音楽との出会い方

去年の紅白歌合戦にも出場したそのミュージシャンの曲をカーステレオで聴きながら、最近の音楽との関わり方をふと考える。10年15年前の自分だったら、たぶんこの曲を聴いても、良いと思わなかったんじゃないかと思う。なんだよ、大衆受けを狙っちゃて、なんて言いながら。声がなんか気に入らないんだよなぁ、なよなよしててさ、なんて言いながら。でもいま一曲通して聴くと、いいじゃんこの曲、って思う。身体が快く受け入れるメロディの範囲が広がったのだろうか。いや、きっとそんな大げさなことではなくて、なんとなく聴き心地良さを感じる何かがあればいいと思えるようになったんだと思う。きっと昔は、ものすごいかっこいい曲じゃなかったら満足しないぞ、さぁこい、と身構えて聴いていたんじゃないか。

 

帰宅して、自分のCD保管リストを見たら、大好きな二大ロックバンドのアルバムばかりで、視野が狭いと思った。好きな曲を聴いていれば良いと言えばその通りなんだけれど、でも違う曲にも触れたい。違う曲の良さも感じて、例えばそれを他人に勧められるようでありたい。

 

「ラジオで聴いて、いいなぁこの曲って思って、調べて、CDをアマゾンでポチっちゃった」なんて言いながら、自分の力だったら絶対に出会わなかったであろう洋楽を教えてくれた。それを聴いたら、確かにいい曲だ、いい声だ、と思えたから、まだまだ世の中の知らない素敵な音楽に出会う奇跡を大事にしたいと思う。

 

一人出版社の10年

好きな本屋がトークイベントを企画しているとSNSで知った。一人出版社「夏葉社」代表の島田潤一郎さんが起業してからの10年を振り返る、というもの。これまででは考えられなかったようなことも仕事になりうる、それだけ自由に働くことができる社会になってきているということは実感するけれど、本を企画し、発行する「出版社」を一人でやってしまうというのも、自分にとっては驚きの仕事だ。それを志したきっかけや想い、それを仕事として継続するためのノウハウを学んで、自分の生き方の参考にしたいと思った。

 

古くてあたらしい仕事

古くてあたらしい仕事

  • 作者:島田 潤一郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/11/27
  • メディア: 単行本
 

 

夏葉社。「何度も、読み返される本を。」というキャッチコピーが目をひく。丁寧に企画し、緻密につくって、世に出しているんだろうと思う。

 

刊行書籍の一覧を見ていたら、知っている本が何冊かある中で、持っている本があって、びっくりした。「すべての雑貨」という本だ。この本の出版社が夏葉社か。知らなかった。

 

すべての雑貨

すべての雑貨

  • 作者:三品 輝起
  • 出版社/メーカー: 夏葉社
  • 発売日: 2017/05/01
  • メディア: 単行本
 

 

西荻窪の雑貨店「FALL」を営む著者によるエッセイ。確かに夏葉社のコンセプト通り、最新のトレンド的情報をさっと読んだらはいおしまい、というものでは決してなく、静かに淡々と語られた文章をゆっくりと読んで、異次元的な時間が流れていそうな雑貨店の空気を感じながら、いまいる時間をじっくり味わおうと思える、不思議な本だ。

 

「音楽を聴いたころ」を読んで納得。自分も音楽が大好きだけれど、もう一つ好きな別のものと混ざったらどうかと考えると、必ずしも親和するとは限らない。例えばロックは大好きだし、本屋巡りも大好きだけれど、好きな本屋で本棚を眺めている時にロックが流れてきたら、いやいや、いまじゃなくてあとにしてくれ、と思う。それが自分の中でドストライクの音楽であっても、だ。本を選ぶのに集中できなくなると言ったらいいのか。とにかく音楽そのものに全く罪はないのだけれど、今このタイミングはやめてほしいと思う。別々の好きなものを組み合わせて唯一無二の価値をつくることができる一方で、うまくいかない組み合わせもあるのだと知った。

 

この本、どこで買ったんだったっけ。思い出せないけれど、よく覚えているのは、複数の本屋、それも大型書店ではなくセレクト本屋で見つけ、気になっていたものを、何度目か目にしたときにようやく迎えたということだ。本のセレクトにこだわりのある複数の本屋が店頭に並べている本。きっと、ずっと傍らに置いておく価値が潜んでいるんだろうという予感があった。

 

何度も読み返すような、ある人にとって特別な一冊となるような本を世に放つ。そうした働き方が成り立つのだということを知って勇気づけられる人もたくさんいるはずだ。そしてそういう志を持つ人が増えたら、もっと街の本屋は面白くなると思う。

 

みせのなまえをかんがえる

吉祥寺の本屋さん「青と夜ノ空」で、言葉を扱うワークショップがあるということで、興味があったので参加した。詩人であり、雑誌「nice things」の巻頭でも詩めくりを連載しているウチダゴウさんが講師。喫茶店や本屋、家具修理工房など、さまざまなお店が書かれたカードの中から好きなものを選び、裏に書かれた細かい設定(店主の年齢、扱う商品のテーマ、開業の動機など)に沿ってそのお店の名前をつける、というものだった。

 

自分が選んだお店は「文房具屋」。とくにアイデアがあったわけではないけれど、身近なものを商品として扱うお店だし、文房具への想いをネーミングに反映させやすいのではないかと思い、選んだ。そして、A4の無地の紙に、頭に浮かんだものをどんどんと書き込みながら、アイデアを、あるときはつなげ、あるときはひとつのものからふくらませて他のアイデアを生み出していく。その考えるプロセスが、普段使わない脳の部位を使っているようで、苦しくもあり、面白くもあった。

 

特に自分にとって大切だと思った考え方は、「持続可能性」があること。1年2年で終わるものではなく、10年20年と長い期間使い続けるのがお店の名前である。例えばあまりに高い目標を掲げていることを示唆するネーミングにすると、最初のうちこそそれをモチベーションに頑張ろうという気にもなるけれど、しばらく経ってそうもいっていられない状況になった時に、困ってしまう。売り方などが仮に変わっても、変わらない芯のようなものを言葉にすることが重要だと学んだ。

 

2時間超考え続け、最終的に決めたのが、「手紙屋 ミエナイイト」。「取扱商品の選定基準は『愛』」という設定から、誰かに手紙を書くための文具専門店とした。手紙を書いているときに人は相手のことを想っていて、そのとき自分と相手との間には見えない糸があると思うんです、なんてことを知った風な顔で口にしたのをふと思い出し、そのままそれがネーミングになった。文房具店でなく「手紙屋」となったのは、ウチダゴウさんだったか、他の参加者の方だったか、アドバイスをもらったのをそのまま拝借した。最後は、ウチダゴウさんにそのネーミングをカードに手書きで書いてもらい、いただいた。

 

参加者全員のネーミングが書かれたカードを眺めて、思う。何年後か、何十年後かわからないけれど、これらのうちひとつでも本当に実現したら、面白いだろうなぁと。もしその実現を知った時は、真っ先にそのお店に行き、「あの時の!」なんて挨拶を交わした後、そのお店への想いを聞きたい。

 

THE YELLOW MONKEYと歩む2020年と妄想

去年は、THE YELLOW MONKEYの待望のニューアルバムを聴くことができた。それだけでも心がほくほくなのだけれど、彼らにとって初となるドームツアーが発表され、そのうち一日のチケットを幸運にも得ることができた。今年もいいことがある。eプラスには足を向けて寝ることができない。

 

テレビで吉井さんが「このドームツアーは、容赦しない」と言っていた。また、名古屋、大阪、東京2デイズと、4本すべて異なるセットリストで臨むという。初日のナゴヤドームのセットリストを知ってその選曲に脱帽。だいたい1曲目で、足元がぐらっとくるようなしびれを感じる。続く大阪、東京と、どんなセットリストなんだろうといまからドキドキしている。

 

 

「すべて異なるセットリスト」この言葉から、おそらくそんなことはないのだろうけれど、もしも、と想像する。もしもその言葉通り、4日通してすべて違う曲で構成しているとしたら、きっと面白いだろうなぁ。いや、これまで想像のナナメ上を行く行動をとってきた彼らのことだから、ありえないとは言い切れない。でも、そうであってほしい、というよりは、そうであったらより楽しいんじゃないだろうか、という自分の勝手な妄想。

 

妄想だっていい。真剣に、書いてみる。ルールは、(去年のアルバム未収録曲で、去年のツアーでも演奏されなかった最新曲)「DANDAN」のみを4日間演奏(いまの彼らの姿を的確に表現している傑作曲だと思うから)、それ以外はすべて一日しか演奏しない。それだけ。

 

■2020.02.11 大阪ドーム

 

1.マリーにくちづけ

2.I Love You Baby

3.Sweet & Sweet

4.嘆くなり我が夜のFantasy

5.Love Homme

6.仮面劇

7.ピリオドの雨

8.峠

9.STARS

10.HOTEL宇宙船

11.Love Communication

12.パール

13.プライマル。

14.セルリアの丘

15.空の青と本当の気持ち

16.DANDAN

17.FINE FINE FINE

18.カナリヤ

19.赤裸々GO!GO!GO!

20.創生児

21.見てないようで見てる

22.甘い経験

23.フリージアの少年

(アンコール)

24.MORALITY SLAVE

25.Changes Far Away

26.真珠色の革命時代~Pearl Light Of Revolution~

27.Romantist Taste

 

■2020.04.04 東京ドーム

 

1.NAI

2.ロザーナ

3.楽園

4.MOONLIGHT DRIVE

5.LOVE IS ZOOPHILIA

6.イエ・イエ・コスメティック・ラヴ

7.ヴィーナスの花

8.Tactics

9.Oh! Golden Boys

10.Neurotic Celebration

11.薔薇娼婦麗奈

12.月の歌

13.サイキック No.9

14.STONE BUTTERFLY

15.Breaking The Hide

16.RED LIGHT

17.HEART BREAK

18.BRILLIANT WORLD

19.Chelsea Girl

20.MY WINDING ROAD

21.DANDAN

22.熱帯夜

23.砂の塔

(アンコール)

24.エヴリデイ

25.Titta Titta

26.4000粒の恋の唄

27.毛皮のコートのブルース

 

■2020.04.05 東京ドーム

 

1.紫の空

2.I CAN BE SHIT, MAMA

3.FAIRY LAND

4.TVのシンガー

5.ゴージャス

6.サイケデリック・ブルー

7.See-Saw Girl

8.クズ社会の赤いバラ

9.セックスレスデス

10.聖なる海とサンシャイン

11.天国旅行

12.Four Seasons

13.DTASTIC HOLIDAY

14.審美眼ブギ

15.エデンの夜に

16.O.K

17.Subjective Late Show

18.SHOCK HEARTS

19.太陽が燃えている

20.DANDAN

21.花吹雪

22.遥かな世界

23.この恋のかけら

(アンコール)

24.SO YOUNG

25.離れるな

26.人生の終わり(FOR GRANDMOTHER)

27.WELCOME TO MY DOGHOUSE

 

塑する思考

「柔よく剛を制す」という言葉があるけれど、この柔は「弾性」か「塑性」か。この問いに触れて、自分は弾性的であるのが良いのか、塑性的であるのが良いのか、考えるようになった。

 

外からの力によって変形した後、元の形に戻ろうとする性質が「弾性」。これに対して、変形後の形を保とうとする性質が「塑性」。なるほど、言葉だけ聞くと確かに、外からの力によって自分の形(自分らしさ)を失わず、もとに戻る「弾性的」の方がよさそうだ。けれど、本当に自分らしさを残そうとすることが必要なのか。そもそも自分らしさとは何か。自分が「これが自分らしさだ」と思っていることが、本当に自分らしさなのか。これに対して、原型を意識せず自由にふるまい、他者からの助言、忠告、叱責などを受けて自分の形をあっちこっち変えていく。実はその方がより柔軟なのではないか。だいたい、自分の形を変えていくというくらいのことでは、自分という芯がなくなってしまわないだろう。そう気づいた途端に、剛を制すると言われる柔の本当の姿が、ぱっと目に浮かんだような気がした。

 

「粘土のように次から次へと潰されて形を変えられる存在」少し前までは、外からの力に負けてもとに戻らないひ弱な存在、自分の意見をもっていないどっちつかずな存在、というように考えていたけれど、いまは真逆で、そういうしなやかさがオトナとして必要だと思うようになった。

 

塑する思考

塑する思考

  • 作者:佐藤 卓
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2017/07/31
  • メディア: 単行本
 

 

2020

2020年。元日。

 

大みそかは、紅白歌合戦を観ながらの年越し。紅白に出ている歌手だけがその年のすべてを語っているわけではもちろんないけれど、こうして美しいものを見て、美しい歌を聴いていると、元気が出て、自分もそういう美しいものを作り出す一員でありたいという気持ちが湧き出てくる。

 

今日はお笑い系の番組で笑いながらほぼ一日を過ごした。お笑い芸人のようなガツガツした精神、自分がのし上がるんだという気概のようなものが感じられ、これもまた自分も頑張らなければ、という気にさせられる。

 

 

思えば、社会人になってから真剣に「勉強」をして、知恵・知識を意識的に身につけるということをしていない。社会人の方が学生よりも勉強しなきゃだめだよ、と社会人になりたての頃に人生の大先輩に教えられて、そうだ勉強しなきゃ、と思っていたけれど、社会人14年目になるいま、その教えを実践できているかと自問すると、全然できていない自分に驚く。

 

そうだ、勉強しなきゃ。何を?漠然と思うだけでははじまらない。何をどのように勉強して、どのように仕事に役立てるのかを明確にしなければ、続けられない。

 

仕事で扱う建築に関する勉強。施工とか構法計画とか法規とか、そういう仕事に直結する勉強。あとは不動産取引の実務に関する知識の勉強。これらの勉強を、受験生時代よりも、大学の研究室時代よりも、社会人になりたてのころよりも、どのときよりもめいっぱいやった、と胸を張って言える一年にしたい。その成果を年末に実感できるような一年にしたい。

 

「とにかく勉強」まとまった休みに遊ばずに勉強しようとする知人に励まされたという松浦弥太郎さんの言葉を、思い出した。

 

 

助手席・死神・精度・こびとさん

助手席にはいつもの死神がいる

(THE YELLOW MONKEY/この恋のかけら)

 

アルバム「9999+1」に収録されている宮城公演の映像を観ながら、一曲目の空気感に浸っている。ライブにおいては、一曲目に何を演奏するかが一番の楽しみだったりする。「この恋のかけら」は、バーンと弾ける曲ではなく、かといってずっとしっとりしているのでもなく、徐々に体温が上がっていくような高揚感を感じる。直線状に進む照明の光がとてもきれい。酔うように歌いながらすぐ右にいる架空の死神をポンポンとたたく吉井さんが、まだ一曲目なのに世界にどっぷり入り込んでいるようで、観ていてしびれる。

 

自分の運転する人生という車の助手席には、いつも見えない死神がいて、次の交差点は右に曲がるんだよ、もっとスピードを抑えて、というように声をかけてくれる。見えないからそのありがたみを実感することは少ないけれど、でも間違いなくいて、客観的に意見してくれる。今日も明日も、安全運転で。

 

 

死神という登場人物が活躍する小説が、伊坂幸太郎「死神の精度」だ。自分には何の取り柄もないと思い、クレーム対応の仕事にうんざりしている女性だが、実はその才能を買われていることが分かる。ハッピーエンドなのかそうじゃないのか、結論が分からないまま終わるショートストーリーを読んで、どうか彼女に良いことがありますように、と願う。結論が分からないもどかしさが、心地よいのかもしれない。

 

死ぬか生きるか二者択一のコインを司る死神に目をつけられたらと思うとぞっとするけれど、少なくとも死神に「はい、こいつは死ぬ。同情の余地なし」と思われないようには、誠実に生きたいと思う。

 

死神の精度 (文春文庫)

死神の精度 (文春文庫)

  • 作者:伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2008/02/08
  • メディア: 文庫
 

 

 

仕事の精度を高めることが、来年の目標だろうか。

 

なんか体調が悪いから仕事のパフォーマンスが低いとか、なんとなくやる気が出ないからボーっとして一日終わっちゃうとか、社会人としてありえないでしょう。人間なんだから感情の浮き沈みくらいあるでしょう、だからやる気が出ない日があって当然、という擁護論もあるけれど、そしていままでの自分はその考えに甘んじていたけれど、本当はそうであってはいけない。感情の浮き沈みがあるからこそ、それに流されずフラットに、精度の高い仕事をする術を、そろそろ身につけないといけない。社会人14年目になるオトナの言うことじゃないけれど、できないことをできるようにするためには、言葉にすることが必要だ。

 

 

死神とか、仕事に精度を求めるとか、そういうことを考えると、「こびとさん」が頭に浮かぶ。内田樹「武道的思考」で読んで、なるほど、とひざを叩いた。自分の身体のなかには目に見えない「こびとさん」がいて(もしかしたらデスノートに出てくる死神のようなルックスなのかもしれない)、自分のパフォーマンスを最大化するために必死に頑張ってくれている。スランプとは、普段できることができない状態ではない。こびとさんが頑張ってくれているおかげで自分の実力以上の動きをすることができていて、そのこびとさんが不調だから、その「こびとさんのおかげでできていたことができなくなること」がスランプなのだ。だから自分の身体にいるこびとさんが上機嫌に「おまえのために一肌脱ごう」と言ってくれるように、身体を健全な状態に保つようにしようと思う。いつも自分の人生という車の助手席に乗って、自分をサポートしてくれるそのこびとさんを、大切に。

 

「こびとさん」がいて、いつもこつこつ働いてくれているおかげで自分の心身が今日も順調に活動しているのだと思っている人は、「どうやったら『こびとさん』は明日も機嫌良く仕事をしてくれるだろう」と考える。暴飲暴食を控え、夜はぐっすり眠り、適度の運動をして・・・くらいのことはとりあえずしてみる。それが有効かどうかわからないけれど、身体的リソースを「私」が使い切ってしまうと、「こびとさん」のシェアが減るかもしれないというふうには考える。

「こびとさん」なんかいなくて、自分の労働はまるごと自分の努力の成果であり、それゆえ、自分の労働がうみだした利益を私はすべて占有する権利があると思っている人はそんなことを考えない。

けれども、自分の労働を無言でサポートしてくれているものに対する感謝の気持ちを忘れて、活動がもたらすものをすべて占有的に享受し、費消していると、そのうちサポートはなくなる。

「こびとさん」が餓死してしまったのである。

知的な人が陥る「スランプ」の多くは「こびとさんの死」のことである。「こびとさん」へのフィードを忘れたことで、「自分の手持ちのものしか手元にない」状態に置き去りにされることが「スランプ」である。

スランプというのは「自分にできることができなくなる」わけではない。

「自分にできること」はいつだってでいる。

そうではなく、「自分にできるはずがないのにもかかわらず、できていたこと」ができなくなるのが「スランプ」なのである。

それはそれまで「こびとさん」がしてくれた仕事だったのである。(こびとさんを大切に P91)

  

武道的思考 (ちくま文庫)

武道的思考 (ちくま文庫)

  • 作者:内田 樹
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2019/04/10
  • メディア: 文庫
 

 

猫の本屋さん

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三軒茶屋に仕事で行ったので、その存在を知ってからなかなか行けていなかった本屋さんへ、行ってきた。三軒茶屋駅から世田谷線の西太子堂駅あたりまで歩く。

 

密集住宅地の中の細い道を歩いていると突然現れる「Cat's Meow Books」は、「猫の本屋さん」だ。それには大きく2つの意味がある。猫が登場する本だけを扱っているということと、もう一つは、実際に猫がいるということだ。

 

店内に入ると、猫が描かれた本の表紙がこっちを向いてくる。それだけで癒される。そして鍵のかかっている部屋に入ったら、靴をぬいでスリッパに履き替える。手を消毒して、店員さんに注意事項を受ける。猫ちゃんから寄ってくるまでは、手を触れないこと。とらえ方によっては拷問のようなルールだけれど、でも猫ちゃんの平穏を守るためだから仕方ない。心を浄化させて、よこしまな心を抱かず、そして何度か訪れて常連として猫ちゃんに認められて、いつかなついてくれるのを、待とうと誓った。

 

本棚いっぱいにある猫本から、素敵なタイトルにひかれたエッセイと、聞いて知っていた絵本作家さんのサイン本を手に取った。ここで見る本は、この本屋さんに来なかったら、たぶん今後出会うことはないんじゃないかという本ばかりだ。そういう「一期一会」感を味わえるのが、セレクト本屋の良いところだと思っている。

 

13時オープンの店内に13時10分ごろ入ったら、すでに常連らしき女の子が2人ほど座って黙々と本を読んでいた。姿を現していた猫のうち1匹は、優雅に眠っていた。もう1匹も、こちらが触れたくてうずうずしているというのにまったく意に介さず、のんびりとその優しい空間を作り出していた。最高の本屋さんだと思った。

 

CROSS

冬至。一年で一番日が短い日。昼過ぎからの雨で終始暗く、じめじめした一日だった。「ん」がつくものを食べると良いと聞き、夕飯はうどんにした。「にんじん」「れんこん」など、「ん」が二つつく食べ物はなおよいとのことだったが、つくる料理が頭に思い浮かばず、スーパーでも手に取らずスルーした。

 

この二日間は濃密だった。ここ数年、毎年恒例となりつつあるさいたまスーパーアリーナでのライブもあった。結成30周年を迎え、いまが一番かっこいいと本人が堂々と言い切る、そんな素敵なロックバンドがあるだろうか。まさかの1曲目の選曲に度肝を抜かれ、天井からスーッと降りてくる円盤状の照明の、その美しい光に胸を射抜かれた。息のそろった演奏と、音の美しさへのこだわりは、そのままいまの自分の仕事を進める糧になっている。丁寧に仕事をしよう。きれいに仕事をしよう。ひとりよがりじゃなくて、スタッフと息をあわせて仕事をしよう。彼らがそうであるように。

 

「LUNATIC X'MAS」ステージ正面には大きな十字架があり、それが各曲の演出になっていた。クリスマス。十字架。CROSS。

 

彼らの渾身のニューアルバム「CROSS」は、一聴したときこそその終わり方のあっけなさに、もう終わりか、と落胆したものの、何度か聴くと、その終わり方に納得もした。「so tender・・・」まるでそのさりげない終わり方を望んでいるかのよう。それよりも、その前の「静寂」がすごい。「全然静寂じゃない」なんて突っ込みはさておき。一小節何分の何拍子、という拍数がパートごとに変わるアレンジは、聴きながら平衡感覚を狂わせるに十分だ。「1,2,3,4,5,6。1,2,3,4,5。1・・・」と小声でカウントしながら聴くのが、自分にとっての新しい楽しみ方だ。サビだけとっても、1回目と2回目とで微妙に違う。その違和感の追求が面白い。「anagram」もすごい。「サビがないじゃないか」なんて突っ込みはさておき。そうじゃなくて、全部がサビなんだ。それでも単調ではなく、胸をくすぐるのは、なんでなんだろう。

 

美しいアルバムにもっと触れて、もっと自分の仕事もそうでなければ、と思う。彼らの仕事と、自分の仕事を、交差させる。

 

昨日できなかったことが今日できる、ということ

憧れのミュージシャンがテレビ番組に出演していて、驚くほどストイックであることをいまさらながら知った。もともと、身体を鍛えているとか、一つのことにのめりこむととことんまでいくタイプだとか、そういうことは知っていたけれど、自分の想像のはるか上を言っていて、放心状態になってしまった。腹筋を例えば3,000回・・・決してさらっと言うような回数じゃないだろう。だいたい1時間ちょっとです。1,000回がだいたい20分くらいなんですよ。そのしゃべっている内容があまりにも雲の上に行き過ぎて、笑っちゃったくらいだ。

 

ただ、「昨日できなかったことが今日できると、嬉しくなっちゃうんですよね」という言葉が、決して他人事に思えなくて、ぎくっとした。それはそうでしょうよ!と突っ込むだけではダメだ。昨日できなかったことが今日できた。そのことで実感する自分の成長。それこそが自分を高めるモチベーションになるんだろう。

 

それに引きかえ、自分はのんびりしたもんだなぁと不安になった。もっと、自分もストイックであってもいいんじゃないか。もっと、自分を高めることに対して貪欲であっていいんじゃないか。「尊敬するミュージシャンは雲の上の存在。自分は到底そこにたどり着けない」そうやって彼を偶像化し、そこに近づくための努力を放棄することを正当化してしまうような、そんな年齢じゃないだろう。せっかく彼を好きで追いかけているのだし、そこに近づこうと努力するくらいのパワーは、まだまだ自分にはある。そのパワーを、劣化させないために。

悪寒

電車内の広告で気になって、帰りがけの本屋で探して手に取る。広告を見てなかったら知らなかったであろう本を、広告に釣られるかのように買う。これをたまにやる。まぁ、本だったら読んでみて「なんか違う」と思っても大きな損害を被るわけじゃないし、いいやと思っている。もっと大きな、自分にとっての重大な買い物は、広告なんか見たって決めないけれど。

 

「悪寒」最後にどんな結末が待っているのか、必要以上に期待させるようなコピーに多少疑いはあるけれど、なんかしびれさせてくれそうな気がして、いまから楽しみ。主人公が単身赴任中、実家の妻が本社の上司を殺害したという知らせが入る。出向先での上司の嫌味を読みながら嫌な気分を味わっているけれど、話がきっと良い方向へ転がっていくのだろうという良い期待感があるから耐えていられるようなものだ。

 

悪寒 (集英社文庫)

悪寒 (集英社文庫)

  • 作者:伊岡 瞬
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2019/08/21
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

夜の闇と珈琲

好きな作家さん、HASHIOTO HIROMIの今年最後の個展で、笹塚へ。平常時は私語厳禁、必要最低限の言葉以外は筆談でお願いします、というくらい静寂を大切にする喫茶店「シャララ舎」は、去年の個展で初めて来て以来だから、1年ぶりになる。その間、行こう行こうと思いながらも行くことができずに、とうとう1年が経ってしまった。それでも去年と全く変わらない独特の空間を提供してくれるその喫茶店が好きで、今度は個展に関係なく来ようと強く思った。

 

https://shalalasha.com/

 

コーヒーをモチーフにした一つの物語を小さな絵本にして、その原画を展示している。最初に物語を知らずに原画を見て、どういう世界なんだろうかと思いをめぐらせる。そしてそのあとで絵本をみ、物語をつかんでから再度原画を見る。すると細部の風景の意味が自分なりに分かる。結果的に、2度楽しめた感じだ。

 

夜の静かな世界が、コーヒーのもつ苦さと重なる。闇の中で身を任せることと、コーヒーの中毒性に身を委ねることが、まるで同じ営みのようだ。

 

http://www.hiromi-hashimoto.com/

 

自分をゆるす年末


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引っ越し先で使うキッチンキャビネットをつくってもらうため、学芸大学の家具屋さんへ。その前に、せっかく学芸大学に来たのだからと、好きな本屋を2軒はしごする。

 

「SUNNY BOY BOOKS」古く小さい店内にぎっしりと本棚がひしめき、唯一ある壁面も展示品で埋まっている。この、どこから見ていったらいいの?と迷ってしまう雑多感が好きだ。好きなのだけれど、あまり長居できなかったのは、たくさんお客さんが来ていたからだ。住宅街のなかにぽつんとある小さな本屋さん、この中で数人が本を物色している。人気店だ。そんな本を愛するお客さんがゆっくりと本を楽しむ空間を、私の身体でさらに窮屈にはしたくない、と不意に思ってしまい、そそくさと店を出た。またいつでも来られる。

 

そのあと寄ったのは「BOOK AND SONS」。フォントデザインに関する本や海外の写真集などを専門に扱う、自分にとってちょっと敷居の高い本屋。あまりうかつに立ち寄れないからこそ、何か買おうと意気込んで入るのが気持ち良い。instagramで見て気になっていた写真集も良かったけれど、今日は表紙の凹凸感にひかれ、モノとしての魅力を感じるフォントの本を選んだ。ちょっと奮発した。

 

 

今日から12月。以前、ひょんなきっかけで吉祥寺の画廊で出会い、この年末に「SUNNY BOY BOOKS」で個展を行うという作家さんが、年末が1年で一番好きだと言っていた。「一年間の自分をゆるせる年末」という言葉に触れて、そう思える年末の過ごし方はなんて素敵なんだろうと思う。そうやってゆっくりと過ごすには・・・自分はまだ「自分をゆるす」ほど頑張れていないんじゃないか。いまの目の前の仕事を、もっと集中して、ひとつひとつ片づけていったらどうだ、と言いたい。じゃないと年末、自分をゆるしてあげないぞ、と。

仕事は常にオーバーアチーブ

内田樹「知に働けば蔵が建つ」を風呂につかりながら読む。以前マルシェで本の物々交換をやっていて、手に取ったのが、単行本のこれだった。背表紙には「中央区立図書館 リサイクルBOOK(除籍済み)」と書かれたシールが貼られ、奥付には「中央区立京橋図書館 廃棄済み」のスタンプがついている。そしてシェア主の直筆のコメント「内田さんの本は色あせないです。」と書かれた栞が挟まっている。シェアによって手に入れた、自分にとって特殊なストーリーをもつという点で、氏の他の著作と一線を画す。

 

読んでいると、ふと読み覚えのある文章に出会った。この話、この本で読んだんだっけ?と気になっていろいろ見たら、過去のブログ記事であり、「武道的思考」で読んだのだと思い出した。「師恩に報いるに愚問を以てす」確率的にほぼありえないだろうとか、持ち運びが大変だからという理由で杖剣を持たずにいるということが武道的にありえないということを師から教えられ、足が震えたという話。「念には念を」と一言で片づけられるものではない、仕事においても大切な心構えを、武道的思考を通して教えられた気がした。

 

「オーバーアチーブの原理」は特に社会人として、一人のオトナとして仕事をしながら生きていくために必要な心構えだと思う。労働に対する対価としての賃金は、自分が労働によって生み出す価値よりも少ない。だから「こんなに仕事したのに給料少なくて」と嘆くのは、そうではなくて、それは当たり前でしょう?という話。

 

当たり前ですね。クライアントから得た報酬の100%が自分の給料として入ってくるなんてことはありえない。その原理は、普通に会社員として働いていたら特に意識しなくてもだれでも知っている。自分だって、以前は建設会社の営業職だったので、他よりもコスト感覚を要求される職種だったと思っているし、自分の分だけでなく他の社員の給料分も稼がないと会社は成り立たないんですよ、ということを意識させられていた(だからこそ自分が給料ドロボーであることに罪悪感も感じたし、それが退職する理由でもあったのだけれど)。だから自分もそのあたりは知っている。それでも世の中「自分の仕事に見合った対価が欲しい」「こんなに滅私奉公しているのに薄給で困っちゃう」なんて愚痴が多いということは、そのオーバーアチーブの原理を知っていても知らないふりをしているということなのだろうか。

 

労働対価に対して賃金が低いことを嘆く前に、その差が開きすぎて会社に「うしろめたさ」を感じさせるくらい、自分で対価を生み出してやろうと奮い立つべきだと思った。とくに自分は。

 

それにしても。「人間の人間性は「わが身を供物として捧げる」ことのうちに存する」という言葉に、湯船につかりながら少し震えた。

 

「自己を供物として捧げる」ということは、人間に深い感動をもたらす経験である。おそらく「自己を他者への供物として捧げ、他者によって貪り食われる」というカニバリスム的事況そのもののうちに強烈な「快感」を覚える能力を得たことによって人類は他の霊長類と分岐したからである。

人間とサルの違いはほとんど「そこだけ」にしかないと言ってもよい。だから、自己を供物として捧げることを拒む人間は定義において「人間」ではない。

 

人間は「すねを齧られる」という経験を通してはじめて「自分にはすねがある」ことを確認し、「骨までしゃぶられる」という経験を通じてはじめて「自分には骨がある」ということを知るという逆転した仕方でしかアイデンティティを獲得することができない生き物である。

サラリーマンはその労働の対価として不当に安い給料で働くことを通じてはじめて「労働している」という実感を得ることができる。労働する能力、労働する身体を有し、労働者としての社会的承認を獲得することができる。

 

不当に安い給料で働くことではじめて「労働している」という実感を得ていると聞くと、いやそんなことはない、オレは見合った対価を提供してくれる環境を選ぶぜ、と思いたくもなる。でも本当は、心の中では、自分が給料に対して多くの価値を提供しているという実感を通じて「会社に貢献している」という優越感に近い感情を抱いているのかもしれないと思ったときに、これらの言葉に納得できた。

 

知に働けば蔵が建つ (文春文庫)

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武道的思考 (ちくま文庫)

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走る×考える

先に学んだ「複合行動」。複数のことに対応する柔軟性をもつことが大切、ということ。そのために別々の行動を組み合わせてみる。ここで、複合行動を意識していたわけではないけれど、「走る」ことと「考える」ことをセットにしていたことを思い出した。

 

ジョギングは確かに苦しいけれど、でも嫌悪感を持たずに続けていられるのは、ちょっと走った時のランナーズハイな時間が心地よいから。身体から汗と一緒に老廃物が排出されているような感覚があって、脂肪も燃焼されているような感覚があるから。そしてなにより、じわじわくる苦しさから逃れるためには、何か気を紛らわせるようなことを考える必要があり、いろいろなことを考えることができるからだ。

 

江戸川の河川敷を走りながら、いまの自分の仕事の進め方だったり、新しいプロジェクトをどうやって立ち上げるかという構想だったり、なにをどう勉強したら尊敬するあの人に使づけるかという妄想だったり、そんなことを考えている。その時間がただただ清々しくて気持ち良いから、走っているようなものだ。痩せるんじゃないかとか、健康に良いんじゃないかとか、ましてや寝坊した朝に駅まで全速力で走る体力がつくんじゃないかとか、そういった動機は、全くないわけではないけれど、副次的なものにすぎないのだと思う。

 

これからどんどん寒くなって、どんどん「さぁ走ろう」と最初に腰を上げる動作ができなくなってくる。走ることによる心地よさより、布団にもぐる心地よさが勝ってしまう。そうなる前に、もうちょっと走ろう。