エレファントカシマシ

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きっかけは、クライアントからの相談だった。去年からチケットをとっていて、楽しみにしていたライブに、どうしても行けなくなってしまったという。だから代わりに、好きで、行ける方をご存じないですか?と。

 

それがエレファントカシマシの、それもデビュー30周年記念ツアーのファイナル、さいたまスーパーアリーナでのライブと知り、自分から名乗りをあげたのは、彼らのかっこよさを間近で体感したいという気持ちがあったからだ。もちろん彼らのことはテレビでよく知っている。名曲もたくさんあるし、去年の紅白歌合戦でひと際輝いていたのをこの目で見て興奮した一人だ。ストレートな声がストレートに耳に入り、心臓をゆさぶる。そんな彼らの音楽を、実際に肌で感じるチャンスだと思った。

 

 

正直、知ってる曲は数曲しかなかったから、始まる前は心配もあったけれど、席についた途端に緊張が押し寄せ、不安は興奮に変わった。高鳴る鼓動。誰のライブであれ、この始まるまでの時間が自分は好きなのだと再認識した。

 

ライブはもう、圧巻。初っ端の曲のそのリズムに、初めて聴く曲であるにもかかわらず心地良さが身体を支配する。

 

この世を統べているのは心 行け とりあえず 飛び込め

(エレファントカシマシ/RAINBOW)

 

「なんだよそれ」とつい言っちゃうくらいテキトーでゆるいMCがまた良い。いらぬ肩の力を抜いてくれる。「お前らいい顔してるぜ。いいオーラ出てるぜ。よく見えないけど」本当に面白い。チケットを譲ってもらえた幸運に感謝した。

 

悲しみの果てに 何があるかなんて 俺は知らない 見たこともない

(エレファントカシマシ/悲しみの果て)

 

どんなに自分にとって悲しいことがあっても、その果てには素晴らしい日々があるのだ、と思わせてくれる大事な曲だ。

 

愛する力を求め続ける勇気を 本当の姿を 見つける旅へ行こう

(エレファントカシマシ/あなたのやさしさをオレは何に例えよう)

 

メンバー紹介を挟むこの曲の威力に圧倒される。エレカシはこれだなぁ、と思った。

 

この日を機に、自分の大好きなバンドに彼らが加わった。6月にはニューアルバムが出ることが発表された。これは楽しみ。

 

背中を押されて

出会いがあれば別れもある。そんなことは最初から分かっている。けれど、いざその時が来ると、なんだかなぁ、どうしてみんなして自分の周りから離れていってしまうんだ、と暗い気持ちになる。そんなことが立て続けに起きた。

 

美容院のマスターから閉店を聞かされていたお店に久しぶりに行ったら、入り口の扉に閉店を正式に知らせる貼り紙があった。「やっぱりか・・・」覚悟はしていたはずなのに、どこか心の中でウソであってほしいという淡い期待が残っていて、それさえ打ち砕かれたことにショックを受け、数秒間扉を開けることができなかった。14時過ぎでもほぼ満席。この繁盛ぶりが、休日の昼間だからという理由だけでなく、近くその幕を降ろすからという理由もあるんだろうなぁと思うと、余計に寂しさが増す。なんでここ最近、立ち寄れなかったのだろう、と自分を責める。

 

これとはまた別のところで、今日、旅立ちを切り出された。驚きを通り越して「はぇ?」という間の抜けたリアクションしかできなかった。こっちでやりたかった夢を実現できて、そのうえでの決断だということなので、当然自分にはその決断をやめさせることはできない。なんだぁ、寂しくなりますね。そんな当たり障りのない返事しかできない自分が、相変わらず情けない。

 

ずっとその関係が続くと思っても、そんなことはありえない。自分にだって、新しいステージへ進もうと決断してそれまでの場所から離れたことがある。そういうとき、引き留めてもらえるようでありたいと思いながらも、やっぱり「行ってらっしゃい」と祝ってほしい。だから自分も、いやいや、そういうの勘弁してよ、と寂しさを表明する一方、相手の決断を称え、応援できるようでありたい。そう思ってこれまで過ごしてきたはずなのに、なんだろう、この心のザワザワした感覚は。

 

立て続けに起きた出来事をいつもの美容院のマスターに打ち明けたら、「それを聞かされた時、なんて言いました」とあっけらかんと聞かれた。「『寂しくなりますね』って、言いました」「別れたくないんですよね」「そりゃぁ、まあ」「だったら、そのことをきちんと伝えるべきですねぇ。松浦弥太郎さんだったら、きっとそうしますよね」簡単に言う。自分がどれだけチキンか、よく知っているはずなのに。しかしその言葉で、そうだよな、気持ちは伝えるべきだよな、と勇気が湧いてくるのだから、自分はなんて単純なんだろう、と思う。簡単に言うとマスターに背中を押された感じだ。

 

スイーツ男子その2

ひょんなきっかけで学芸大学のカフェに出会った。「cafe/bar onji」ビルの2階にあるそのカフェには、建物前の立て看板を見落としたら絶対にたどり着けない。普段は夜営業しているバーで、休日の昼間だけカフェにもなる。お酒を飲まない自分はおそらくバーのお世話になることはないのだろうけれど、この休日限定のカフェにひかれたのは、これも「人」の力にほかならない。

 

bibbidi-bobbidi-do.hatenablog.com

 

今日、仕事終わりに学芸大学の古本屋「流浪堂」に立ち寄った。カフェのお姉さんに教えてもらったその古本屋は、最初に訪れた時こそその蔵書に圧倒され、買うことができなかったけれど、今日は冷静にひととおり見ることができ、買うこともできた。「有効期限はありませんから」こちらが何も言わずともポイントカードをくれる店員さんは、街の老舗古本屋から感じるイメージとは違い、気さくだった。私が差し出した本を見て「ありがとうございます」と真っ先に言う。「お目が高い。よく見つけましたね」そういわれた気がしてなんだか嬉しかった。

 

同じくマニアックな、グラフィックデザイン系の本を専門に扱う本屋「BOOK AND SONS」も面白い。清潔な店内空間に、木の本棚がやわらかい印象。そして控えめなサイン。家具屋とか、ギャラリーに迷い込んだような感じさえする。

  

bookandsons.com

 

世界の活版印刷グラフィック・コレクション

世界の活版印刷グラフィック・コレクション

 

  

本屋を教えてくれたそのお礼にonjiへ。気さくに話しかけてくれるお姉さんとまたしゃべる。もちろん今日もケーキを食べながら。相変わらず男ひとり、おかしな感じだ。

 

「どういうカフェが好きなんですか」そう聞かれると好きなカフェの共通点がまるでなく、困る。でもまぁ強いて言えば。自分は常々「人」だと思っている。店内の空間のおしゃれさだとか、流れている音楽だとか、コーヒーの味だとか、そういうのももちろん大事なのだろうけれど、それよりも、そこで出会う人との間で発生したストーリーにひかれる。何か面白いことがあったときに、それが良い思い出になって、また来ようと思うようになる。そのことを再認識させてくれたのが、目の前のお姉さんのその質問だった。

 

学芸大学は、自分にとって本屋の街になりつつある。そう思わせてくれたお姉さんに、感謝。

 

民泊とコーポラティブハウス

午前中、少し仕事。サポートしている管理組合の理事会で、民泊を認めるかどうか、それを管理規約にどのように組み込むかについて話し合った。そこでの意見に「民泊は無条件で悪、っていう考え方が好きじゃないんですよね」というのがあって、そうだよなぁ、と思った。とかく報道では民泊の弊害ばかりがクローズアップされ、民泊を舞台にした凶悪な事件もあれば、宿泊者によるマナーの問題もある。ヤミ民泊、なんて呼ばれたりなんかして。

 

しかし、本来は、オリンピックを控えてというのが本当の理由かどうかは知らないけれど、宿泊施設が不足するから、健全な民泊を推進しましょうよ、というのが趣旨でしょう?だから先行して大田区は特区民泊で緩和されているんでしょう?そうしたら民泊、ぜひやろうよ、といういいイメージが流れてもいいはずなのに、どうしてこうもヤミなイメージしか浮かばないんだろう。自分自身の個人的な嫌悪感だけが原因だろうか。

 

確かに、誰が住んでいるかが周知されているコーポラティブハウスにおいて、日にち単位で見ず知らずの入居者がうろうろしていたら、怖いだろうとは思う。住む前から顔見知り、というコミュニティがメリットの一つであるコーポラティブハウスと、不特定多数の人が泊まる目的だけのために集まる民泊。これらの間にはそもそも親和性がない。だから実際は、大半の入居者は民泊禁止、と思うだろうし、そのように合意形成して管理規約を変更するというのが大半の実態だと思う。

 

だけど、それだけでよいのか?とも思う。「許容してもいいんじゃない?」としてしまえば、じゃぁどうやって健全に管理組合を運営しながら宿泊者を招くことができるだろうか、と考えることもできるだろう。自分が運営しないにしても、管理組合が安心するためにはどうやって監督しようか、とか。いやいや、もっと堂々と、管理組合に経済的メリットをもたらすことができたらちょっとは抵抗感が少なくなるんじゃないか、とか。

 

そこから発展して考えるのは、いっそのこと民泊施設をコーポラティブ方式で企画したら需要はないだろうか、ということ。運営者を先に募って、土地をおさえて、ゼロから建物をつくる。そんなこともできるかもしれない。

 

働き方

仕事がなかなかうまくいかないこのもどかしさを、何とかしようと思いながら、何ともできずにここまできてしまっている。原因は一つ。「一人で抱え込まない」何度そう注意されたか知れないし、自分に言い聞かせてもきた。それなのに、ほんのちょっとの自分のサボタージュが、それは結局ほんのちょっとどころではないのだけれど、情報共有を阻み、自分の首を絞める。すぐに自分に跳ね返ってくることくらい、体感上分かっているはずなのに。

 

「働きかた改革を」巷は残業禁止とか、長時間労働を防いで心身の健康を取り戻すために働き方を見直すけれど、自分の場合は全く違うと気づいた。正直、まわりのスタッフに申し訳ない気持ちになりながら、それでも夜9時を過ぎるとどうしても集中力が続かなくて、帰ってしまう。まわりはもっと多い量の仕事を抱えているんだから文句言うな、と言われてもおかしくない。それくらい、自分が持っている仕事量は多くない。

 

「工夫すればしなくて済むもの」は、しないようにする。そのように働き方を真剣に見直す。目の前の仕事を、それだって大事なんだから、と思いながらこなしているだけでは、より重要な、もっと時間を費やして進めるべき仕事が見えないまま時間だけが過ぎてしまう。あと、分かりにくいことはしない。もっと「自分の仕事はこれだ。だからいまこう動いている」と言い張れるようにしないと。

 

 

今日は仕事が2件あった。どちらにも宿題がある。また溜め込んではダメだ。吐き出して、分からなかったら聞いて、どんどん前進させる方向へ動く。滞留させて、クライアントに嫌な思いをされて、自分も嫌な気分になるなんて不幸せなことは、したくない。

 

ずっと続くという呪縛

「●月で閉店するらしいよ」知人からそう言われ、耳を疑った。好きでよく行くレストランのことだ。ウソであってほしい。そう思いながら、まだその真偽が確かめられていない。

 

知人は信頼できる人だし、とてもデマとは思えない。それでも、どうか何かの間違いであってくれ、と心の中の自分が言っている。そんなことを言える資格が自分にないことは分かっている。このところ、かつてのように頻繁に行っていなかったからだ。

 

今日、その店の前を通ったとき、入り口ドアに何か紙が貼られていたのが目に入った。嫌な予感がした。暗くて、若干遠かったので、文字までは読めない。そして、読む気になれない。だから、今日もそのお店のドアを開ける気にはどうしてもならなかった。事実として通告されることが怖かった。代わりに寄った本屋でも、立ち読みする本の文章がいまひとつ頭に入らない。買おう、という気持ちが起きない。本屋に入ったら必ず一冊は買うことを自分ルールにしたはずなのに。

 

おねがいだから、辞めないでくれ。好きなお店に対してはそう思うのが当然でしょう?しかし、仕事でここ最近、ずっと続いてほしいと思っているコミュニティからメンバーが抜ける、ということが立て続けに起きた。そういう事実を目の当たりにすると、あぁ、どんなに居心地の良いものであっても、それがずっと続くなんてありえないのだということに、いまさらながら気づいた。すごく当たり前のことなのに。

 

自分だって、そうだ。誰かの役に立ちたくて、そのための自分の居場所はここなんだ、と思っていても、ずっとそこにいられるわけではない。どんなに自分がここにいたいと駄々をこねても、戦力外通告されればそれで終わりだし、そのほかにもいろいろな事情がある。自分本位な理由で言えば、気が変わった、なんてこともあるだろう。だから、ずっと続くという前提で自分の身のまわりのことを考えることは、もうやめようと思った。

 

コミュニティから抜けたって、死ぬわけじゃない。一生会えないわけじゃない。むしろ、漠然と頭に描いていた「自分にとって大切なもの。ずっと続くと思っていたもの」という呪縛から解放されて、新しい出会いのチャンスが生まれたのだと思えば、ちょっとは気が楽になるんじゃないか。

 

スイーツ男子

「もしかして、スイーツ男子ですか」そう突然話しかけられ、驚いた。目の前の女性が「話しかけちゃまずかったですか」といった顔でこちらを見ている。「あ・・・そ、そうなんですかね。まぁ、よく言われますけれど。甘いものは大好きですね」初めて会話するようにギクシャクした感じだったけれど、なんか胸にしみるものがあった。

 

 

午前中の仕事と夕方の仕事との合間で、昼間にぽっかり時間が生まれた。事務所でしばらく事務処理をしていたのだけれど、休日に集中力が出せないという自分の悪いところがあって、はかどらない。思い切って切り上げて、いつもは通勤で通り過ぎる事務所の数駅手前の駅に行った。気になっていた小さなセレクト本屋があったからだ。

 

学芸大学。大学の名前が駅名でありながら、その大学の面影はもはやない、そんな不思議な街。数分歩いて目的地である本屋にたどり着くと、すでに数人が表に出ている本を覗いていた。店内に入ると、学生っぽい感じの青年が店員さんに話しかけている。小ぢんまりとしていながらも荘厳な本棚が、神経をぴりぴりさせる。ほとんどが読み切れる自信がない、そんな本ばかりだ。でも、そんな本棚からこれだという一冊を選ぶプロセスが、なんか心地よいんだ。

 

人気店らしく次々と入ってくるお客さんたちがいて、徐々に小さい店内がさらに狭くなっていく。こういうときゆっくりできないたちで、そそくさと店を出てしまった。今度、またゆっくり見に来ようと思った。

 

だいぶ時間が余ってしまった。次に行こうと思っていた喫茶店は行列ができてて入れないし、もう一つ、セレクト本屋があることを雑誌で見た気がするなぁと思いながら場所が思い出せず、あきらめて、ひとまず休憩しようと、入れそうな喫茶店を探した。そして見つけたのが、賑わいのある通りから一本入った路地裏のカフェ。2階。普段だったら見過ごしてしまいそうだけれど、自然とそこに引き寄せられたのは、「2階で入りづらいかもしれませんが、お気軽にどうぞ」と書かれた立て看板があったからだ。「気軽に」って書いてあるんだから、気軽に入ったらいいんだ。

 

店には他にお客さんはいなかった。ゆっくりできるなぁと思い、コーヒーと、その時無性に甘いものを欲していたので、チーズケーキを頼んだ。これだから太ったとか言われるんだよ、と半分後悔しながらも、初めての店でこうやってケーキを食べることで新しい何かに出会えるかもしれない、なんて変な期待を、した。そうしたら、おとなしそうな女性店員さんに、冒頭の質問をされたのだった。

 

 

「そうなんです。こんな風体して、おかしいですよね。喫茶店に一人で入って、ケーキセットなんて頼んじゃうような、ちょっとアレな感じなんです、自分」よっぽどこう言おうとしたけれど、言えなかった。その前に、「男性は恥ずかしくてなかなかケーキを頼みづらいらしくて。そんなの、ぜんぜん気にしなくていいのに」という店員さんのホスピタリティあふれる言葉を浴びて、何か自分が救われた気持ちになったからだ。「確かに恥ずかしいですけどね。私も、注文はできるけど、人にはあんま言えないですね」でも食べたいときがあるんだから仕方ない。

 

その後、本屋目的で学芸大学に来たという話をしたら、別の本屋を2軒紹介してくれた。2軒とも面白そうだ。さらにそのうちの1軒が、頭の中になんとなく残っていた、雑誌で見た本屋だった。場所が分かって良かった。しかも、さっき行った本屋のすぐ近くじゃないか。

 

夜のバーがメインだというそのカフェは、休日の昼間のみオープンしているという。「こらからその本屋、行ってみます」と言うと、「じゃあ、今度感想聞かせてくださいね」と彼女。「わかりました。また来ます。今日は話しかけてくれてありがとうございました」こうして、また来ようと思える新しいお店ができた。最初こそ、バーメインのお店で片手間でカフェもやってます、みたいな感じなのかなぁなんて失礼な印象をもっていた。そんなイメージが変わり、また来ようと思った決め手になったのは、店員さんが、つまらなそうにしている(決してそんなことはないけれど、そのように見えたのかもしれない・・・)自分に、「この裏路地を歩いてて、看板見てそれで気軽に入ってきてくれて、嬉しかったです」と、こっちも嬉しくなるような言葉をかけてくれたことだった。

 

エッセイからつながる旅

昨日行った天王洲ハーバーマーケットで、気になっていた本屋に出会った。「SNOW SHOVELING」事務所からそう遠くない場所にあるこの本屋を雑誌で知り、興味をもったのがきっかけだ。出店リストに雪かきスコップの名を見た時は、チャンスと思った。

 

ケーキ屋、花屋、服屋、雑貨屋、キッチンカー・・・。いろいろなお店が集まる倉庫の中に、その本屋はあった。L字型のテーブルに並ぶ本と、椅子に座る髭の男の人。スマホをじっと眺めている。私が足を止めて本をじっと見ていても、しばらくスマホから目を離さない。気難しい感じの人なのか?

 

短い文章だけ書かれた封筒に文庫本が入っている。福袋と同じ理屈で、本の中身は開けるまで分からず、封筒に書かれた文章からインスピレーションを受けたら手に取ってみよ、というもの。面白い企画だと思い、「半径5メートルの幸福」と書かれた封筒と、もう一冊、松浦弥太郎さんがインタビュー相手の一人として入っていた、写真家の若木信吾さんの本を買った。二冊を差し出した時、初めて男の人と目が合った。優しい笑顔。気難しい人ではという疑念が、一瞬で消えた。

 

「松浦弥太郎さん、ひょっとして好きではないですか?」そう尋ねることができたのは、その優しい笑顔に肩の力が抜け、同時に勇気がわいたからだ。「えぇ、好きですよ」「実は僕も」「そうなんですか。どの本が?」「そうですね。いろいろ読んでますが、一番は『くちぶえサンドイッチ』ですかね」「あぁ!いいですね。僕は『場所はいつも旅先だった』ですね」会話は弾んだ。自分なりの基準で本を選んでいる、そういう人が好きだという本を、自分も好きで読んでいるという事実が、なんだか嬉しい。

 

改めて深沢のお店のことをHPで見て、これは行かなきゃと思った。「旅に出るのも楽しみだけど 旅に持っていく本を選んでいる時も同じくらい楽しい」同意。毎晩、風呂に持ち込む本をどれにしよう、と本棚の前で悩む時間を、優柔不断だなぁと嘆きながらも楽しんでいる自分だ。友達になれはしないだろうか。

 

 

彼のエッセイにはたびたび、美味しい朝食が登場する。ニューヨークのとあるカフェの朝食にまつわるエピソードが特に好きだ。その理由は店員さんにある。「いつものでいい?ヤタロー」そういって、久しぶりに来た彼のオーダーを一つも間違えずにつくる。そして次の客のオーダーを「いつものでいい?」と聞く・・・。そういう話にあこがれる。自分の名前を憶えてくれる店に出会えると、その旅はそれだけで幸福だ、というのも納得できる。

 

ただでさえ朝食をとる習慣がなくなってしまった自分だ。中学高校時代は朝食をとることは当たり前で、「朝ご飯は食べないんだ」と自慢する同級生を、心の中で軽蔑していた。それなのにいまは、自分がその軽蔑される方になってしまっている。自分も休日に美味しい朝ご飯を食べたいなぁと思いながら、たいてい夕方ごろに行くいつものカフェに、今日は朝早く足を運んだ。コーヒーとデニッシュパンがとにかく美味しい。

 

ニューヨークのカフェの店員さんと、目の前の店員さんとが重なる。ここのカフェの何がすごいって、自分以外に店に入ってくる9割のお客さんに、「久しぶりです」とか「チャオ」とか「今日はどうします?」とか、普通に話しかける。お客さんも、「美味しかったです」「何時までですか」と必ず二言三言は店員さんと会話を楽しむ。つまり、ほぼすべてのお客さんがリピーターであり、店員さんもそのリピーターを憶えているのだ。そんなお店、なかなかないだろう、と思う。

 

自分もこのエッセイにあるような、素敵な朝食をとる幸福を、このカフェに与えてもらっている。幸福は、半径5メートルとはいかないけれど、1キロ圏内くらいには十分にある。いつもありがとう。

 

場所はいつも旅先だった (集英社文庫)

場所はいつも旅先だった (集英社文庫)

 

  

希望をくれる人に僕は会いたい

希望をくれる人に僕は会いたい

 

 

天王洲ハーバーマーケット

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天王洲のストリートマーケットを知り、気になるお店がいくつかあったので、遊びに行ってきた。浜松町から東京モノレールで天王洲アイルへ向かう。浜松町に来たの、何年ぶりだ?天王洲アイルで降りたのなんて、初めてじゃないか?

 

運河沿い。生コンプラントの隣。という特殊な立地であるにも関わらず、多くの人が来ていてびっくりした。ダクトや床の墨出しがそのままという無骨な倉庫内に、たくさんのお店が集う。骨董系が比較的多かったか。ここへ来なければ出会わなかったであろうお店がほとんどで、刺激的だった。

 

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新築だけでなく、既存建物を活用して新しい価値を生み出す企画を目にするたびに、すごいなぁと思う。自分もそういう企画をすることにあこがれるから、なおのこと嫉妬する。嫉妬して、「はいはい、すごいすごい。敵いません」と自棄にさえなり、いち消費者として十分に楽しめない。消費者目線で楽しんでみることで、気づくこともあるだろうに。

 

その一方で、これがこの先、永く価値を提供し続ける企画であり続けるだろうか、という心配もある。一度は楽しめるものの、すぐに飽きて廃れてしまうのだとしたら、それは企画として失敗だと自分は思っている。正直に言うと、刺激は強かったものの、また何度も行きたいとは思えなかった。「同じ感性をもつひとが集う」のは良いけれど、その感性が毎回同じだったら、異なる感性のひとが寄り付かない。公式HPのフィロソフィーで言っているように、回を重ねるにつれて、集まるお店やその雰囲気も流動的で成長するようなマーケットでいてほしい。

 

www.tennozmarket.com

 

さよならは小さい声で

美容院へ行ったら、マスターに「勧めてくれた本、読んでますよ」と言われた。前回、松浦弥太郎さんのエッセイを紹介したんだった。いつも思う、他人の意見をまず受け入れて、実行までしてくれる、その素直さが、彼の器の大きさのゆえんだと。

 

「さよならは小さい声で」ひとつひとつの話がまるで自分に優しく語りかけてくれているかのような、エッセイ。一人のために書いたラブレターのような言葉。誰か特定の人に向けたラブレターであるのと同時に、その言葉で心が落ち着くということは、ひょっとしたら自分にとってのラブレターでもあるのではないかと思わせてくれる。さらに、自分も同じように、誰かへのラブレターをこうして書きたい、と思わせてくれる。

 

「感想を伝えよう」という話があって、これは私も松浦弥太郎さんから教わった大事な教えだと思っている。例えば何かを紹介してもらった時、何か食べ物をおすそ分けしてもらった時。ありがとうを伝えるのは当然として、どうだったかの感想を伝えることが大事なのだと。感想を聞くことで、また紹介しよう、またおすそわけしよう、という気持ちにもなる。意識はしても、なかなかできなかったりする。そんなことを、マスターはそのエッセイからすぐに吸収し、感想を私に聞かせてくれた。書かれていることを即実行したのだということに気づいたのが、髪を切ってもらって別れた後だったから、少し恥ずかしかった。

 

さよならは小さい声で (PHP文庫)

さよならは小さい声で (PHP文庫)

 

 

ヒュッゲ

今日は自分の中でうずまいている仕事を整理するために事務所に行くんだ、と金曜日の夜に誓うのだけれど、いざその日が来ると、身体が動かない。休日は休日だ、リフレッシュしたらいい、と自分の中の悪魔が言う。それなら自分の仕事のクオリティを上げるための勉強をしたらいい、ということで、やる気を奪う誘惑の多い自宅を出て、駅前の喫茶店に寄ったのが午後5時頃。この行動に移るまでに半日以上を費やしていると思うと本当にうんざりするのだけれど、それはいつものこと。シンプルに美味しいクリームパンとサイホンで淹れたコーヒーをお供に、建築ディテール雑誌を読む。

 

 

そのあと、先日買った本を読みながら、興味をもった言葉やそこから思いついたことをクロッキー帳に書き留めていく。日本語に翻訳できないデンマークの言葉「HYGGE」。心地よい時間、快適な空間を漠然と示すその言葉の広さと、それが生活習慣となっているデンマークの暮らしの豊かさに、あこがれる。

 

自宅にひきこもるためのヒュッゲお助けセット からいくつか、自分も取り入れたいもの

・キャンドル

・チョコレート

・お気に入りのお茶

・本

・お気に入りの映画

・ジャム

・ウールのソックス

・気に入りの手紙

・ブランケット

・音楽

 

全体的に身体を温かくするものが多い。デンマークはとにかく寒く、暗く、また天気がすごく悪いらしい。雨が年間365日中179日って、本当か?自分だったらすぐ気持ちがじめじめしそうだけれど、だからこそこうした心をほぐす生活習慣が根付いているんじゃないかとも思える。日々の生活に、少しづつ取り入れていきたい。

 

 

さらにこれを仕事に発展させて。ヒュッゲな暮らしを楽しむコーポラティブハウス、いいじゃない。自分の住まいだけでなく、建物一棟単位でヒュッゲであるように。そのための仕掛けには、何がある?

・パティオでの語らい

・全戸100㎡超のゆとりある面積(ちなみにデンマークは一人当たりの居住面積が世界一だとか)

・各住戸にくつろぐための「HYGGE ROOM」を標準提案

・共用スペースに共用暖炉

・自家焙煎コーヒー屋がテナントとして入っている(テナント料は管理組合の管理費の足しに)

 

などなど。あったら楽しそう。

 

ヒュッゲ 365日「シンプルな幸せ」のつくり方 (単行本)

ヒュッゲ 365日「シンプルな幸せ」のつくり方 (単行本)

  • 作者: マイク・ヴァイキング,ニコライ・バーグマン,アーヴィン香苗
  • 出版社/メーカー: 三笠書房
  • 発売日: 2017/10/13
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 

 

オーダーメイドの魅力

オーダーメイドの良さってなんだろう、とふと考える。

 

モノを買うときに、それを選ぶ理由はいろいろある。色がかっこいい、形がかっこいい、好きな人がつくったものだから・・・。でも、それが既製品である以上、誰もが買うことができるし、たくさんの人が欲しいと思うように設計されている。だから、自分がそれを買うことに特別な意味はない。例えば、家具でも服でも装飾品でも何でもいいんだけど、それを気に入って買ったとしても、そのモノに「お前は僕のことを気に入ってくれているけれど、僕のことをもっと好きだと言ってくれる人が他にいるからさ」と言われたらと思うと、悲しくなる(ことがある)。それ以上、そのモノへ愛情が注げない気がする(ことがある)。理想は、他の人には合わないけれど、自分だけにぴったり合う、というもの。自分だけがそれを欲しいと思えたから手にする、というもの。そうすると自動的に、「自分のためにつくってもらう」オーダーメイドになる。自分のためだけにつくられたモノをもつことによって優越感を得られる点が、オーダーメイドの良さだと思う。

 

そしてもうひとつ、オーダーメイドに魅力を感じる理由は、つくることに時間と労力をかけたという事実が自分を嬉しくさせるから、だと思っている。時間がかかればかかるほど、労力を使えば使うほど、愛着がわき、自分だけのものなんだと思える。その時間を経て得た経験が、心を満たすのではないだろうか。

 

本棚を家具屋さんにつくってもらったことがきっかけで、オーダーメイドの魅力を再認識した。いまもこの文章を、本棚に寄り添う机で、つくってくれた家具屋さんに感謝しながら、書いている。この本棚の良さを味わえるのは自分一人で十分、とも思う。

 

自分の身のまわりのもの全てをオーダーメイドにするといったら無理もあるだろうけれど、できるだけ増やしたい。

 

旅の窓

立ち寄った本屋で、ある本がふと目に入ってピンときた。聞いたことのある名前の作家さんだけれど、まだ読んだことはなかった。誰かがリスペクトしていたんじゃなかったか。

 

「旅の窓」旅先で出会った風景を写真で切り取り、美しい文章でその光景を綴っている。あぁ、オトナの文章だなぁ、と心が落ち着いた。

 

なにより写真がとてもきれいで、こういう風景に自分も出会いたい、と思わせてくれるのがほとんど。旅にはこうした楽しみがあるんだ。出不精であり、よって旅不精でもある自分には、刺激が強すぎる。と同時に、あこがれも抱く。

  

instagramにしても、自分のお気に入りを紹介するブログにしても、facebookにしても。ポリシーをもって「自分にとってストーリーのある風景」を切り取って、写真と文章とを組み合わせ、形にできるようになりたい。

 

旅の窓 (幻冬舎文庫)

旅の窓 (幻冬舎文庫)

 

 

 

一輪挿し

「週に一度、花屋で花を買う」松浦弥太郎さんのエッセイにそうあって、これまでの自分には全くない習慣だったものだから、感銘を受け、自分も真似をしたくなった。そう思ってずいぶん経つけれど、真似できていない。それほど、部屋に花があるという状況を愛せていない。基本、装飾はあまりしたくない。

 

とはいえ、何もない殺風景な部屋はやはり味気なく、好きではない。モノを目に見えるところにごちゃごちゃ置いておきたくない性分で、普段使わないものはクローゼットの中にしまうことが多いけれど、そうすることで部屋から生活感が全くなくなってしまうのは困りものだ。そこはバランスと言うか、メリハリと言うか、が大事なんだと思う。

 

自分の場合、部屋の壁一面を陣取っている本棚の本は目に見える状態にある。いろいろな色、形、大きさの本の背表紙が半分無秩序に並んでいて、決して、きれいではない。これを隠そうと思えば、例えば扉をつけて、読みたい本を出すときに扉を開ける、というようにすることもできる。だけど自分がそれをしたくないのは、ランダムに並んだ本の背表紙を含めての本棚なのだ、という想いがあるし、たくさん並んだ本の背表紙を眺めながら「自分ってこんだけ本を読んでいるんだぁ」と満足感を得られる、その気分こそが大事だという想いがあるから。だから本を隠すなんて、とてもじゃないけどできない。

 

このように、インテリアとしては一見無駄で、すっきりさせようと思ったら真っ先にしまうようなものも、あることで心にゆとりができるというか、「あってもなくてもいいもの」があることを許容できるくらい、おおらかな気持ちになれる。そのおおらかな気持ちが、自分にオトナとしての余裕をもたせてくれるのではないだろうか。そしてその「あってもなくてもいいもの」のひとつが、花だ。

 

ユースケ・サンタマリアさんが「オトナに」で一輪挿しをここ数年絶やしたことがないと言っていて、あこがれた。同じく「オトナに」でLUNA SEAの真矢さんが「いまの自分のドラムセットは点数が多い。ステージ衣装だと思っている。必要だからと言うよりも。だって部屋に絵とか飾ってる人がいるけど、これ生活に必要なの?って。必要ないんだけど、でも飾ってあったらいい。そういう感覚です」と言っていて、飾りの必要性も知った。もちろん質実剛健なデザインも好きだけれど、「装飾は悪だ。邪魔だ」と切り捨ててしまうのももったいない。というわけで、花を買った。

 

週末いつも行くスーパーで。敷居の高い花屋じゃなくて十分。斑入りの葉と黄色く小さい花がきれい。花の名前を店員さんに聞くのを忘れた。テーブルの脇に花瓶を置いて、しばらく育てよう。ユースケさんのようなオトナに、近づけるだろうか。

 


#24 ホリエアツシ(ストレイテナー)×牧達弥(go!go!vanillas) 後編【せいこうユースケトーク オトナに!】

 


#20 真矢×ピエール中野 前編【せいこうユースケトーク オトナに!】

本と物語とを繋げる読書体験

instagramのハッシュタグ、「#bookstagram」のほか、「#booklover」や「#本棚」、「#本好きな人と繋がりたい」といったもので検索するとたくさんの投稿が出てきて、びっくりする。本一冊一冊に着目して記事を書く人がこんなにいるんだ、と驚いた。インスタグラムに対する見方が変わった。

 

インスタグラムは仕事でも使っている。スタッフがたくさんのハッシュタグをつけて投稿していて、最初はそれにどれほどの効果があるのだろうか、と疑問を感じていたけれど、使っているとその効果がよく分かる。自分の関心のあるキーワードで検索をかけることが非常に多いのだ。ハッシュタグをいれるのといれないのとでは、リアクションの量に大きな差が出る。どういう人に見てもらいたいか、何に関心を持っている人をターゲットにしたいか、そういうことをよく考えるきっかけにもなり、面白い。

 

もし自分だったら・・・。ただ自分が読んだ本を紹介するだけではつまらない。自分なりの視点で、本と、それにまつわるストーリーを繋げたい。自分がどうしてその本を選んだか。その本にはどんなエピソードがあるか。その本を読んだらどんな気持ちになって、将来どんな良いことが起こるかもしれないと思えるのか。本と、そこから生まれる物語を紡ぐ文章を、セットにしたら、面白いのではないかと思っている。このブログでもやっていることだけれど、もっとモノとしての本、表紙のかっこよさに惹かれる本、まつわる体験が刺激的な本、それを表紙の画像と文章をセットにして伝える。それができたら、自分の読書体験がもっと豊かになりそうな気がする。