塑する思考

「柔よく剛を制す」という言葉があるけれど、この柔は「弾性」か「塑性」か。この問いに触れて、自分は弾性的であるのが良いのか、塑性的であるのが良いのか、考えるようになった。

 

外からの力によって変形した後、元の形に戻ろうとする性質が「弾性」。これに対して、変形後の形を保とうとする性質が「塑性」。なるほど、言葉だけ聞くと確かに、外からの力によって自分の形(自分らしさ)を失わず、もとに戻る「弾性的」の方がよさそうだ。けれど、本当に自分らしさを残そうとすることが必要なのか。そもそも自分らしさとは何か。自分が「これが自分らしさだ」と思っていることが、本当に自分らしさなのか。これに対して、原型を意識せず自由にふるまい、他者からの助言、忠告、叱責などを受けて自分の形をあっちこっち変えていく。実はその方がより柔軟なのではないか。だいたい、自分の形を変えていくというくらいのことでは、自分という芯がなくなってしまわないだろう。そう気づいた途端に、剛を制すると言われる柔の本当の姿が、ぱっと目に浮かんだような気がした。

 

「粘土のように次から次へと潰されて形を変えられる存在」少し前までは、外からの力に負けてもとに戻らないひ弱な存在、自分の意見をもっていないどっちつかずな存在、というように考えていたけれど、いまは真逆で、そういうしなやかさがオトナとして必要だと思うようになった。

 

塑する思考

塑する思考

  • 作者:佐藤 卓
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2017/07/31
  • メディア: 単行本