血が循環する

3年に一度のイベントと言えば、何がある?オリンピックは、4年に一度。盆暮れ正月は、1年に1度。宅地建物取引士の資格更新は5年。といろいろ考えていって、他に思い浮かばず、架空クイズも終わる。3年に一度。それは、自動車運転免許の更新だ。安全運転をきちんとやっていれば5年に1度だが、一度ポカをしてしまったので、3年。というわけで昨日、運転免許センターへ行った。「アイネクライネナハトムジーク」とまたしても同じ状況で、不思議な感じがする。

 

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日曜日だから結構人が多く、予想通り時間がかかったけれど、苦痛ではなかった。あたりを見渡して、3年前に会ったあの人に再会・・・なんて展開は、なかった。そこは「アイネクライネナハトムジーク」の「ドクメンタ」のようにはいかなかった。3年前のこの場で出会った人なんて、講習員を含め、まるで覚えていない。そして、5年後にまた再会したら素敵だな、という出会いが今回あったかというと、それもない。現実なんて、そんなものだ。

 

 

いつもの美容院でマスターに、献血をいままでしたことがなかったことを、怒られた。まさかあなたが献血を断るような人だとは思わなかった、と半分冗談、半分真面目のような口調で言われ、たじろいだ。別に断固として断っていたわけではなく、若干面倒だと思っていたこともあるが、それよりもタイミングがなかった、といったほうが近い。

 

「僕はね、自分の、まぁ汚い血かもしれないけれど、この血が少しでも誰かの役に立つのであればね、提供しようと思っているんですよ」その言葉には彼の強い意思が漲っていて、いままで献血をしたことがなかった自分を、恥じた。なぜこんなところで、いつもの行きつけの美容院で、完全にリラックスしているところで、反省しなければならないのだ、と思ったのだけれど、事実なんだから仕方がない。最後にマスターから言われた「血って、ある程度出して、またつくって、というように循環させることが大事なんだって」という言葉が、自分の背中をそっと押したのだと思う。免許センターに行ったら、必ず献血する場所があるから、と肩をたたかれ、献血ねぇ、と半分は右耳から左耳へと聞き流しつつも、まぁ結局は行くんだろうなぁ、自分、と思った。いつだって、マスターの言うことはだいたい、正しい。

 

 

免許更新を終え、新しい免許証を丁寧にしまい、免許センターを出る。すると目の前に「献血」と書かれた大きなプラカードをもったおじさんが「献血お願いします」と声を出していた。自然と、おじさんと目が合う。「ありがとうございます。あちらです。よろしくお願いします」暑い中、立ち続けているおじさんの声がひと際明るくなったことで、自分の心にまだ少しだけ残っていた不安は、消え去った。なんだ、簡単じゃないか。タイミングがないわけ、ないじゃないか。

 

初めてだからといろいろ聞かれ、動画を見て、問診、血液検査を経て、なんとか自分の血が提供に値するということが分かった。よかった、人様に提供できないようなどす黒い血でなくて。

 

400ミリリットル、と簡単に言うけれど、350ミリリットルの缶ジュースよりも多いんだぜ、結構な量だな、と急に不安になる。でも、「では400ミリリットルいただきますね」とさらりと言われ、拒否のタイミングを失った。まぁ、せっかくの機会だから、いくらでも持って行ってくれ。このあと貧血で倒れない程度に、せめて海浜幕張駅まで眩暈なしに歩ける程度であれば、いいよ。

 

献血は、やはりあっという間に、あっけなく、終わった。目の前のテレビで放送していた競馬を見ていたら、いつの間にか終わっていた、といった感じだ。これをいままで拒否していたのかと思うと、やはり恥ずかしさが残る。これで微力でも世の困っている人を救う力になったという誇らしい気持ちを胸に、そして、新しくてきれいな400ミリリットルの血が生まれて身体を循環するのをイメージしながら、免許センターを後にした。ちょうどバスが来たし、万が一貧血で倒れたら嫌だから、海浜幕張駅まで歩くのは、やめた。