走りながら、出会いと別れを考える

土曜日は久しぶりに近くの河川敷を走った。意識しないと不摂生が続き、身体にもよくない。これから挑戦しようと思って買った自転車は納品待ち。急がないが、もうすぐやってくるので楽しみ。でもそれはそれとして、道具を使わず、自分の足だけで自分を振り返る「走る」という時間も、必要。

 

 

走りながら、仕事のこととか、プライベートのこととかを、考える・・・。よく行くカフェの看板娘とは、おそらく今日でお別れ。思えば、いまの住まいに引っ越してきたことがすべての引き金になって、たくさんの素敵な出会いに恵まれた。その一つである行徳のカフェには、今後も毎週末コーヒーを飲みに行くのだろうと思うものの、彼女の若いエネルギーを浴びることが行く理由の一つであったことは確かなので、とにかく寂しい。別に今後一生会えないわけじゃないんだし、と思うのだけれど、最後の「さよなら」の一言をどう言ったらいいのかが分からない。相変わらず「さよなら」が下手な自分だ。

 

手作り市で素敵な作家さんを知る楽しさに目覚めたのも、雑司ヶ谷の手創り市まで足を運ぶようになったのも、いまの家の大家さんの働きかけがあるからだ。一生モノの壁面本棚をつくってくれた家具屋さんも、「手紙を書く」という行為に対する心理的ハードルをぐんと下げてくれた紙文具屋さんも、みんなそうだ。

 

仕事では、いままで取り組んだことのない事業手法を模索中。コーポラティブハウスを、ただ集合住宅としてつくるんじゃなくて、プラスアルファの付加価値を。それはずっと前から考えていたんだけれど、なかなかできず、あるクライアントからの相談がきっかけで、提案をすることになった。正解のないプロジェクト。道にそって歩くんじゃなくて、新しい道をつくるようなプロジェクト。ターゲットは誰になる?クライアントは損しないか?そのプロジェクトに参加するメリットは?建築的アプローチはどうしたら面白いか?頭の中を、いろいろな情報やアイデアが、ぐるぐるまわる。考えはまとまらないが、それでもそうやって考えている時間そのものが楽しいと思えるのが、走ることの良さだ。