朝令暮改を許さない空気

「朝三暮四」について考えたのでもう一つ、似た言葉で「朝令暮改」がある。朝に発言したことと違うことを夕方に言う、つまり言動に一貫性がないことを指す。コロコロと方針を変える上司に振り回される部下を例にして、しばしば良くないこととして用いられるけれど、「朝言った方針を夕方に変える」というのは必ずしも悪いことではない、とわたしは思っている。そしていま、特にネットでのコメントなどを見ていると(最近は意識して見ないようにしているけれど)、朝令暮改を許さない空気が蔓延していると感じる。

 

今年のオリンピックの開催に反対意見を表明していたミュージシャンが、そのあとフェスに参加すると決めたことに対し、「コロナ禍を理由にオリンピックに反対していた者が、観客が密に集まるフェスに賛同するってどういうことだ」という批判を浴びた。一部のコメントを見て抱いた印象に過ぎないと言われればそうだけれど、どうも主張に一貫性がないことはよくない、という意見が多いように思う。でも本当にそうだろうか。前と違う意見を言うのは「一貫性がない」のではなく、「新しい知見を得て方針転換した」ということもあるのではないか?

 

「昔と今とで意見は一貫させるべきだ」という主張は、人間は時間が経っても同じ考えを持ったままだという前提に立っている。しかし人間は成長する。昔は持っていなかった価値観を得て、新しい判断基準を持つことも当然ある。だから一貫性がなくて当然じゃないか。

 

「以前はこう考えていたけれど、いまはそうではなくこう考えている」と、もっと人は言って良いと思う。それは成長であって、一貫性がないわけでは決してない。自分が昔言ったことを撤回して新しい主張をすることに対して、後ろめたさを感じないような空気になってほしい。

 

そして「前言撤回」できるように自身を成長させる手段が、読書だ。本を読むことで新しい見解を身につけて、より強固な主張をすることができる。他人の朝令暮改に不快感を感じるのではなく、朝令暮改できるくらい日々自分を更新させていきたいと思っている。