目の前の本

本屋に行って本を買うことが習慣のようになっている。もっと言うと、習慣にすることを自分に課しているような気持でいる。だから、一瞬でも読みたいと思った本がどんどんと手元にたまることになる。

 

そういう本がたくさん本棚にあるのを見ると、目の前にあるこれらの本を読まなくてどうするの、という気持ちになる。次の本を次の本を、と本屋で探している場合ではないでないか、と。もちろん、少しでも興味のある本は手に取りたいという欲望は否定しない。けれど、そういう「次の本」に日常的に目移りすることで、いま目の前の本棚にある本をじっくり楽しむ時間をないがしろにしてはいけない、とも思う。いま目の前の本棚にある本をじっくり読もうとしたときに、まだ読み終えていない本がたくさん本棚にスタンバイしていると思うと、「次はこの本を、次はこの本を」と先のことを考えてしまって集中できない。これは良くない。

 

というわけで、しばらく本屋で新しい本に手を伸ばすのは意識的に抑えて、読みかけの本を一冊ずつ、じっくり、ゆっくり味わおうと思う。これがしばらく時間が経つとまた気分は変わって、新しい情報を迎え入れるべきだ、気になったものもしばらくしたら忘れてしまうのだから、そうなる前に買っておくことがまず大切なのだ、なんて思って本屋に足を運ぶようになるのだろう。新しい本を求めようとする気持ちと、それを抑えて目の前の本を味わおうとする気持ちは、波長の長い音波のように交互に必ずやってくる。月の満ち欠けのように。太陽が東から昇って西に沈み、また東に現れるように。

 

あのね、目の前の人間を救えない人が、もっとでかいことで助けられるわけないじゃないですか。歴史なんて糞食らえですよ。目の前の危機を救えばいいじゃないですか。今、目の前で泣いている人を救えない人間がね、明日、世界を救えるわけがないんですよ。(砂漠/伊坂幸太郎)