誰かにとっての「居場所」をつくること。それが仕事で自分がやるべき一つのテーマなのだと思った。
それをやっている人は周囲にたくさんいる。街のカフェやレストラン、本屋だってそうだろう。そこへ行くことで心が安らぐ。なんだかそわそわしていた心が落ち着く。気持ちをかき乱していた何かをぽとっと落としてくれる。そういう場所は街にはいろいろある。私もそういった「居場所」に助けられている一人だ。行徳へ行けばコーヒーの美味しいカフェがあり、そこでゆっくりしていれば、たいていの心の不安は治まる。平日仕事帰り、まっすぐ家に帰るのもなんか違うな、寄り道したいな、と思う日が、頻繁ではないにせよ必ずあって、駅前のカフェでコーヒーを飲んでボーっとする時間が、自分に潤いをもたらしてくれる。
実を言うとつい最近まで、そういう「一息入れる場所」「深呼吸する場所」は自分には不要だと思っていた。もちろんあれば嬉しいけれど、なければないで快適に過ごせるはずだと思っていた。自宅がそういう場所であるべきで、現に自宅に帰れば誰の目も気にしないで寛げるのだから、自宅以外に「居心地の良い場所」を求めるのは贅沢であっても必要不可欠ではない。そう思っていた。しかし、真っすぐ帰宅することを身体が拒み、自宅とは違った空気の場所を身体が求めていると感じた時に、ああ、やっぱり自宅以外の「居場所」がどうしても必要なのだと思った。
本を紹介する仕事をしながら、自分が何かこれまでにない価値を世に提供するためには何をすべきか。小さく、地道に活動していく中で、売り上げにつなげるだけでなく、自分が必要とされる何かを生み出す核となるアイデアがないか。そう考えた時に、頭に浮かんだキーワードが「居場所」だった。自宅以外の居場所なんていらないと豪語していた自分でさえ自然と足が向かうカフェがあるように、人間誰もが、心落ち着く居場所を必要としているはずだ。
ただ本を売るだけでなく、本を読める居心地よい場所を用意する。そこでは自由に本を読むことができる。そこで買わなくても良い。自宅から持ち込むのでも良い。ただ自宅で読むのとは違う何かがそこにある。そういう場所を仮につくれたら、必要としてくれる人が現れるのではないか。これは一つの「例えば」だけれど、そういうことを真剣に考えなければならない。