聞かないことを、意識する

気づいたら7月になっていた。一年365日の半分を過ぎたことになる。ここ数か月間は自分が成長している感覚がまるでなく、意識する間もなく時間を使い込んでいるようで、焦る。年明けのあののんびりしていた時から今日までの時間を、また同じように過ごしたら、もう今年は終わって来年になっているのだ。

 

今年は何をしていたの。そもそも、昨日何をしていたの。ひとつひとつ、そのときそのときに必要なことを、必要なことだと思ってこなしているけれど、翌日になるとその「必要だった」はなんとなく泡のように消えて、どうもやりきれていないような気になる。これが長く続いたらそれが習慣になって自分を支配してしまうから、気をつけなければと思いながら、今日一日こうしてのんびりと過ごしていることを少しだけ後悔する。

 

「緊急事態宣言の発令が発表され、その発令前最後となる週末の今日、都内は人であふれかえりました」「緊急事態宣言が明けた最初の週末となった今日、渋谷にはたくさんの人が」「緊急事態宣言発令後最初の日曜日。あまり人通りが減った印象はありません」アイツ、学校帰りに買い食いしてましたよ、と友達の校則違反を先生にチクるような、そんな報道にうんざりしてしまう。ニュースを聞いて暗澹たる気持ちになる、それはきっと呪いのように自身を、少しづつかもしれないけれど確実に蝕んでいく。

 

影響を受けないためには聞かないことが一番。そう誰かから聞いた。意識して聞かないということも大事だ。