前職での綾瀬の記憶

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家族の実家の墓参りに出かけた。東武線の西新井駅を降りてバスに乗る。川口方面へ10分ほど、街路樹のサルスベリがきれいな道を進み、降りたところは荒川からほど近い場所だが、どこの駅からも遠い。うだるような暑さの中、それでも公園で楽しそうに遊ぶ子供たちを横目に、汗をぬぐいながら歩いた。お盆休みならではの思い出だ。

 

現在地をマップで見ながら、周囲へと視点をずらすと、綾瀬がある。西新井から東へ進むと、つくばエクスプレスの青井駅がある。そこで、自分の記憶は10年以上前にタイムスリップする。前職の、建設会社で営業をしていたころのことだ。

 

バリバリ働く当時の直属の先輩が、入社間もないころに自己情報で受注したというクライアントの工場・事務所が加平にある。自分も何度もそこへお邪魔し、小工事の打合せをしたりした。建築知識も営業トーク力もなければ、受注力もない。そんな自分がプロ面してクライアント事務所の敷居をまたぐことができたのは、ひとえに会社の看板の力にほかならない。でも当時は必死だった、と思う。綾瀬駅から10分程度歩いて通ったあの時はほとんど土地勘もなく、以後、綾瀬といったらクライアントの工場、というイメージだけが脳内に残ることになる。

 

あれから時間が経ち、自分は仕事を変え、さまざまな経験を積んできているはずなのだけれど、あのときの自分が納得できるような成長ができているかと問うと、堂々とうなずけないというのが正直な気持ちだ。あのときの自分は何を目指して汗水を流していたのか。そしてその目指すものがいま近づいているのか。なんだか大切なものから目を逸らしたまま、ただ時間だけを浪費しているように思えてくる。

 

いままでの行いを過去の自分が知ったら、「もうちょっと大事に時間を使おうよ」と言うだろう。ということは、例えばいまから10年後の自分がふと昔を振り返った時に、「いまの自分の状況を10年前の自分が知ったら、きっと怒るだろうな」と後悔するくらい、現状維持を貫く可能性だってある。そうならないように、日々勉強、日々研鑽。そんなことを、墓参りからの帰り道、バスからの風景を見ながら思った。