Z:蔵書票 -zoshohyo-

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蔵書票を、つくった。自分が手にする本との付き合い方を深く考えるきっかけとなる出会いだった。3年前の話だ。

 

一筆箋やポストカード、封緘紙に包み紙など。たくさんの紙文具をつくる作家「久奈屋」を知ったのは、4年前の夏ごろ。味のある絵が特徴で、初めて見るのにどこか懐かしさを感じるような、不思議な絵だ。ホームページで猫が描かれた蔵書票を見つけ、はて蔵書票とは?と調べた結果、どうやら本に貼ることで「これは自分の本ですよ」ということを示すのが目的なのだと知った。

 

これは自分の本だ。紙片を貼ることで、そのことを他人にアピールする。そう言うとちょっとニュアンスが違って聞こえる。どこか「いいだろう、この本持ってるんだぜ」と他人に自慢する人間のように感じて嫌なのだけれど、でも目を閉じて自分の胸に手を当てて考えると、そういう気持ちがあることは否定できない。自分はこんなに難解な本を読めるオトナなのだ。自分はこんなに面白い本を読んで目を潤ませ、心臓を震わせる感動屋なのだ。こんなにたくさんの知識を本から吸収して仕事にいかしているんだ。そういう自慢をしたいのかもしれない。若者が本を読まなくなって久しい、なんて言われるけれど、自分はその「若者」にカテゴライズされるのではなく、当たり前のように本をむさぼるオトナですよ、ということを言い張りたい。その誇示の気持ちが形になったのが、この蔵書票なんじゃないかと思っている。

 

 

「サルスベリ」と「太陽」。自分だけの、世界にひとつだけのオリジナル蔵書票を久奈屋につくってもらうにあたり、リクエストしたテーマはこの2つだった。なぜか。それを正直に話すのはちょっとばかり恥ずかしいのだけれど、一言でいうと「本を読む人=父親」が頭に浮かんだから。

 

昔から実家の父の本棚には岩波新書がずらっと並び、その荘厳な姿に感動した。これくらいたくさんの情報を自身の知恵に変換できるようなオトナになりたい、と大学生の時に思った。私にとっての、たくさんの本を読む人は父なのだ。

 

一方、自宅や先祖の墓地には昔からサルスベリがあって、父がよく「サルスベリが」と口にしていたのを覚えていた。樹木の名前を知らない無知な自分が割と小さいころから知っていたのが、つるつるした幹が特徴のサルスベリだった。むしろ、小さく、しかし夏に爛漫と咲く花の様子のことは、特に記憶にない。そんな小さいころの思い出があって、「父が良く口にしていたサルスベリ」というように樹木のイメージが頭に刻まれた。

 

空気を吸うのと同じように、当たり前のように本をたくさん読む人間になりたい。父のように。そう思ったら、サルスベリが、夏の太陽に向かって堂々と花を咲かせる姿が鮮明に目に浮かんだ。蔵書票のテーマはこれしかないと思った。キーワードとその想いを伝えたら、最高にかっこいい絵を描いてくれた。太陽に向かってじわじわと伸びるようなサルスベリの幹を、知識を吸収しながら成長していく自分自身に重ねる。

 

気がつけば、どの本に貼ったか覚えきれないほどたくさんの本に蔵書票を貼った。しかしまだ、これから出会うであろう本にもどんどん貼りたい。「これは自分の本だ」と他人に言い張ろうと思うくらい好きな本に、まだまだ出会える予感がある。なので、どんどん増し刷りしてもらわなければならない。