猛読

本を売る仕事をしているから、本を読むことのメリットをしゃべることはそれなりにできる。自分自身、こんな体験をしたよ、とか、こんないいことがあったよ、とか。だいたいが嬉しい出来事であったから、その出来事を他人と共有できるともっと嬉しい。それが本屋をやっている動機の一つとなっている。

 

一方で、本を読むことには栄養だけでなく、逆のもの、つまり「毒」もあると感じている。その毒に目をつぶっていたら、本当に楽しい読書はできないではないか。毒があることも知った上で、栄養をたっぷりと取り入れる。その姿勢が大事なのではないか。

 

例えば・・・本を読んで新しい知見を得る。それ自体は良いことだけれど、その知見は絶対に正しいと信じ込み、それを行動に移せば必ず成功すると疑わなかったらどうだろう。ちょっと冷静に考えたら「自分には適さない」と気づくようなことも、「この本に書かれていることは絶対に正しいんだ」と思うと気づけない。それだといわゆる「思考停止」になってしまう。インプットはしているけれど、その適切性を検証していない。それは時として、インプットしないことよりも危険だと思う。

 

本をたくさん読んで、「自分は博学だ」と慢心してしまうのも良くない。年間500冊とか1,000冊とか読むことを自慢する人がいるとして、それ自体にどんな優位性があるのだろう。読まない人に比べたら知識の量も多いだろうし、豊かな時間を過ごしているとは思うけれど、この世の中にあまたある本の例えば0.01%を読んだところでたかが知れている。だったら、何か縁があって自分に近づいてきた本を、繰り返しテキストを読んで、そらんじることができるくらいになった方がよっぽど楽しい。たくさん読むことが読書だと思う人にとって本は毒だと思う。

 

読む行為には時として毒がつきまとう。「猛毒」という側面を意識したうえで、夢中になって「猛読」する人間でありたい。