読書の効用

忙しさにかまけて、一つ一つの仕事への取り組み方が薄く、雑になっていることを感じる。ただそれに対して、「体はひとつしかないから」「疲れているんだから仕方ない」と言ってうやむやにしていないか。

 

確かに、複数の仕事を同時並行で走らせられるような大人でありたいと願ったのは自分だ。仕事量が少なければその分濃密な仕事ができるのかというとそんなことはなく、たくさんの仕事をしていく中で一つ一つを丁寧にやることはできるはずだと思っている。仕事量と、仕事一つ一つの品質は、反比例しない。そして今、おおよそその通りの生き方をしていることを、誇りにも思っている。

 

しかし一方で、複数のことに手を出している自分が、どっちつかずの中途半端な仕事人のようにも思えてきて、めまいがするときがある。仕事のどれを切り取っても、プロと言えないというか、職人的と言えないというか。誰もがイチローや大谷になれるわけではない。では自分がイチローや大谷のようになれる場所はどこか。それは自分の仕事のフィールドに他ならない。せめて自分の仕事のフィールドでは、「こういうことなら主導権をもって物事を進めることができる」と言えるようでありたい。いま、それができていないと感じる自分に、嫌気が差す。

 

時間や体力には限度があるから、できないことはできないと諦める。ただし、できる範囲内においては、「ここまででいいや」をなるべく排除して、とことんのめり込む。その気概が大事だ。そしてその気概を後押ししてくれるのが、先人の言葉を体内にしみ込ませる読書体験だ。読書を通して他人の言葉を聞いて、「〇〇はこう考え、実行している。だから自分も〇〇と考えて、実行することができるはずだ」と自信を持ち、行動に移す。そうすることで、いままで超えられなかったハードルを超えることができる。いままで超えられなかったハードルを超えるための跳躍力を身につけるというのが、読書の一つの効用だと思っている。