感動するために必要なもの

大宮駅にて。電車を降りて階段を上り、乗り換えのために隣のホームへ向かう。階段を降りたら、見慣れないデザインの電車がまさに発車するところだった。「なんだこれは」と一瞬頭にはてなマークが浮かんだけれど、まぁこういう電車もたまにはあるのだろう、くらいで自ら納得を、した。

 

その電車に向かってカメラを構える人が複数人いることに気づいたのは、一番後ろの席の運転士2人が離れるホームに向かって手を振っているのを見て、自然と笑みがこぼれた、そのあとだった。皆が一様にその電車が発進する姿を残そうと、カメラを向けていた。そうか、これが撮り鉄か。きっと好きな人にとっては垂涎ものの電車だったのだろう。運転士2人は、電車を愛する彼らに向かって手を振っていたのかもしれない。なんだかほほえましい瞬間を見た気がして、嬉しくなった。

 

それにしても。見た事のないデザインの電車を見ても特に感動もせず、「まぁたまにはこういう電車もあるだろう」くらいにしか思わなかった自分の、心の動かなさよ。珍しさこそ感じたけれど、「知らないのは自分だけで、他の人にとっては珍しくとも何ともないんだろうな」と、無意識のうちに思っていたのだ。

 

自分が何かに感動するために必要なのは、他人の枠組みを無視できる鈍感さなのかもしれない。その時私は、「他人にとってはたいしたことないもの」じゃないかと疑って、素直に感動する心を失っていた。それじゃあ勿体ないな。他人にとって当たり前であろうと、自分にとって珍しかったら素直に感動するようでありたい。