心が狭い

実家から自宅へ戻る電車内。何年経ってもその長さに慣れない東上線の車内では、徐々に田畑が減って都会的になっていく景色を眺めながら、退屈さを紛らわせている。昨日今日と、家族と会っていた限られた時間を、果たして自分は有意義に過ごしただろうか、久しぶりに話をする家族と、きちんと目を見て会話をしただろうか、と冷静に振り返って、なにかこう、大切なことを、気恥ずかしさのせいにして疎かにしてはいなかったかと、いまになって気が気でない。

 

景色を眺めるのにも、昨日今日を思い返すのにも限界があり、本を読み始めるが、それも読み進められないほど眠くなってきて、しばらく目を閉じる。何もせず、何も考えず、ウトウトしていても時間は過ぎ、目的地へ近づけるという点で、電車はすばらしい。

 

女子高生数人が乗ってきて、ひとりが隣に座ったのに気づいた時、特に深いことは考えず、ただ単に女子に興奮する男子のごとく、ちょっとだけ胸が高鳴った。うつむいていた自分の視界にわずかに入った彼女のきれいなふとももに、ちょっとだけ胸が高鳴った。とはいえ、目を見開いて彼女をじっと見つめるわけにも行かず、また眠くもあったため、そのまましばし夢の世界へ。いま思うと、なんて贅沢な選択をしたのだろう、と驚く。

 

終点につく少し前だっただろうか。座っていつつも徐々に腰が痛くなってきて、目も覚めて、そろそろ乗り換えかと顔を上げて、ふと隣を見た。そして彼女が、堂々と弁当箱を開き、白米をむしゃむしゃと食べているのが目に入り、一瞬で、なんというか、きれいなお花畑を熊に荒らされたかのような、言いようもない残念感に襲われた。百歩譲って、それが菓子パンとかスナック菓子とかだったら、つまみ食い感覚がある分、「我慢できなかったんだな」と理解できなくもないけれど、よりによってお弁当って。思いっ切りメインの食事じゃないか。

 

こういうとき、尊敬する松浦弥太郎さんだったら、と考える。「くちぶえサンドイッチ」のなかで彼は、電車内で本を読みながらシュークリームとショートケーキをつまみ食いする女の子に会う。そして、彼女に注意をするのかと思いきや、彼は彼女の隣に座り、恋をしたかのような嬉しい気分になった、という。ご本人はきっと単純にそう思ったのだろうけれど、彼のその心の広さに、私は感服せずにいられない。

 

翻って、私はどうしたか。そんな心の広い彼を模倣しようなんて意気込む間もなく席を立ち、視界にそのお弁当が入らない正面のドア付近に逃げる。わずかに鼻をくすぐる白米のにおいと戦いながら、それでも他の車両へ移るほどの気力もなく、ただぼんやりと、都内に入りコンクリートのビルやマンションが立ち並ぶ風景を見て気を紛らわせていた。さらには、この車両に乗っている彼女ら以外の乗客全員が、私と同じように感じて席を立ってほかの車両に移るようなことがあれば、一瞬でまわりに人がいなくなった彼女はその原因が自分にあることに気づき、反省するのではないかなんて意地悪な妄想まで、した。

 

相変わらず心が狭いなぁ、と思いながら電車を乗り換え、地下鉄へ。頭の中では、日曜日の残された半日をどうやって過ごそうかと、あれこれ思いをめぐらせる。行きつけのパスタ屋に行ったら、笑顔の素敵なお姉さんに会えるかな。その前に立ち寄る本屋で何を買おうかな。年賀状をくれた久しく会っていない幼馴染への手紙、何書こうかな・・・

 

そうこう考えながら座った地下鉄の車内で、目の前に座ってた女性が美人であったことに気づいた時、男なら当然嬉しいのだけれど、同時に疑うべきでもあった。こういうとき、あってはならないことはたいてい、重なる。地下鉄が地下を抜けて地上区間に来て、視界が一層明るくなり、そろそろ自宅だなぁと思って、目の前の彼女に意識が行った次の瞬間、彼女が堂々と化粧をしだすものだから、それはもう、参った。きれいなお花畑に隕石が落下して焼け野原になったような、そんな気分だ。もはや自分の心の狭さを悔やんだ数十分前の教訓すら生きず、ただ目を閉じてうずくまり、自宅への到着を待つことしかできなかった。

 

考えすぎなのは、百も承知だ。心が狭いのは、自分が一番良く分かっている。自分だって、たとえば女子高生と同じく高校に通ってた頃は、非常識で、まわりに意識がいかず、「いまどきのガキは」とおじさんにあきれられうようなガキであったに違いないのだ。だから、他人を非難する資格は、たぶんない。電車内は快適であるべきだと過度に期待する自分が、悪いのだ。

 

くちぶえサンドイッチ 松浦弥太郎随筆集 (集英社文庫)

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