できるだけ正直に、できるだけ自分らしく

仕事でウェブサイトをつくるということもあり、ウェブタイポグラフィについて勉強している。まだ始めたばかりで、どれだけ時間を費やしたらどれくらいの知識を得ることができるのか、さっぱりわからない。勉強したら、きれいなホームページがつくれるんじゃないか。それが自分を表現するツールになりえるんじゃないか。そんな漠然とした期待だけが、自分を机へと向かわせている。

 

 

一方で、松浦弥太郎さんのエッセイを繰り返し読んでは、さて自分のいまの仕事の仕方、ひいては生き方は、自分に対して正直か?と問う。ちょっとまとまった時間を使って、少しだけ仕事のことを忘れて、でもどこか現実逃避するような遊びをするということではなく、懐かしい友人に久しぶりに会って食事しながら、ぼんやりと考えた。自分の気持ちに正直でいることが大事だということは分かる。ただ、なんとなく心の奥底で「いまじゃないんじゃないか」とささやく、その本当に小さな声を無視して、「いまだろう」と行動に移そうとする欲望にかられるのも事実。正直に、と一言でいっても、その小さな声に敏感に反応して従うべきなのか、それに反発する欲望を本当の気持ちだと捉えて行動すべきなのか、その線引きは難しい。と思っている。

 

ここ最近、仕事から人間関係、または身の回りまで、自分にとってほんとに必要なもの以外を整理することを考えるようになりました。すると、それまで見えてそうで見えてなかった、自分が大切にしたいものがくっきりと見えてきました。これからの未来、自分はどんな方法で、どのように生きていくのか。ぼくはそれをきちんと知っておきたかったのです。がむしゃらになんでもかんでもを生きる手段に利用して、たまりたまった残飯を食べながら生きるのはもう止そうと思うのです。できるだけ簡素に。できるだけ自分らしく。できるだけ正直に。できるだけ小さく。

 

できるだけ正直に。できるだけ自分らしく。ただ目の前のことを、目の前の相手を想いながら淡々と動くこと。そのことを大事にしながらも、遠くの景色もきちんと見通すように。連休中に得たひとつの結論だ。