正月休み、母がたの実家に挨拶に行ったときのこと。
実家は昔から農家をやっていて、そこでできる野菜は格別にうまい(自分がトマトが大好きなのは、おそらく小さいころからおいしいトマトを味わってきていたからだと思う)。そんな農家は、当然のことながら年末年始だからといって野菜が成長を待ってくれるわけもなく、暦に関係なく作業は続く。むんと熱気を帯びたビニルハウスの中で、冬もトマトを育て続ける。
仕事が続くとすぐ休みを欲しがり、やれ働き方改革だ、仕事とプライベートの区分けを自分で考えなければ、なんて心の中でぶつぶつつぶやいてしまう自分だけれど、一方で、定年を過ぎた年の男(母の兄)が休みなんて関係ないといわんばかりのノリで野菜を育てている。思わず口をついて出た「すごいね、休みなしで働いて。俺なんてすぐ休みたくなっちゃうのに」という私の言葉に、彼はさらっと言う。「人に使われてたら、こんな働かないから。この仕事は、自分で仕事をつくらなきゃいけない。今日何もしないこともできるけど、そうしたら明日2倍のことをしなきゃいけなくなるから」
その言葉を聞いて、いままで自分にとって当たり前すぎて、真剣に、かつ深く考えていなかったことが、改めて大切なんだと気づいた。自分が仕事をさせられているという感覚で動いている限りは自分主体の仕事はできず、誰から指示されるでもなく自分の意志、判断で行動するのが正しい姿だ、と。で、その正しい仕事さえしていれば、(休むことを否定するわけではないけれど)仮に人より休日が少なくても、暦上の休みが休みでなくても、健全でいられるんじゃないか、と。
もう休日の日数の多い少ないで休まなきゃ、とか、働きすぎだ、とか言うのはやめて(そもそも休まなきゃ、と無理にブレーキをかけるほど休日返上で働いてない)、心身が疲弊しない働き方を意識しようよ自分、と思った。