希望はいつも当たり前の言葉で語られる

好きな本屋で目に入って思わず手に取った一冊は、まだ読み始めたばかりだけれど、自分のこころに深い満足感を与えてくれる一冊になるだろうという、確信に近い予感がすでにある。こんなことは、そうない。

 

「誰かが見てる」という言葉に救われた著者。

 

そんなとき、美大を出てデザイナーになっていた友人がアドバイスをくれた。

「どんな仕事でも手を抜かずにやっていれば、きっと誰かが見ていてくれる」

 未経験の自分には、もともと手を抜く余裕なんてなかったが、それは魔法の言葉になった。誰かが見てくれるから必死にやったわけじゃない。ただ誰かが目にする可能性のある言葉を書くのなら、やれるだけのことは全部やりたかった。右も左もわからない真っ暗闇のトンネルで、広告の世界のルールを教えてくれたのがこの言葉だった。人が見る仕事なのだ、と。

 物書きをしていると、時折思いがけない幸運が舞い込むことがある。どこかで見ていてくれた、誰かのおかげで。すぐにではないし、必ずとも言えないけれど、友人の言葉は、たしかに本当だった。

 

誰かが見ていると信じること。そうすれば自分の行動も改まるし、「どうせ何の役にもたたないし」と腐ることもない。真っ暗闇のトンネルを抜けるきっかけはたいてい、ありきたりな言葉だなぁと無視しがちな言葉がもたらしてくれる。

 

希望はいつも当たり前の言葉で語られる

希望はいつも当たり前の言葉で語られる