ぼくとわたしと本のこと

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大学に入学した頃、卒業するまでに岩波新書を100冊読むという計画をたてた。均すと年間25冊。1か月に2冊のペースだ。当時の自分にはかなり高いハードルだったけれど、そうでもしないと本を読まない、頭の悪い大人になってしまいそうな気がしたから、やろうという気力が湧いた。

 

なぜ岩波新書なのかと言うと、それは自宅の父の本棚に並んだ大量の岩波新書を見て感動したからだ。昔は表紙が赤ではなく、青であったり黄色であったりしたらしい。父が読んでいたという、色褪せたものも並んだその本棚を見て、小中高と図書室で本を借りた記憶がほとんどない自分は劣等感を感じた。大学生たるものそうであってはいけない、と一人意気込んだ。

 

その目標は、大学生活を謳歌するなかでいつのまにかうやむやになり、「本をたくさん読んだゾ」という実感もたいしてないまま、卒業した。結局何冊読んだのかも覚えていない。典型的な三日坊主だが、でも、本は読むべきものだということ、「学生が本を読まなくなった」と世間で言われて肩身が狭かった中でも自分はまだ読もうとする意識は高い方だということ、それでも何か目標を持たなければ全く読まないままズルズルいってしまうこと、その3つは大学時代に知ることができた。

 

 

夜、事務所にて。仕事がなかなかはかどらない。そういえば、今日は昼ご飯を食べるのを忘れた。いや、忘れたというのはうそだ。食べに出かけるのが億劫なくらい、目の前の業務の波におぼれていた。だから腹が減ったので、息抜きもかねて外へ。ラーメンを食べた後、立ち寄った駅前の本屋で、平積みにされたそれに真っ先に目が合って、心奪われた。

 

カバーがない。背表紙にはバーコードも定価表示もない。あるのは白地に、本を持つ男性と女性の絵。背表紙は、女の子に本を渡す男の子の絵だろうか。無防備な表紙が本屋のほこりをわずかに帯びていて、新刊であるにも関わらずエイジング感を感じたくらいだ。そんな美しい装丁もさることながら、自由が丘の大学の教授と21人のゼミ生が著者、というのが面白い。大学生の「いま」に触れられると思ったし、なにより、自由が丘で働く自分が自由が丘の本屋で自由が丘の大学生がつくった本を手に取るという、街に媒介されたストーリーに、自ら飛び込みたいと思った。

 

いまの大学生の、正直なまでの「いま」が詰まっている。昔は本を読まない少年だった、そんな言葉に出会っては、あぁ自分だけじゃないんだ、と安心する。自分の本棚をつくりたいという欲望の話を読んでまた、いまの自分と同じことを十数年年下が考えていることに安心する。末尾に「本書に登場する本・雑誌」という一覧があり、その中に自分の好きな作家の本が複数あることに気づいては、自分の選書もあながち間違っていないんだ、と安心する。自分のこれまでの本との付き合い方を認めてくれて、「それでいいんだよ」と肩をたたいてくれる、そんな本だ。

 

岩波新書を100冊読むなんて無茶をして挫折し、それでも「じゃぁもういい、本なんて知るか!」とそっぽを向かずに済んだ、大学時代が懐かしい。

 

ぼくとわたしと本のこと

ぼくとわたしと本のこと

  • 作者:高原純一,SUN KNOWS
  • 出版社/メーカー: センジュ出版
  • 発売日: 2019/12/20
  • メディア: 単行本
 

 

水準

森田真生「数学の贈り物」を湯船につかりながら読む。自分より少し年下の独立研究者が、アインシュタインやデカルトなどの先達の言葉を用いながら、静かに語る。膨大な知識・知恵を得て考えているのだろうと思わせる言葉に触れ、自分も同じように考え抜かなければ、と思う。

 

先人の涙ぐましい努力が生み出した技術をただ便利に消費しているばかりでは、一向に「それが生み出されたとき」の水準以上の思考ができるようにはならないだろう。

 

片手に収まるこの美しく洗練されたコンピュータを生み出したのと同じくらいの情熱と意志と知恵を、僕らがこの技術に見合う存在に生まれ変わるために注ぐことができれば、世界はきっといまよりずっと、生きがいのある場所に変わっていくだろう。

 

スマホをただ漫然と消費するのではなくて、それによって得られる便利さを、自分をさらに成長させるためのエネルギーに転嫁させなければならない。そう思った。

 

 

仕事ではポカもする。自分ではそんな意図は全くないのに、結果として不誠実ととらえられるようなことをしてしまう。いつだって、仕事に対する「自己評価」よりも低いリアクションに、悩まされる。いまこの状況から逃げ出したい、かっこ悪いと思われたっていいや、と思ったことがこれまで何度あっただろう。

 

それでも最終的に逃げないということを選択してきたのは(逃げたこともあったかもしれない・・・)、逃げるのが恥ずかしいからでもなければ、怖いからでもない(恥ずかしいし、怖いけれど)。逃げる、つまり、もうどうだっていいや、という気分に任せて投げ出すことが、相手が一番望まないことだろうと思うからだ。

 

自分が逃げても誰も困らないなら、逃げる。あと、自分がどうあがいても相手にとって不幸になると確信してしまったら、逃げる。それ以外なら、できる限り誠実に、相手が望む結果になるよう、動く。

 

仕事とは、そうやって自分の身体や頭をはたらかせて、相手に幸せを感じてもらって、その結果、ありがとうと言ってもらうための営みなのだといまは思う。

 

スマホのような革新的な技術を生み出したかつての先人の努力の結晶を使って、その水準以上の思考をし、その技術を使うにふさわしい自分になろうとするように。仕事を通して、どうしたらありがとうと言ってもらえるのか、先人の水準以上の思考力で考えようとしなければならない。

 

数学の贈り物

数学の贈り物

  • 作者:森田真生
  • 出版社/メーカー: ミシマ社
  • 発売日: 2019/03/20
  • メディア: 単行本
 

 

1か月に一度の散髪

今年初めての美容院。ちょっと髪が伸びすぎて、うっとうしと感じるようになったからだ。

 

尊敬する松浦弥太郎さんが「2週間に一度散髪する」ことを意識しているということを知って以来、自分も、まぁ2週間に一度とまではいかないまでも、1~1.5か月に一度、髪を切ることを習慣にしようと思うようになった。髪が短い方がさっぱりしていて過ごしやすいという理由もあるけれど、それよりも、社会人として最低限の身だしなみを頭から整えておこうという気持ちが強い。こうして、まだ見ぬ尊敬する他人に少しでも近づきたいと行動に移す。

 

マスターに会ったのは社会人になってすぐだから、もうすぐ14年になる。それから定期的に会って、他愛のない話をしながら、髪を切ってもらっている。改めて、贅沢で貴重な時間なのだということを知った。問題は、4月に引っ越したら散髪をどうするのか、ということだ。いままで千葉から都内まで通っていたその通勤時間を、職場近くに引っ越すことで大幅に減らせるという点が大きなメリットなのに、1~1.5か月に一度、いままで通勤に要した時間を使って千葉まで散髪に行くのもどうなんだろう。若干の不安はあるけれど、今現在、引っ越し先で新しい散髪屋を探すより、いままで通りしれっと、「あ、どうも」なんて言いながらいつもの美容院へ行く方が自分にとって自然だと感じている。そう思えるのはきっと、社会人になってからこれまでの約14年間、髪を切り続けてくれたこの美容院が、清潔で、アットホームで、楽しくて居心地の良い時間を与えてくれるからに他ならない。「住む街を変えたら美容院を変えるのは当然。新しい美容院を開拓することで新しい美容師を知り、視野が広がる」そういう考えもあるのだろうけれど、いまの自分にはどうもしっくりこない。

 

「やっぱりイエモンですよねぇ」閉店間際で他にお客さんがいないからだろう、自分のために好きな音楽をかけてくれた。「球根」を聴くと必ず身体に流れる電流で、シャンプーをしてもらっている自分の頭が動かないように必死に止める。「最近本は何を?」「松浦弥太郎さんの本を。これなんですけどね。」「へぇ、いいですねぇ。40歳はとうに過ぎちゃったけど。よし、買おう」松浦弥太郎さんのように素直で正直、他人が喜ぶようなことをさらっと口にしてくれるこのマスターがかっこいいと思うから、松浦弥太郎さんがそうであるように、せめて一か月に一度、髪を切ってもらうことを習慣にして、その贅沢で貴重な時間をこれからも味わい続けたいと思う。

 

40歳のためのこれから術 幸せな人生をていねいに歩むために

40歳のためのこれから術 幸せな人生をていねいに歩むために

  • 作者:松浦 弥太郎
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2012/11/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

レジ袋

毎週末、スーパーで1週間分の食材をまとめて買う。レジに並ぶと、袋はいかがしますか、と店員さんに聞かれるので、最近は聞かれる前に、「大きい袋、1枚(たまに2枚)お願いします」と言う。以前はレジ袋は無料だったけれど、いまは有料だ。マイバッグを持ってくるなどして袋の供給を減らそうというものだ。袋にだって原価はかかっているのだから。

 

毎回マイバッグをかばんに入れるのを忘れては、1枚袋を買っていた。が、昨日は忘れずにマイバッグを持っていくことができた。袋はいりません、と答えるちょっとした優越感。しかしその日はお米5キロを買った。お米など大きくて重いものを入れる袋は通常無料だ。「お米用の袋はおつけしてよろしいですか?」律義に店員さんに聞かれ、もしかしたらかばんの中に入るかもしれないからそれすらもいらないんじゃないか、と思ったけれど、お言葉に甘えて受け取った。結局はかばんに入ったから、お米用の袋もいらなかったことになる。不要だと思ったら、たとえ無料だろうが受け取る必要はない。

 

スーパーでは袋が有料というのも珍しくないのに、本屋で買った本を入れる袋が有料だという話は聞いたことがない。本屋の利益率の低さにのけぞったカリスマ書店員さんが、袋を有料にするシステムを本屋に導入したらどれだけ経費が削減できるのだろうか、と提起する。マイバッグを持っていき「袋はいりません」なんてかっこつけるまでもなく、本は剥き出しで手に持っていても、脇に挟んでいても、様になる。ぜんぜんかっこわるくない。「袋はいりません」を本屋でも口癖にしたいと心から思った。

 

本当に袋が必要なら、たとえ有料だとしても買うだろう。本屋こそ、袋を有料にすべきじゃないか。

 

小脇に抱えて様になるのは、断然、水菜より本である。

 

本屋の新井

本屋の新井

  • 作者:新井 見枝香
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/10/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

本を贈る


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ずいぶん長い間、本屋で何度も見かけては目をそらし、を繰り返していた。手に取らなかった理由を言葉で説明するのは難しい。ある時は手持ち不足で。ある時は別の本が目的だったから。そしてある時は・・・自分にとって大事な本としての匂いがするのだけれど、期待が大きいがゆえに、読んでがっかりするのが怖かった、と言うと正確だろうか。

 

そして今回、ようやく迎えいれた。結局は楽天ブックスで。これまで目にしてきた街の本屋さんには本当に申し訳ない。別の本を買うから、ということで許してほしい。

 

島田潤一郎さんの「本は読者のもの」を読みながら、自分への、他人への、贈り物としての本を考える。考えながら、両手の指先が触れている表紙の紙質の良さを感じる。そうだ、情報を得るための本、ではなく、モノとしての本、物質としての本が好きだから、人は本を読むのではないかと思った。大事にずっと手元に置いておきたくなるような、手で触っていたくなるような、そんな本を、自分は自分に贈りたいし、他人にもプレゼントしたい。そう思った。

 

本を贈る

本を贈る

 

 

音楽との出会い方

去年の紅白歌合戦にも出場したそのミュージシャンの曲をカーステレオで聴きながら、最近の音楽との関わり方をふと考える。10年15年前の自分だったら、たぶんこの曲を聴いても、良いと思わなかったんじゃないかと思う。なんだよ、大衆受けを狙っちゃて、なんて言いながら。声がなんか気に入らないんだよなぁ、なよなよしててさ、なんて言いながら。でもいま一曲通して聴くと、いいじゃんこの曲、って思う。身体が快く受け入れるメロディの範囲が広がったのだろうか。いや、きっとそんな大げさなことではなくて、なんとなく聴き心地良さを感じる何かがあればいいと思えるようになったんだと思う。きっと昔は、ものすごいかっこいい曲じゃなかったら満足しないぞ、さぁこい、と身構えて聴いていたんじゃないか。

 

帰宅して、自分のCD保管リストを見たら、大好きな二大ロックバンドのアルバムばかりで、視野が狭いと思った。好きな曲を聴いていれば良いと言えばその通りなんだけれど、でも違う曲にも触れたい。違う曲の良さも感じて、例えばそれを他人に勧められるようでありたい。

 

「ラジオで聴いて、いいなぁこの曲って思って、調べて、CDをアマゾンでポチっちゃった」なんて言いながら、自分の力だったら絶対に出会わなかったであろう洋楽を教えてくれた。それを聴いたら、確かにいい曲だ、いい声だ、と思えたから、まだまだ世の中の知らない素敵な音楽に出会う奇跡を大事にしたいと思う。

 

一人出版社の10年

好きな本屋がトークイベントを企画しているとSNSで知った。一人出版社「夏葉社」代表の島田潤一郎さんが起業してからの10年を振り返る、というもの。これまででは考えられなかったようなことも仕事になりうる、それだけ自由に働くことができる社会になってきているということは実感するけれど、本を企画し、発行する「出版社」を一人でやってしまうというのも、自分にとっては驚きの仕事だ。それを志したきっかけや想い、それを仕事として継続するためのノウハウを学んで、自分の生き方の参考にしたいと思った。

 

古くてあたらしい仕事

古くてあたらしい仕事

  • 作者:島田 潤一郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/11/27
  • メディア: 単行本
 

 

夏葉社。「何度も、読み返される本を。」というキャッチコピーが目をひく。丁寧に企画し、緻密につくって、世に出しているんだろうと思う。

 

刊行書籍の一覧を見ていたら、知っている本が何冊かある中で、持っている本があって、びっくりした。「すべての雑貨」という本だ。この本の出版社が夏葉社か。知らなかった。

 

すべての雑貨

すべての雑貨

  • 作者:三品 輝起
  • 出版社/メーカー: 夏葉社
  • 発売日: 2017/05/01
  • メディア: 単行本
 

 

西荻窪の雑貨店「FALL」を営む著者によるエッセイ。確かに夏葉社のコンセプト通り、最新のトレンド的情報をさっと読んだらはいおしまい、というものでは決してなく、静かに淡々と語られた文章をゆっくりと読んで、異次元的な時間が流れていそうな雑貨店の空気を感じながら、いまいる時間をじっくり味わおうと思える、不思議な本だ。

 

「音楽を聴いたころ」を読んで納得。自分も音楽が大好きだけれど、もう一つ好きな別のものと混ざったらどうかと考えると、必ずしも親和するとは限らない。例えばロックは大好きだし、本屋巡りも大好きだけれど、好きな本屋で本棚を眺めている時にロックが流れてきたら、いやいや、いまじゃなくてあとにしてくれ、と思う。それが自分の中でドストライクの音楽であっても、だ。本を選ぶのに集中できなくなると言ったらいいのか。とにかく音楽そのものに全く罪はないのだけれど、今このタイミングはやめてほしいと思う。別々の好きなものを組み合わせて唯一無二の価値をつくることができる一方で、うまくいかない組み合わせもあるのだと知った。

 

この本、どこで買ったんだったっけ。思い出せないけれど、よく覚えているのは、複数の本屋、それも大型書店ではなくセレクト本屋で見つけ、気になっていたものを、何度目か目にしたときにようやく迎えたということだ。本のセレクトにこだわりのある複数の本屋が店頭に並べている本。きっと、ずっと傍らに置いておく価値が潜んでいるんだろうという予感があった。

 

何度も読み返すような、ある人にとって特別な一冊となるような本を世に放つ。そうした働き方が成り立つのだということを知って勇気づけられる人もたくさんいるはずだ。そしてそういう志を持つ人が増えたら、もっと街の本屋は面白くなると思う。

 

みせのなまえをかんがえる

吉祥寺の本屋さん「青と夜ノ空」で、言葉を扱うワークショップがあるということで、興味があったので参加した。詩人であり、雑誌「nice things」の巻頭でも詩めくりを連載しているウチダゴウさんが講師。喫茶店や本屋、家具修理工房など、さまざまなお店が書かれたカードの中から好きなものを選び、裏に書かれた細かい設定(店主の年齢、扱う商品のテーマ、開業の動機など)に沿ってそのお店の名前をつける、というものだった。

 

自分が選んだお店は「文房具屋」。とくにアイデアがあったわけではないけれど、身近なものを商品として扱うお店だし、文房具への想いをネーミングに反映させやすいのではないかと思い、選んだ。そして、A4の無地の紙に、頭に浮かんだものをどんどんと書き込みながら、アイデアを、あるときはつなげ、あるときはひとつのものからふくらませて他のアイデアを生み出していく。その考えるプロセスが、普段使わない脳の部位を使っているようで、苦しくもあり、面白くもあった。

 

特に自分にとって大切だと思った考え方は、「持続可能性」があること。1年2年で終わるものではなく、10年20年と長い期間使い続けるのがお店の名前である。例えばあまりに高い目標を掲げていることを示唆するネーミングにすると、最初のうちこそそれをモチベーションに頑張ろうという気にもなるけれど、しばらく経ってそうもいっていられない状況になった時に、困ってしまう。売り方などが仮に変わっても、変わらない芯のようなものを言葉にすることが重要だと学んだ。

 

2時間超考え続け、最終的に決めたのが、「手紙屋 ミエナイイト」。「取扱商品の選定基準は『愛』」という設定から、誰かに手紙を書くための文具専門店とした。手紙を書いているときに人は相手のことを想っていて、そのとき自分と相手との間には見えない糸があると思うんです、なんてことを知った風な顔で口にしたのをふと思い出し、そのままそれがネーミングになった。文房具店でなく「手紙屋」となったのは、ウチダゴウさんだったか、他の参加者の方だったか、アドバイスをもらったのをそのまま拝借した。最後は、ウチダゴウさんにそのネーミングをカードに手書きで書いてもらい、いただいた。

 

参加者全員のネーミングが書かれたカードを眺めて、思う。何年後か、何十年後かわからないけれど、これらのうちひとつでも本当に実現したら、面白いだろうなぁと。もしその実現を知った時は、真っ先にそのお店に行き、「あの時の!」なんて挨拶を交わした後、そのお店への想いを聞きたい。

 

THE YELLOW MONKEYと歩む2020年と妄想

去年は、THE YELLOW MONKEYの待望のニューアルバムを聴くことができた。それだけでも心がほくほくなのだけれど、彼らにとって初となるドームツアーが発表され、そのうち一日のチケットを幸運にも得ることができた。今年もいいことがある。eプラスには足を向けて寝ることができない。

 

テレビで吉井さんが「このドームツアーは、容赦しない」と言っていた。また、名古屋、大阪、東京2デイズと、4本すべて異なるセットリストで臨むという。初日のナゴヤドームのセットリストを知ってその選曲に脱帽。だいたい1曲目で、足元がぐらっとくるようなしびれを感じる。続く大阪、東京と、どんなセットリストなんだろうといまからドキドキしている。

 

 

「すべて異なるセットリスト」この言葉から、おそらくそんなことはないのだろうけれど、もしも、と想像する。もしもその言葉通り、4日通してすべて違う曲で構成しているとしたら、きっと面白いだろうなぁ。いや、これまで想像のナナメ上を行く行動をとってきた彼らのことだから、ありえないとは言い切れない。でも、そうであってほしい、というよりは、そうであったらより楽しいんじゃないだろうか、という自分の勝手な妄想。

 

妄想だっていい。真剣に、書いてみる。ルールは、(去年のアルバム未収録曲で、去年のツアーでも演奏されなかった最新曲)「DANDAN」のみを4日間演奏(いまの彼らの姿を的確に表現している傑作曲だと思うから)、それ以外はすべて一日しか演奏しない。それだけ。

 

■2020.02.11 大阪ドーム

 

1.マリーにくちづけ

2.I Love You Baby

3.Sweet & Sweet

4.嘆くなり我が夜のFantasy

5.Love Homme

6.仮面劇

7.ピリオドの雨

8.峠

9.STARS

10.HOTEL宇宙船

11.Love Communication

12.パール

13.プライマル。

14.セルリアの丘

15.空の青と本当の気持ち

16.DANDAN

17.FINE FINE FINE

18.カナリヤ

19.赤裸々GO!GO!GO!

20.創生児

21.見てないようで見てる

22.甘い経験

23.フリージアの少年

(アンコール)

24.MORALITY SLAVE

25.Changes Far Away

26.真珠色の革命時代~Pearl Light Of Revolution~

27.Romantist Taste

 

■2020.04.04 東京ドーム

 

1.NAI

2.ロザーナ

3.楽園

4.MOONLIGHT DRIVE

5.LOVE IS ZOOPHILIA

6.イエ・イエ・コスメティック・ラヴ

7.ヴィーナスの花

8.Tactics

9.Oh! Golden Boys

10.Neurotic Celebration

11.薔薇娼婦麗奈

12.月の歌

13.サイキック No.9

14.STONE BUTTERFLY

15.Breaking The Hide

16.RED LIGHT

17.HEART BREAK

18.BRILLIANT WORLD

19.Chelsea Girl

20.MY WINDING ROAD

21.DANDAN

22.熱帯夜

23.砂の塔

(アンコール)

24.エヴリデイ

25.Titta Titta

26.4000粒の恋の唄

27.毛皮のコートのブルース

 

■2020.04.05 東京ドーム

 

1.紫の空

2.I CAN BE SHIT, MAMA

3.FAIRY LAND

4.TVのシンガー

5.ゴージャス

6.サイケデリック・ブルー

7.See-Saw Girl

8.クズ社会の赤いバラ

9.セックスレスデス

10.聖なる海とサンシャイン

11.天国旅行

12.Four Seasons

13.DTASTIC HOLIDAY

14.審美眼ブギ

15.エデンの夜に

16.O.K

17.Subjective Late Show

18.SHOCK HEARTS

19.太陽が燃えている

20.DANDAN

21.花吹雪

22.遥かな世界

23.この恋のかけら

(アンコール)

24.SO YOUNG

25.離れるな

26.人生の終わり(FOR GRANDMOTHER)

27.WELCOME TO MY DOGHOUSE

 

塑する思考

「柔よく剛を制す」という言葉があるけれど、この柔は「弾性」か「塑性」か。この問いに触れて、自分は弾性的であるのが良いのか、塑性的であるのが良いのか、考えるようになった。

 

外からの力によって変形した後、元の形に戻ろうとする性質が「弾性」。これに対して、変形後の形を保とうとする性質が「塑性」。なるほど、言葉だけ聞くと確かに、外からの力によって自分の形(自分らしさ)を失わず、もとに戻る「弾性的」の方がよさそうだ。けれど、本当に自分らしさを残そうとすることが必要なのか。そもそも自分らしさとは何か。自分が「これが自分らしさだ」と思っていることが、本当に自分らしさなのか。これに対して、原型を意識せず自由にふるまい、他者からの助言、忠告、叱責などを受けて自分の形をあっちこっち変えていく。実はその方がより柔軟なのではないか。だいたい、自分の形を変えていくというくらいのことでは、自分という芯がなくなってしまわないだろう。そう気づいた途端に、剛を制すると言われる柔の本当の姿が、ぱっと目に浮かんだような気がした。

 

「粘土のように次から次へと潰されて形を変えられる存在」少し前までは、外からの力に負けてもとに戻らないひ弱な存在、自分の意見をもっていないどっちつかずな存在、というように考えていたけれど、いまは真逆で、そういうしなやかさがオトナとして必要だと思うようになった。

 

塑する思考

塑する思考

  • 作者:佐藤 卓
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2017/07/31
  • メディア: 単行本
 

 

2020

2020年。元日。

 

大みそかは、紅白歌合戦を観ながらの年越し。紅白に出ている歌手だけがその年のすべてを語っているわけではもちろんないけれど、こうして美しいものを見て、美しい歌を聴いていると、元気が出て、自分もそういう美しいものを作り出す一員でありたいという気持ちが湧き出てくる。

 

今日はお笑い系の番組で笑いながらほぼ一日を過ごした。お笑い芸人のようなガツガツした精神、自分がのし上がるんだという気概のようなものが感じられ、これもまた自分も頑張らなければ、という気にさせられる。

 

 

思えば、社会人になってから真剣に「勉強」をして、知恵・知識を意識的に身につけるということをしていない。社会人の方が学生よりも勉強しなきゃだめだよ、と社会人になりたての頃に人生の大先輩に教えられて、そうだ勉強しなきゃ、と思っていたけれど、社会人14年目になるいま、その教えを実践できているかと自問すると、全然できていない自分に驚く。

 

そうだ、勉強しなきゃ。何を?漠然と思うだけでははじまらない。何をどのように勉強して、どのように仕事に役立てるのかを明確にしなければ、続けられない。

 

仕事で扱う建築に関する勉強。施工とか構法計画とか法規とか、そういう仕事に直結する勉強。あとは不動産取引の実務に関する知識の勉強。これらの勉強を、受験生時代よりも、大学の研究室時代よりも、社会人になりたてのころよりも、どのときよりもめいっぱいやった、と胸を張って言える一年にしたい。その成果を年末に実感できるような一年にしたい。

 

「とにかく勉強」まとまった休みに遊ばずに勉強しようとする知人に励まされたという松浦弥太郎さんの言葉を、思い出した。

 

 

助手席・死神・精度・こびとさん

助手席にはいつもの死神がいる

(THE YELLOW MONKEY/この恋のかけら)

 

アルバム「9999+1」に収録されている宮城公演の映像を観ながら、一曲目の空気感に浸っている。ライブにおいては、一曲目に何を演奏するかが一番の楽しみだったりする。「この恋のかけら」は、バーンと弾ける曲ではなく、かといってずっとしっとりしているのでもなく、徐々に体温が上がっていくような高揚感を感じる。直線状に進む照明の光がとてもきれい。酔うように歌いながらすぐ右にいる架空の死神をポンポンとたたく吉井さんが、まだ一曲目なのに世界にどっぷり入り込んでいるようで、観ていてしびれる。

 

自分の運転する人生という車の助手席には、いつも見えない死神がいて、次の交差点は右に曲がるんだよ、もっとスピードを抑えて、というように声をかけてくれる。見えないからそのありがたみを実感することは少ないけれど、でも間違いなくいて、客観的に意見してくれる。今日も明日も、安全運転で。

 

 

死神という登場人物が活躍する小説が、伊坂幸太郎「死神の精度」だ。自分には何の取り柄もないと思い、クレーム対応の仕事にうんざりしている女性だが、実はその才能を買われていることが分かる。ハッピーエンドなのかそうじゃないのか、結論が分からないまま終わるショートストーリーを読んで、どうか彼女に良いことがありますように、と願う。結論が分からないもどかしさが、心地よいのかもしれない。

 

死ぬか生きるか二者択一のコインを司る死神に目をつけられたらと思うとぞっとするけれど、少なくとも死神に「はい、こいつは死ぬ。同情の余地なし」と思われないようには、誠実に生きたいと思う。

 

死神の精度 (文春文庫)

死神の精度 (文春文庫)

  • 作者:伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2008/02/08
  • メディア: 文庫
 

 

 

仕事の精度を高めることが、来年の目標だろうか。

 

なんか体調が悪いから仕事のパフォーマンスが低いとか、なんとなくやる気が出ないからボーっとして一日終わっちゃうとか、社会人としてありえないでしょう。人間なんだから感情の浮き沈みくらいあるでしょう、だからやる気が出ない日があって当然、という擁護論もあるけれど、そしていままでの自分はその考えに甘んじていたけれど、本当はそうであってはいけない。感情の浮き沈みがあるからこそ、それに流されずフラットに、精度の高い仕事をする術を、そろそろ身につけないといけない。社会人14年目になるオトナの言うことじゃないけれど、できないことをできるようにするためには、言葉にすることが必要だ。

 

 

死神とか、仕事に精度を求めるとか、そういうことを考えると、「こびとさん」が頭に浮かぶ。内田樹「武道的思考」で読んで、なるほど、とひざを叩いた。自分の身体のなかには目に見えない「こびとさん」がいて(もしかしたらデスノートに出てくる死神のようなルックスなのかもしれない)、自分のパフォーマンスを最大化するために必死に頑張ってくれている。スランプとは、普段できることができない状態ではない。こびとさんが頑張ってくれているおかげで自分の実力以上の動きをすることができていて、そのこびとさんが不調だから、その「こびとさんのおかげでできていたことができなくなること」がスランプなのだ。だから自分の身体にいるこびとさんが上機嫌に「おまえのために一肌脱ごう」と言ってくれるように、身体を健全な状態に保つようにしようと思う。いつも自分の人生という車の助手席に乗って、自分をサポートしてくれるそのこびとさんを、大切に。

 

「こびとさん」がいて、いつもこつこつ働いてくれているおかげで自分の心身が今日も順調に活動しているのだと思っている人は、「どうやったら『こびとさん』は明日も機嫌良く仕事をしてくれるだろう」と考える。暴飲暴食を控え、夜はぐっすり眠り、適度の運動をして・・・くらいのことはとりあえずしてみる。それが有効かどうかわからないけれど、身体的リソースを「私」が使い切ってしまうと、「こびとさん」のシェアが減るかもしれないというふうには考える。

「こびとさん」なんかいなくて、自分の労働はまるごと自分の努力の成果であり、それゆえ、自分の労働がうみだした利益を私はすべて占有する権利があると思っている人はそんなことを考えない。

けれども、自分の労働を無言でサポートしてくれているものに対する感謝の気持ちを忘れて、活動がもたらすものをすべて占有的に享受し、費消していると、そのうちサポートはなくなる。

「こびとさん」が餓死してしまったのである。

知的な人が陥る「スランプ」の多くは「こびとさんの死」のことである。「こびとさん」へのフィードを忘れたことで、「自分の手持ちのものしか手元にない」状態に置き去りにされることが「スランプ」である。

スランプというのは「自分にできることができなくなる」わけではない。

「自分にできること」はいつだってでいる。

そうではなく、「自分にできるはずがないのにもかかわらず、できていたこと」ができなくなるのが「スランプ」なのである。

それはそれまで「こびとさん」がしてくれた仕事だったのである。(こびとさんを大切に P91)

  

武道的思考 (ちくま文庫)

武道的思考 (ちくま文庫)

  • 作者:内田 樹
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2019/04/10
  • メディア: 文庫
 

 

猫の本屋さん

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三軒茶屋に仕事で行ったので、その存在を知ってからなかなか行けていなかった本屋さんへ、行ってきた。三軒茶屋駅から世田谷線の西太子堂駅あたりまで歩く。

 

密集住宅地の中の細い道を歩いていると突然現れる「Cat's Meow Books」は、「猫の本屋さん」だ。それには大きく2つの意味がある。猫が登場する本だけを扱っているということと、もう一つは、実際に猫がいるということだ。

 

店内に入ると、猫が描かれた本の表紙がこっちを向いてくる。それだけで癒される。そして鍵のかかっている部屋に入ったら、靴をぬいでスリッパに履き替える。手を消毒して、店員さんに注意事項を受ける。猫ちゃんから寄ってくるまでは、手を触れないこと。とらえ方によっては拷問のようなルールだけれど、でも猫ちゃんの平穏を守るためだから仕方ない。心を浄化させて、よこしまな心を抱かず、そして何度か訪れて常連として猫ちゃんに認められて、いつかなついてくれるのを、待とうと誓った。

 

本棚いっぱいにある猫本から、素敵なタイトルにひかれたエッセイと、聞いて知っていた絵本作家さんのサイン本を手に取った。ここで見る本は、この本屋さんに来なかったら、たぶん今後出会うことはないんじゃないかという本ばかりだ。そういう「一期一会」感を味わえるのが、セレクト本屋の良いところだと思っている。

 

13時オープンの店内に13時10分ごろ入ったら、すでに常連らしき女の子が2人ほど座って黙々と本を読んでいた。姿を現していた猫のうち1匹は、優雅に眠っていた。もう1匹も、こちらが触れたくてうずうずしているというのにまったく意に介さず、のんびりとその優しい空間を作り出していた。最高の本屋さんだと思った。

 

CROSS

冬至。一年で一番日が短い日。昼過ぎからの雨で終始暗く、じめじめした一日だった。「ん」がつくものを食べると良いと聞き、夕飯はうどんにした。「にんじん」「れんこん」など、「ん」が二つつく食べ物はなおよいとのことだったが、つくる料理が頭に思い浮かばず、スーパーでも手に取らずスルーした。

 

この二日間は濃密だった。ここ数年、毎年恒例となりつつあるさいたまスーパーアリーナでのライブもあった。結成30周年を迎え、いまが一番かっこいいと本人が堂々と言い切る、そんな素敵なロックバンドがあるだろうか。まさかの1曲目の選曲に度肝を抜かれ、天井からスーッと降りてくる円盤状の照明の、その美しい光に胸を射抜かれた。息のそろった演奏と、音の美しさへのこだわりは、そのままいまの自分の仕事を進める糧になっている。丁寧に仕事をしよう。きれいに仕事をしよう。ひとりよがりじゃなくて、スタッフと息をあわせて仕事をしよう。彼らがそうであるように。

 

「LUNATIC X'MAS」ステージ正面には大きな十字架があり、それが各曲の演出になっていた。クリスマス。十字架。CROSS。

 

彼らの渾身のニューアルバム「CROSS」は、一聴したときこそその終わり方のあっけなさに、もう終わりか、と落胆したものの、何度か聴くと、その終わり方に納得もした。「so tender・・・」まるでそのさりげない終わり方を望んでいるかのよう。それよりも、その前の「静寂」がすごい。「全然静寂じゃない」なんて突っ込みはさておき。一小節何分の何拍子、という拍数がパートごとに変わるアレンジは、聴きながら平衡感覚を狂わせるに十分だ。「1,2,3,4,5,6。1,2,3,4,5。1・・・」と小声でカウントしながら聴くのが、自分にとっての新しい楽しみ方だ。サビだけとっても、1回目と2回目とで微妙に違う。その違和感の追求が面白い。「anagram」もすごい。「サビがないじゃないか」なんて突っ込みはさておき。そうじゃなくて、全部がサビなんだ。それでも単調ではなく、胸をくすぐるのは、なんでなんだろう。

 

美しいアルバムにもっと触れて、もっと自分の仕事もそうでなければ、と思う。彼らの仕事と、自分の仕事を、交差させる。

 

昨日できなかったことが今日できる、ということ

憧れのミュージシャンがテレビ番組に出演していて、驚くほどストイックであることをいまさらながら知った。もともと、身体を鍛えているとか、一つのことにのめりこむととことんまでいくタイプだとか、そういうことは知っていたけれど、自分の想像のはるか上を言っていて、放心状態になってしまった。腹筋を例えば3,000回・・・決してさらっと言うような回数じゃないだろう。だいたい1時間ちょっとです。1,000回がだいたい20分くらいなんですよ。そのしゃべっている内容があまりにも雲の上に行き過ぎて、笑っちゃったくらいだ。

 

ただ、「昨日できなかったことが今日できると、嬉しくなっちゃうんですよね」という言葉が、決して他人事に思えなくて、ぎくっとした。それはそうでしょうよ!と突っ込むだけではダメだ。昨日できなかったことが今日できた。そのことで実感する自分の成長。それこそが自分を高めるモチベーションになるんだろう。

 

それに引きかえ、自分はのんびりしたもんだなぁと不安になった。もっと、自分もストイックであってもいいんじゃないか。もっと、自分を高めることに対して貪欲であっていいんじゃないか。「尊敬するミュージシャンは雲の上の存在。自分は到底そこにたどり着けない」そうやって彼を偶像化し、そこに近づくための努力を放棄することを正当化してしまうような、そんな年齢じゃないだろう。せっかく彼を好きで追いかけているのだし、そこに近づこうと努力するくらいのパワーは、まだまだ自分にはある。そのパワーを、劣化させないために。