ドリームプラン

例年より少し長めの年末年始休みを、自宅でゆっくりと過ごしている。関わるのは自分だけじゃないのだからと自分に言い聞かせて、ほんの少しでもと思って予定していた帰省も、やめた。父が庭木の手入れ中に脚立から落ち、膝を骨折して入院、手術するとの報を11月に受けていた。別条はないとは言うものの、年齢も年齢なんだから油断しないでくれよ、と心臓が縮まる思いだ。東京で暮らす自分がわざわざ「静かな年末年始を」というおふれに背き、抵抗力の落ちた家族にリスクを与えることもないだろう。「この状況がずっと続くわけじゃいから。もう少しの辛抱だ」退院直前、電話口で言う父の言葉が染みた。そうだ。いつだって、どんな苦痛も、終わった結果いまがある。

 

何が言いたいかと言うと、いつになくひとりの時間があるということ。社会人になってから、年明けを実家以外で過ごすのは初めてだ。しかし、嫌ではない。

 

有意義に使わなければと気持ちだけが急いて、せっかくの時間も結局焦りながら過ぎてしまいそうだ。あまり意識しすぎず、旅したり知人と会ったりしない分、自分の内面とじっくり向き合う時間にしたい。

 

そんななか、ある本屋のSNSアカウントが目に留まり、ぎょっとした。「年賀状に牛の絵でも描いてる暇があったら、自分のドリームプランでも描きましょう」自宅から割と近いのだけれど、サクッと行くというのもちょっと違う、微妙な場所にある本屋だ。マーケットイベントで出会ってから気になっていたものの、まだ行けていない。そんな本屋から年末年始の過ごし方を指南されたようで、驚いた。「以上、おせっかいでした」と気遣ってはいるものの、言葉は優しさと毒に満ちている。さて、オレだってドリームプランを描いてやろうじゃないか。