C:コーポラティブハウス -cooperative house-

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「お気に入り」というとちょっと違う気がするけれど、自分が仕事をとおしてつくりたかった価値を、端的に言うとこれに尽きると思う。だから、大学を卒業してから今日までの自分の社会人としての動きは、これをつくること(もしくはそれを手伝うこと)という言葉に集約される。

 

言葉やその仕組みを知ったのは、大学の授業でだったはずだ。画一的な間取りのマンションを買うのとは違って自分でつくることができる住宅建築本来の良さを、集合住宅でも味わえる。その魅力にとりつかれ、社会人になったらそれを供給するような仕事をしたいと漠然と思うようになった。新卒で入った建設会社では、最初こそそんな夢を忘れ、受注営業に奔走していたけれど、ある時にコーポラティブハウスのプロデュース会社から声がかかったことがきっかけで、忘れていた夢を思い出した。施工者という点ではフローの一端を担うにすぎないけれど、それでもいいと思った。

 

コーポラティブハウスのコーディネートをする設計事務所に転職し、より身近にコーポラティブハウスやその入居者と接することができるようになった。大学時代の自分がそれを知ったら卒倒するんじゃないかと思うくらい、恵まれていると思った。大学時代の自分は設計演習の成績がすこぶる悪く、専門家である「建築家」にはなれないんだという挫折を経験していたからだ。そんな自分が設計事務所で、コーポラティブハウスの企画に携わるなんて。人生、どうなるか分からない。

 

ではコーポラティブハウスの何に面白さを感じているのか。その本質的なものをとらえさえすれば、コーポラティブハウスをつくること以外にも面白さをあてはめることができるかもしれないと思った。コーポラティブハウスというのはあくまでも本質的なものを具現化するための手段に過ぎない。考えた結果、頭に浮かんだ言葉は「自分で暮らしをつくる姿勢」だった。

 

既製品を買うという行為を否定はしない。自分の身のまわりのもの、すべてを自分で考え、自分でつくることなんてできるはずがない。だけど、身のまわりのモノ全体のなかで「自分でつくる」「自分でオーダーしてつくってもらう」モノが占める割合が少しでも多いほうが、気持ちよい。なにより楽しい。そしてそのモノの中でもっとも暮らしに及ぼす影響力が大きいのが、住まいだ。だから、コーポラティブハウスをつくり、そこに住むことは、自分でつくる暮らしづくりの一つの到達点。それに近いことを(近いこと、というのは、コーポラティブハウスではなく賃貸住宅だから)実現できた自分は、やはり恵まれているのだと思う。

 

設計者と対話し、仲間と議論し、長い時間をかけてつくっていくという手法はいま、世を覆う脅威によって見直しを迫られている状況なのだと思う。けれど、入居までのプロセスを変革しなければならないにせよ、「自分で考えて自分なりの暮らしをつくる」という行為に自分の人生を豊かにする価値があるという点で、コーポラティブハウスは求められる存在であり続けると確信している。