【アイネクライネ】
伊坂幸太郎「アイネクライネナハトムジーク」を読んだ。6つの別々の短編が、複雑に絡まり合っている。彼の作品ならではの練りこまれた世界を味わえるのはもちろん、ストーリー全体を支配している「出会うことの奇跡」感が、胸に心地よく響く。事実は小説よりも奇なり、と言う言葉がもし本当だとしたら、どんなに素敵だろう。こんな出会いがもしあったら、きっと嬉しいだろうなぁ、と思う。
「アイネクライネ」のオチは特に、沁みた。仕事は山ほどあるらしい。だから、また会えますように。そんなの、仕事に身がはいらないくらいワクワクするに決まってる。
【コーヒー】
昼間、少し仕事。3連休初日、ちょっと気を抜いたら事務所なんて行かずに無駄な時間を過ごすに決まっている。気持ちが高ぶっているうちに、やっつけてしまおう。
仕事帰りに、おなじみのカフェに立ち寄る。「おっ、今日は夕方ですね」その日によって行く時間帯がバラバラで、夕方に来たのは今日が初めてだった。店主のその一言に、いつも立ち寄る時間を覚えてくれているのだと感じ、嬉しくなる。
今夜は隣町で夏祭りがあるらしい。超絶かわいい店員さんが以前、人で賑わう祭りの雰囲気が好き、といったようなことを言っていた気がしたから、教えよう。そうだ、先週、自分が鎌倉に行くと言ったら「いいお店知ってますよ。ガーデンハウス。ぜひ行ってみてください」とオススメカフェを紹介してくれて、行ってみたら、待っている人がものすごく長い行列をつくっていて、すぐ萎えて、でもすごく人気のカフェだと分かって、また近いうちに行ってみようと思ったから、そのことを伝えなければ。だけど、今日に限ってなかなか話しかけるタイミングがない。こういうとき、普通に声をかければいいものを、臆病な自分はなかなかそうはできなくて、結局は、いつものアレ、つまりは置き手紙に頼ってしまう。カッコつけるつもりはなく、ただ面と向かって言葉で伝えるのが恥ずかしいだけなのだが。本当はただの自己満足だろ、と言われたら、そうかもしれないのだが。「アイネクライネナハトムジーク」の笹塚朱美も言っていた、相手に喜んでもらえると思っている時点で、ちょっと傲慢かもしれない、と。でも、伝わったらいいな、喜んでくれるんじゃないかな、くらいの軽い気持ちで、手持ちのカードにペンを走らせる。
【滑走路】
駅前の道路が歩行者天国になっている。テーブルが並び、出店が集まり、特設ステージが現れる。テーブルは食事する人たちで満席状態。道路も歩くのに一苦労、という賑わい。ゴールデンウィークに偶然出くわしてホコ天の存在を知り、今日で2回目。駅前の商店を中心に、暑い夜をさらに熱くしていた。
ふと、約2か月半前の、前回のホコ天を思い出す。こういうときくらいなんか買い食いしようか、と出店を物色し、目を付けた串焼き屋。注文したら「すみません、いまおつり切らしていて。小銭ありませんか?」ときれいなお姉さんに聞かれた。たまたま小銭を持っていたので、「へへ、ありますよ。なんなら十円玉もいれましょうか」「いやいや、大丈夫です」なんてやりとりをしつつ、買った。「ありがとうございます。助かりました」お姉さんの笑顔がまぶしくて、串焼きの美味しさも3倍増しくらいになった気がした。
あの串焼き屋、名前なんだったかな。また出店してるかな。あのお姉さん、ほとんど顔を覚えていないのが申し訳ないのだけれど、また会えたりしないだろうか。なんて期待を、した。出店が並ぶ道を端から端まで歩き、一軒一軒見てまわり、その串焼き屋にも、お姉さんにも、出会えなかった。まぁ、そう簡単に奇跡が起こるわけがない。
特設ステージ、最後に登場した男の人は、クラシックギターとウクレレを操り、魂を吐き出すように、歌った。まじまじと見ていなくても、その歌声とギターの音色を聴きながら、賑わう夜道を歩いているだけで、なんか楽しく、気持ちよくなってくるんだ。なんでも地元出身のミュージシャンらしい。この街で、このステージで、歌うことを誇りに思っている、そんな感じがした。最後に歌ったオリジナル曲「滑走路」の、初めて聞くのにどこか懐かしいようなメロディが心地よい。クラシックギターのボディを打楽器のように使ったテクニックに、酔った。
ステージが終わり、出店も片づけ初め、さてどうしようか、とフラフラ歩いていたら、「あ」と後ろから声をかけられた。自分が振り返るより前に、目の前に姿を見せた、その超絶かわいい女性の笑顔に、全身の力が抜ける。「あぁ、間に合ったんだ」「いま着きました。もしかしたら、まだいるかな、と思って」「ちょうどいまステージ終わったところだよ。地元出身のミュージシャンなんだって。カッコよかった」「私も、歌声を少し聴きました」「そっか」「さっきは、ありがとうございます」「いえいえ・・・」
この偶然を、少しでも期待してはいなかったか?していたんだろうなぁ。
どんなに走らせても走らせてもあの日にはもう飛べないけど
(建吾/滑走路)
ギターをかきむしりながら歌う彼の声が心に響き、祭りが終わったあともその余韻が残って、おなか一杯になったから、もうそんな期待なんてどこかへ飛んでしまっていた。それが、最後の最後で現実になる。まるで「アイネクライネナハトムジーク」の世界が今日の自分の世界と合致したような、不思議でありつつも心地よい感覚を味わった。
そのあと、彼のCD販売会があるとのことで、その「滑走路」が入っているCDを、つい買ってしまった。こんなことは初めてだ。汗だくで、でも最高に気持ち良さそうな彼から直接サイン入りCDを買い、握手をした。その手はとてもあたたかかった。
「出会う奇跡」は決して特別なことではなく、いろいろなところに転がっている。その奇跡に気づくことが、大事だと思った。