ゆく年くる年の教え

 

年末年始の休みをのんびりと過ごしいていたら、いつの間にか年が明けてしまった。今年もそんな感じだ。紅白歌合戦が終わって、銀テープがぱっと散って、恒例の年末番組が終わった寂しさを感じるより早く、「ゆく年くる年」にさっと画面が切り替わった。静かな夜を映しだしている。その瞬間の静寂に満ちた空気を、ちょうど1年前に味わったのを今も覚えている。「ゆく年くる年」は毎年、同じようにやってくる。ああ、この厳かな感じは毎年一緒なんだな。どんなに賑やかに過ごしていても、その瞬間は静かに、清らかな気持ちで迎えるべきなんだな、ということをそっと教えてくれるようだ。年越しの瞬間を、除夜の鐘の鳴るお寺に行って迎えたのは大学生の頃が最後だろうか。もう何年もそんなことはしていない。新年を言祝ぐ気力がなくなったから?もしかしたらそうなのかもしれない。

 

「寝正月」というのは自分の過ごし方のことを言うのだろうか、と自身を持てるくらい、「寝正月」という言葉がぴったりな過ごし方をしている。元日は自宅近くのお寺に初詣に行ったけれど、参拝に並ぶ人の列の長さにうんざりして、本殿のお参りはあきらめた。昨日は半日だけ帰省。元気な姪と遊び、晩御飯をごちそうになり、束の間の家族との時間を楽しんだ。特別なことは何一つない。けれど、自分が当たり前のように享受している恵みの全てが、特別なことから生まれているようにも思える。なので、また仕事が始まったら、特別なことを考えずとも、特別なサービスを提供し続けながらも飄々と過ごせる、大人の男でありたいと思っている。