エッセイストになるには

明確にエッセイストになりたい、と意識しているわけではないのだけれど、日々過ごす中で感じた事を文字で残す、そのことを習慣にできたら、どれだけ暮らしが豊かになるだろう、と思う。

 

実際には毎週末更新のこのブログで記事を書いているから、言い張れないこともない。だけど、なんだか気恥ずかしくて、「私はエッセイストです」なんて言えない。エッセイと呼ぶには程遠い、雑念を書き散らしただけのようなものだ。

 

エッセイとは何か、エッセイを書くとはどういう心持ちか、をしっかり考えるきっかけになったのは、松浦弥太郎さんの「エッセイストのように生きる」を読んだからだ。エッセイとは「秘密の告白である」。エッセイとは、「体験の記録である」。エッセイを書く事で「自分を知る=未来に対して安心できる」。など、エッセイに関するエッセンスが詰まっていて、勉強になる。ああ、自分はこうなりたいからエッセイを書いているのか、と気づくと同時に、エッセイを書き続ければこんな人間になれる、ということも分かる。

 

エッセイを書くには、日ごろの習慣が大切。準備、と言ったら、書くために生きるという順番になってしまいそうだからちょっと違うかもしれないけれど、さあ書こうと意気込んで書けるものでもない。日ごろからアンテナを張っておいて、ピンと反応したら、言葉にできるよう頭に残しておく。その習慣が大切なのだと知った。つまり、エッセイストとは生き方そのもの、ということだろうか。