ずっと続くという呪縛

「●月で閉店するらしいよ」知人からそう言われ、耳を疑った。好きでよく行くレストランのことだ。ウソであってほしい。そう思いながら、まだその真偽が確かめられていない。

 

知人は信頼できる人だし、とてもデマとは思えない。それでも、どうか何かの間違いであってくれ、と心の中の自分が言っている。そんなことを言える資格が自分にないことは分かっている。このところ、かつてのように頻繁に行っていなかったからだ。

 

今日、その店の前を通ったとき、入り口ドアに何か紙が貼られていたのが目に入った。嫌な予感がした。暗くて、若干遠かったので、文字までは読めない。そして、読む気になれない。だから、今日もそのお店のドアを開ける気にはどうしてもならなかった。事実として通告されることが怖かった。代わりに寄った本屋でも、立ち読みする本の文章がいまひとつ頭に入らない。買おう、という気持ちが起きない。本屋に入ったら必ず一冊は買うことを自分ルールにしたはずなのに。

 

おねがいだから、辞めないでくれ。好きなお店に対してはそう思うのが当然でしょう?しかし、仕事でここ最近、ずっと続いてほしいと思っているコミュニティからメンバーが抜ける、ということが立て続けに起きた。そういう事実を目の当たりにすると、あぁ、どんなに居心地の良いものであっても、それがずっと続くなんてありえないのだということに、いまさらながら気づいた。すごく当たり前のことなのに。

 

自分だって、そうだ。誰かの役に立ちたくて、そのための自分の居場所はここなんだ、と思っていても、ずっとそこにいられるわけではない。どんなに自分がここにいたいと駄々をこねても、戦力外通告されればそれで終わりだし、そのほかにもいろいろな事情がある。自分本位な理由で言えば、気が変わった、なんてこともあるだろう。だから、ずっと続くという前提で自分の身のまわりのことを考えることは、もうやめようと思った。

 

コミュニティから抜けたって、死ぬわけじゃない。一生会えないわけじゃない。むしろ、漠然と頭に描いていた「自分にとって大切なもの。ずっと続くと思っていたもの」という呪縛から解放されて、新しい出会いのチャンスが生まれたのだと思えば、ちょっとは気が楽になるんじゃないか。