近くのよく行くケーキ屋に立ち寄った。最近出会ったおいしいコーヒーを家で飲む、そのお供にちょうどよさそうなガトーショコラが目的だ。

 

あまり認めたくないが、私は甘党。常日頃から、特別な日でもなんでもなくても、食べたいと思った時にケーキを買って、ひとりで食べる。ケーキを買って食べるということは、自分にとってかなり日常的なものだ。ただこれには別の理由もある。例えば人から「オススメのケーキはなんですか」と聞かれたら、胸を張って「ここのケーキは最高ですよ」と言えるようでありたい。友達が自宅に遊びに来るようなことがあれば、あらかじめ用意しておいて「このケーキ食べてみて、最高だから」とおもてなしできるようでありたい。

 

しかし、それにしても。ケーキを選びながらも、思う。ここでケーキ買うの、今日で2週連続じゃないか。そんな頻繁にケーキを買うなんて、数年前の自分からしたらとんでもない行動だ。神様の前に、過去の自分自身がその意表をついた行動に驚くだろう。でもいまの自分は、驚かない。こんな日があったっていい。神様の手から自分の運命の主導権を取り戻したようで、痛快だ。