ダイジョブ、ダイジョブ

はなまるうどんで早めの昼ご飯を食べていたら、レジに並ぶ女性と店員さんとのやりとりが聞こえてきた。

 

店員さん「ねぎはお入れしてよろしいですか」

女性客「あ、大丈夫です」

店員さん「ねぎ抜きですね。かしこまりました」

 

言葉尻は多少違ったかもしれないけれど、こんな感じのやりとりだった。女性客の返事に対する捉え方が私と店員さんとで180度違っていて、驚いた。

 

どうやら女性客は「ねぎを入れますか?」に対して「ねぎは『入れなくて』大丈夫です」と返事したようだった。てっきり私は「ねぎを『入れて』大丈夫です」と答えたのだと思った。なぜなら、店員さんがねぎを入れるかどうかを聞くということは、その言外に「ねぎが苦手で抜く人が多いので念のためお聞きします」という意味合いがあると思っていたからだ。「ねぎは苦手ですか?」という暗黙の質問に対して「大丈夫です」と答えたら、それは「大丈夫です。食べられます(好きです)」という意味になるだろう。しかし彼女らのコミュニケーションは真逆の方向へと着地した。店員さんのあまりに滑らかなリアクションに、とにかく驚いた。きっと「大丈夫です」に対して私と同じように捉えて「ねぎありですね」と答えたところ、「いやいや、違いますよ。入れなくて大丈夫っていう意味に決まってるじゃないですか!」と言われた失敗例が、過去に何度かあったに違いない、と勝手に想像する。

 

日本語の難しさはこうした曖昧さにある。しかし言い換えれば、その、前後の文脈や微妙な発音、イントネーションなどによって真逆にもなりうるものの意味を感じ取るセンサーが日本人には備わっているとも言える。よくよく考えると、日本人ってすごいね、と思う。

 

「ダイジョブダイジョブー♪」小島よしおのギャグで私が一番好きなのが、これだ。「そんなの関係ねー♪」が一番有名なのだろうけれど、それよりも好きだ。まあ辛いこともあるだろうし、自分の不甲斐なさに吐き気をもよおす日なんてしょっちゅうだけれど、頭の上で手を叩きながら「ダイジョブダイジョブー♪」と声に出したら、たいていのことはダイジョブになるんじゃないかとも思える。もちろん、なんでもかんでも笑って済ませられるとは思わない。それでも、不必要な落ち込みは頭から消し去ってしまったほうが、うまくいきそうに感じられる。なにより精神衛生上よろしい。

 

大好きな言葉ではあるけれど、想像を超える意味の広がりをもった言葉でもあるから、その扱いには気を付けなければいけないと思った。