両方の考え

1ヶ月のうち、特に予定を決めないで一日オフを過ごす休日が何日あるだろう。そんなことをふと考える。今月は割と週末も予定が入っていたから、今日のオフは貴重だった。月初から、外出の予定をいれないようにしていた。行きたいところはあったのだけれど、でもなんだか外へ出るのが億劫になり、断念した。意識して自宅で過ごそうと2週間くらい前から決めていたのだから、従わなければダメだ。

 

休みがほしいと思うようになったのはいつから?昔からか。社会人になりたてのころは土曜日出勤は当たり前だった。日曜日出勤が重なったときは、つらかった。休みがないと人間生きていけない、と思っていた。でもいまは、主体的に仕事をしていて、面白がろうとする姿勢があれば、毎日仕事でも何ともないだろう、とも思う。昼間ずっと仕事だとしても、朝や夜に自分だけの時間をつくることはいくらでもできる。出勤を甘く見てる、ということではなく、心にゆとりができたのだと感じている。

 

結局自分は無理なく休む人間でありたいのか、忙しく動き回る人間でいたいのか、どちらなのか分からなくなる時がある。どちらなのか分からない、というより、どちらの考え方も自分は持っているのだと思う。休みなんていらない、動いていないと生きている気がしない、どうせ休日なんて有意義な使い方ができないに決まっているんだ。いやいや、やっぱり無理はいけない、昔は多少身体を酷使しても問題なかったけれど、いまはそうはいかない、定期的に仕事を遮断する日がなければ集中力がもたない、休みを満喫して、明日への活力に変えるべきだ。そう、どちらかが正解でどちらかが間違い、ということではなくて、繰り返すが、両方の考えを自分は持っているんだ。

 

久しぶりに一日自宅で過ごして、感じたのは、そのだらけた時間の使い方を後悔しつつも、そういう日がやはり必要だから自分はそうしたのだろう、ということ。正解か不正解かは他人にとやかく言われることではない。自分が正解だと思えば正解。違うんじゃないかとふと頭に浮かんだら、いや正解なんだ、と自分で自分をだませば良い。