良導体

ジョギングをしながら、「ジョギングそのものの効用」と、「続ける」ということについて、考える。

 

内田樹「武道論」で、村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」の書評を読んだ。その中で著者は、「小説を書くために必要な「力」とランニングのために必要な「力」は本質的なところで同じものだと村上春樹自身は考えている。これは私の武道家としての確信に通じる」と言っている。

 

村上春樹はジョギングをとおして、自分をある種の「良導体」に仕上げようとしているのだという。つまり、外からの何らかの力が自分の身体を通過して作用することで、心身のパフォーマンスが向上することを彼は知っている、という。なぜなら、著者が強調する言葉を借りると、「人間が発揮することのできる最も大きな力は人間の中に起源を持たない」からだ。仕事でも運動でもなんでも、自分が最も大きな力を発揮させるとき、その力は自分の中にあるのではなく、外からやってくる。そして外からやってきた力を自分の心身にしみ込ませる、その伝導率を良くすること(=良導体にすること)が大事であり、ジョギングによって得られる最大の成果がそれである。

 

これを読んで、私の走ることを習慣にしたいという気持ちの起源はこれに違いない、と思った。毎日少しづつでも走り続けることで、うまく言葉にできない、外からの何か大いなる力が自分に降りかかってきて、それが徐々に自分の身体を形成していく。そんな期待感が、よし走ろう、というモチベーションになる。

 

もう一冊、走ることを続けようと意識させてくれた本がある。松浦弥太郎「それからの僕にはマラソンがあった」である。この本で、疲れた日も雨の日も、とにかく毎日走ることに意味があるのだということと、走ることによる心身への変化がはっきりと感じられるのには相当の時間がかかるということを知った。続けなければ意味がない。そして、その成果をすぐに見出そうとしてはいけない。それらの言葉は、いま短い距離だけれど、ジョギングしている自分の背中をそっと押してくれる存在だ。

 

続けることで、長期的な目で見て自分の成長を実感できる、そのための力は外からやってくるということ。だから外から力がやってきたときに、それを取りこぼさず自分の身体にしみ込ませるために自らが「良導体」であるように準備しておくこと。これが大事なのだと思う。