文喫

本屋の本で知って興味を持った「入場料制という新しい形態をとっている本屋」に行くために六本木へ。

 

本を買う買わないによらずお金がかかるという点では、これまで体験したことはあるけれど(滞在時間に比例して席料がかかる喫茶店など(※))、最初に一定額を払って入る入場料制は初めてだ。きっと居心地の良い場所なのだろうという期待があった。そしてその期待は、お店に入って確信に変わった。六本木駅を降りてすぐのビル。「文喫」は予期せぬ本に出会うための本屋だ。

 

他のお客さん全員が、自分と同じように入場料を払って入ってきている。だから純粋に本を読みたい、という人だけがいるということになる。自分と同じ志をもって本棚と向き合い、席に座って黙々と本を読んでいる。そういうお客さんと空間を共にすることが、快適でないわけがない。入場料というフィルターがかかっているからか、日曜日の昼間にもかかわらず、ゆったりと席に座ることができた。コーヒーやお茶を飲みながら、じっくり本を読み、2冊選んで持ち帰った。他のお客さんがなんだか皆美しく見えた。

 

大きな発見が2つあった。1つ目は、本屋を自分にとっての「自宅の本棚の延長」として捉えることができたこと。いままでは気に入った本を買って、自分の本棚に置いて蔵書化することがひとつのあこがれだった。しかし、「すぐ近くに本屋があって、気になる本があったらそこで買う。つまりその本屋が自分の本棚を拡張したものなのだと思えれば、別に自宅にたくさんの本を置ける本棚がなくたって良い」という考えを何かで知り、そういう考え方もあるのか、と感動した。買うだけが選択肢じゃないんだ、と思えた。ただ、自分はまだ本屋に対してそのように見ることができないでいた。なんとなく、違うんだよな、買わなきゃダメなんだよな。買って、毎日ご飯を食べながらふと本棚を見たときに背表紙と目が合う、そういうのが大事なんだよな、なんて思っていた。その思いが今日、なんとなく覆った気がした。あぁ、こうやってそう遠くないところに来て、入場料は決して安くはないけれど、払えば、時間を気にせず本が読める。買わないでじっくり読むだけ読んで帰っても別に罪悪感(お店にお金を落とさずに退席することに対する負い目感)を感じることがない。だったらここへ来て本を読むことを一つの習慣にしたら、ここが自分の本棚と言うことだってできるじゃないか。そう思えた。

 

2つ目は、先に書いた「買わずに帰ることに対して負い目感がない」のがいかに快適か、ということ。これまで本屋に行くときは、なんとなく買わずに帰るのが忍びなくて、なんとしても「これだ」という一冊を探そうとしていた。もちろんその本屋に残ってほしい、売り上げに貢献したい、という積極的理由があってのことなのだけれど、でもどうしてもこれだという本が見つからないときに、罪の意識にさいなまれながら店を出るのもなんか違う気がしていた。その罪悪感が、まったくない。この快感に気づけただけでも、ここへ来た甲斐があったと思った。

 

 

柳宗理 エッセイ (平凡社ライブラリー)

柳宗理 エッセイ (平凡社ライブラリー)

  • 作者:柳 宗理
  • 発売日: 2011/02/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  

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