読めなくなったら、書けば良い

本を読めなくなったときというのは、他人の言葉に耳を傾けることができなくなったとき。他人の言葉を受け入れられないくらい自分に余裕がないときとも言える。それかもしくは、自分のこころが欲している言葉になかなか出会えずに歯がゆい思いを繰り返しているうちに、そういう言葉にはもう出会えないんじゃないか、という諦めが自身を覆っている、そういう状態なのかもしれない。若松英輔「本を読めなくなった人のための読書論」を読んで、そういう状態になってしまう自分の姿を思いうかべ、おののいた。

 

幸いなのか、自分はまだ「一時期本を全く読めなくなったんだ」と振り返るような過去はなく、ちょっとづつではあるけれど時間があればページをめくる、ということが習慣になっているけれど、それでももちろん読む気がないときは、ある。眠い朝の電車内とか。それがもっと長いスパンで、読めないときがくるのだとしたら・・・。そういうときは、この本が教えてくれたように、無理に読もうとするのではなく、書くと良い。自分を救ってくれる言葉に出会えないと嘆くのなら、自分の正直な想いを、書けば良い。書くということが、誰のためでもなく自分のために大事なことなのだということに気づいた。

 

本を読めなくなった人のための読書論

本を読めなくなった人のための読書論

  • 作者:若松 英輔
  • 出版社/メーカー: 亜紀書房
  • 発売日: 2019/09/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

「楽しく仕事をしたい」「落ち着いて仕事をしたい」自分でそう思えば思うほど、そうはいかない現実にイライラし、落ち込んでしまう。他人から「もっと楽しそうに仕事しなさいよ」「もっと落ち着いてしゃべりなさい」と言われるたびに、こころの中では「そんなこと、言われなくても分かってるよ」「分かりきったことをくどくどと・・・」とつい反抗してしまう。そんな自分に気づいて、また落ち込む。負のスパイラルだ。

 

自分で選んでやっている仕事であるにもかかわらず、楽しくできていないのだとしたら、その原因は周りにあるのではなく、自分にある。そんなこと、誰に言われなくても分かるだろうに。自分のオトナとしての器量のなさを、人や環境のせいにしてはいけない。人や環境に問題があるのだとしたら、それを変えられるのは自分しかいないだろうに。もしくは、人や環境がそのままであっても、こころを波立たせないように自分をコントロールするしかないだろうに。