本との距離感

本を扱う仕事をしていながら、こんなことを言うと本業失格だとお叱りを受けそうだけれど、本と自分との距離感はそれほど近くないと思っている。

 

寝食を忘れるくらい読書が好き、という人は確かにいる。そして、そういう人と比べたら自分はきっと「好き」の部類に入らないだろう。空腹を我慢しても本が読めるかと言ったら、絶対に無理。寝る時間を惜しんで本を読めるかと言ったら、それも無理。そこまででないと「本好き」と言えないのだとしたら、自分はきっと「本好き」ではない。だいたい、中学高校くらいの頃は読書嫌いを自慢していたくらいだったから、社会人になってそれなりに本を読むようになったからとて、べったりと付き合う関係にはなれない。ただ、自然と読むことが多くなっただけにすぎない。好きだけど、大好きというほどではきっとない。

 

以上が、「読書が好きか」という視点。もう一つ、本と自身との距離を測る指標がある。それは「自分の本棚に本を所蔵するか」という視点だ。手にした本をたくさんコレクションするか、もしくは読んだらすぐ手放す(売ったり譲ったり捨てたりと方法はいろいろある)か。そのどちらかだろう。自分は・・・これがどちらでもない。どちらかに極端に偏ってなくて、どっちつかず、といったところだ。

 

本を抱える量に平均というものがあるかどうか分からないけれど、たぶん他人よりほんのちょっとだけ、持っている本は多いと思う。読み終わったからといってすぐに手放す、という潔さはあまり持ち合わせていない。読まなくなっても、数年後にピンと来てまた手に取る可能性はあると思うから、本棚に置いておきたいという気持ちはある。自宅の壁面本棚に埋まる本の背表紙を眺めてうっとりする時間は、自分にとって大事だ。

 

ただし、買った本はとにかく全て保存しておく、という趣味はない。手放すことに対してあまり執着はないとでも言おうか。これは本を扱う仕事を始めてからかもしれないけれど、買った本を手放すことに未練がなくなった。そうそう絶版で入手不可なんてことはない、という安心感があるからだ。気になったらまた買えばよい。それよりもその本を大切に読んでくれる他人に出会えるのなら、喜んで譲る。そう思うようになった。

 

手放すことは拒まないけれど、すぐ手放す主義でもない。この中途半端な立ち位置が、いまの自分にはちょうど良いと思っている。