X:数学 -x-

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決まった一つの答えがあり、その答えにたどり着けば正解、という明確なゴールがあるから。そうやって好きな理由を言葉で言い表すことが当時できたかというと疑問だけれど、いくつかある教科のなかでは、算数が好きな少年だった。難しめの問題を解くことができたときの快感もあっただろう。また、算数の問題が解けることが、勉強のできる頭のいい男子の象徴のようでもあっただろう。女子にモテる。そう思っていたかもしれない。

 

普通科と理数科を置いている高校へ通った。身の程知らずな自分は中学時代、理数科にあこがれたものの、記憶によると北辰テストでこてんぱんにやられて、自分には理数科に進む学力がないことを思い知らされた。結果、普通科に通うことになるのだが、県立高校では割と珍しい、2年次から文系コースと理系コースに分かれるというカリキュラムで、もともと国語や社会など文系科目が苦手で、数学や物理化学が比較的好きであったから、迷うことなく理系コースを選んだ。早いうちから好き嫌いを表明できて、好きな科目を多めに勉強できたという点で、高校選びに後悔はしていない。

 

大人になり、いわゆる勉強・研究としての数学とは離れることとなったけれど、理系コースで数学を勉強してきたことが、はたしていまの自分に価値を与えているのだろうかと、ふと考える時がある。例えば微分積分の考え方は経営にとって必要だったりする。寸法を求めるのに三平方の定理や三角関数を用いることもときどきある。でも、残念ながら二乗してマイナスになる数字が登場したこともなければ、連立方程式を解くようにして未知数xとyを求めるような機会も、記憶する限り、ない。ではそれだけか?もっとなにか、根源的なことで仕事をスムーズに進めることができる考え方のようなものを、実は気づいていないだけで、身につけているのではないか?その正体が、分からない。

 

一方で、数学を切り口にいままでにないような仕事をつくっている人もいる。自分の「好き」や「得意」「興味がある」を掘り下げるその深さが原動力となって、新しい仕事を生む時代だと思う。

 

本当に自分が担うべき役割は何だろう。何をすることで自分は社会に自分という資源を役立たせることができるのだろう。その解xは、もしかしたらひとつじゃないのかもしれないし、ないのかもしれない。一生解けないのかもしれない。しかし、その不明瞭なものに向かって、あーでもないこーでもないと考えるプロセスを数学と呼ぶのであれば、自分はいままさに数学をしている最中だ。