世界は信用で成り立っている

4月14日。土曜日。



仕事。



引渡し間近の日本橋のマンションの内覧会。



ようやくここまできたという感じ。



立派なものができるって、やっぱりいいものですね。





訳あって夜実家に行き、いま、また自宅に戻ってきた。



ガラガラの高速道路。LUNA SEAの大曲「the one -crash to create-」をカーステレオで聴き、3回目のループが終わった時には千鳥町に着いていたという奇跡。



そう遠くないことに今更ながら驚いた。





信号待ちをしている途中、赤信号を無視して横断歩道を渡る自転車をみた。



横断歩道側の信号が赤になった直後、こちら側の信号が青になる直前。



こちらがわをチラリとも見ず、堂々と横切るその人を見て、危険は常に身の回りに潜んでいることに気付かされる。



世界は信用で成り立っている。



自転車の人も、車は来ないだろう、という安心から、横すら見ないで渡る。



この間なんか、車道側が完全に青だったのに交差点を自転車が横切り、事故起こしそうになって本当に焦った。



もし車道側の人間が少しばかりせっかちで、横断歩道側の信号が赤になったとたんに走り出そうものなら、もう激突することは必至。



世界は信用で成り立っている。



ぼく自身、交差点で信号が青なら、一切スピードを緩めることなく交差点を通過する。



交差側が信号無視する可能性はゼロじゃないのに。



でも、それをいちいち疑ってたら車なんて運転できないし、そこは「相手は交通ルールを守って信号で止まっている」というように「信用」して走っている。



信用できない可能性はゼロではなく、コトが起こった場合、それはイコール死を意味しているのに。



見えないけれど「信用」の力ってすごいなと思う。



その「信用」が裏切られ、不幸にも命を断たれてしまう出来事が起きた。



京都で歩行者に軽自動車が突っ込み、歩行者7人が死亡する事故。ニュースによると、運転者は「てんかん」持ちだったそうだ。



車が突っ込んでくるなんてことはないだろう、と信用していたであろう歩行者。その信用が裏切られ、実は信用できないということが明らかになったこの事件。他人事ではない。



秋葉原の事件もそうだし、こうした事件・事故は、実は世界を支配している信用が簡単に覆されてしまう可能性があることを示している気がする。



それが分かったからといって、じゃあ信号の赤青関係なく交差点を横切るときにわざわざ止まって左右確認するかといったら、そんなことできるはずがないけれど、少なくとも自分に都合の良い方向に考えて赤信号を渡ってしまうことは避けられるだろう。



見通しのいい交差点でまわりに誰もいなく、全然車も来なければ、赤で渡っちゃってもいいと思うよ。誰にも害がないのは明らかだし。



世界を支配している「信用」も、あくまで「仮説」にすぎないんだな。