朝三暮四に甘んじる空気

「朝三暮四」という故事成語がある。宋の時代、トチの実を朝晩それぞれ4粒づつ食べていた猿に、コストカットを強いられた飼い主の狙公が「朝3粒、夕4粒与える」と言ったら猿が激怒した。そこで狙公が「わかったわかった。では朝4粒、夕3粒与えよう」と言ったら、猿は大喜びした、という話だ。そこから、目先の利益に一喜一憂して先のことを考えない様子を表す。

 

いまこの言葉が、社会に対して漠然と感じるギスギスした空気を、変えるヒントになるとわたしは思っている。インターネット上では気に食わない意見に対する鋭い言葉が行き交い、自分と異なる価値観に対する不快感をすぐに表明する。「これに対して一言モノ申さなければ」といったような、一億総コメンテーター時代と言っても大げさでない空気を感じる。的確な指摘ももちろんなかにはあるのだろうけれど、それらの行動の奥底にあるのは、「それを言うことでいま気持ちよければそれでよい」という朝三暮四的な考え方なのではないか。そこには、例えば1か月先、1年先、10年先の自身の幸福につながるかという視点は、ほとんどなさそうに見える。「いま最大の多幸感を得ること」も大事だけれど、それと引き換えに近い将来「四が三になる」ことで、長い目で見て自分が喜ぶかどうかを吟味する視点を、忘れずに持っていたい。

 

いま社会的に朝三暮四的な考え方が広がっているのだとしたら、先のことまで考えるためにはどうしたら良いか。本を読むことが、その答えになるのではないか。そしてその読書体験を広めるのが、自分の役割なのではないか。